【第201回】間室道子の本棚 『飛び立つ季節 旅のつばくろ』沢木耕太郎/新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『飛び立つ季節 旅のつばくろ』
沢木耕太郎/新潮社
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「私が旅を必要とするときは、必ず、自分と周囲の関係が混乱し、そのため、何かを整理し、何かを捨てる必要に迫られているときである」――精神科医の中澤正夫先生の「捨てる旅」というエッセイの冒頭の一文である。(アンソロジー『片づけたい』河出書房新社 収録)

観光旅行であろうがグルメ・ツアーだろうが病院の視察旅であろうがかまわないし、せっぱつまって出るので海外の場合は衝動的なパック・ツアーへの申し込みになるらしい。そんな一般の皆さんと一緒の、ベタな道中のなかでも、中澤先生は自分の「捨てるもの」と向き合うのだ。

今まで先生が捨ててきたもの、その心中を読むと、胸がぎゅっとなるが、一方沢木耕太郎さんの旅は、「のこす旅」である。彼には「心のこりのある旅」が多いのだ。なぜかというと、基本、調べないから。

行先と、見たいものをひとつふたつ決める。ほぼそれに尽きる。というわけで帰宅後「えっ、あそこにはそういうのもあったの?」に愕然とするのだ。

たとえば会津若松に行き、飯盛山にのぼって幕末に自刃した白虎隊の墓に詣でる。そして東京に戻ってから、山の途中に「白虎隊記念館」があり、そこに「しまった!見たかった!」と心底思える文書が展示されていたのを知って悶絶するのである。

でも彼はこれも悪くないと思っている。「いつかまた」と未来の回収を夢みるからだ。五十数年前と同じ時刻に秋田の寒風山を歩く話や、特別おいしいものを食べたという感じではなかった小諸の鰻屋さん再訪も出てくる。こちらは「かつて」=過去を回収する旅だ。

あと、「ガイドブックを利用する」と「思いもよらないものに出くわす」を天秤にかけた場合、沢木さんは後者を取る。つまり、「隙間のある旅」。

完璧に予定を立ててしまうと「次の場所に行くにはここを何時に出ないと」の繰り返しになり、寄り道やわき見の面白さをあらかじめ放棄することになる。ましてや今は、手のひらサイズのアレがある。私が見るところでは、今観光地にいる人々はすぐアレを出して人差し指を動かし、画面を見、顔を上げ、また画面を見て、ふむふむ、と立ち去る。情報と目の前に広がるものの答え合わせをすることが「観光」なのだ。だから彼らは名所と同じくらい「電源のあるところ」に熱心だ。

閑話休題、飯盛山の章ではよい体験も綴られている。山の南側に隊士たちの最期の場所があり、ここから鶴ヶ城の方向に煙が立つのを見て、彼らは落城したと思い込み死を選んだ。これが白虎隊の定説である。しかし、景色を眺める沢木さんのそばに数人の女性グループがやってきて、彼女たちを率いている初老の女性がガイドふうに話し出した。それは「定説」よりも沢木さんの心に響いた・・・!

旅の楽しみの一つは「導かれる」だと思う。無防備はNGだが、私の経験では、心を開いていると、モロッコのタンジェの城壁の隙間からふと見えた海の青さを世界一に感じたり、瀬戸内海の直島の道端で出くわしたおばあさんの一言が愉快に胸に残ったりするもの。本書を読むと、沢木さんが導かれる名人であることがわかる。

どこへ行ったか、何を見たか以上に、彼の流儀を読み取ろう。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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