【第205回】間室道子の本棚 『ホットミルク』デボラ・レヴィ/小澤身和子訳 新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ホットミルク』
デボラ・レヴィ/小澤身和子訳 新潮社
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今回は思い切った読書をしてみたい。主人公ではなく、三番手、四番手くらいの人物に着目して読む、という趣向である。

というのも、帯に「原因不明で歩けない母と、献身的に介護する25歳の娘」「ふたりの人生は鬱屈した恨みと苦悩で煮えたぎっている」「ケアをするための人生、からの旅立ち」とあり、わが子を振り回す毒母とそのたびに何かをあきらめていく娘といった内容を想像し、「気がめいりそう」と手を出さない人がいると思うの。

だけど、訳者あとがきで小澤身和子さんが、「どこかで読んだことのあるような、ありきたりで退屈な成長物語を思い浮かべるかもしれない。でも、違う。」と力強く書いているように(「でも」と「違う」のあいだにきっぱり打たれた「、」にシビれる!)、本書の登場人物はユニークな人ぞろいで、娘にはお母さんのことを頭から吹っ飛ばすいろんなことが起きる。で、ここはひとつ、お医者さんに注目して読んでみよう。

英国のヨークシャーに住む母ローズと娘ソフィア。娘は父親が家を出て行った五歳の時から二十年間母が訴え続け、あらゆる治療をこころみている身体の不調に寄り添っている。

国内の病院はさんざん回った。この夏、母娘はお金をつくり、スペインのアルメリアにやってきた。小さなビーチハウスに滞在しながら、ゴメス・クリニックに通うためである。

初日、受付デスクまでソフィアは母に合わせて自分も足を引きずりながら歩く。日常的にローズの考えを読み、行動を合わせてきたのだ。「母の頭は私の頭」「母の脚は私の脚」。こんなフレーズが、バリエーションを変え、物語のあちこちに出てくる。

母は歩けない。脚に感覚がないという。歩行は杖または車いすに頼っている。そのほか、左腕、指関節、腰、頭など、あちこちを痛みが襲うのだ。

だが「大型スーパーのヘアピン問題」とか後にでてくる「ヨークシャーにおける紅茶まとめ買いの件」があり、ソフィアの胸は複雑だ。読者はローズの脚以上に、「お母さん、それって」と言い出せない娘の心のほうが悩ましいだろう。

さて、ドクター・ゴメス。六十代前半。青い目。髪は大部分が銀色だが左側に異様に真っ白な筋が走っている。微笑みとともにあらわれる二本の金歯!

ローズへのヒアリングの後、ソフィアに向けられたドクターの会話には母が答えてしまう。そして、治療について患者と二人きりで話したい、という言葉をローズは「いやよ、娘はここに残るの」とはねつけた。でもドクターはかまわず、ソフィアをバスで20分の海に向かわせる。

これ以降も彼はソフィアに、ランチの席で変なことを約束させたり、市場であることをしてみたら、とけしかけたり(はっきり言って、犯罪教唆です!)、この十一年間ギリシャにいる父に会っていないと彼女が告げると、言葉にはしなかったが、訪ねていったらいいのに、と言いたげな顔になったりした。

で、ローズには何をしてるかというと、「紙にあなたの敵を書きだしてください」と言ったり、飲んでる薬をぜんぶやめさせたり、くだんのランチのレストランで「蛸事件」と「猫騒動」を引き起こしたり。

「ゴメスって、ヤブなの?!」という疑惑が読者の頭をよぎるだろう。でも、彼の素っ頓狂さは奇しくも、ソフィアの尊敬する人類学者、マーガレット・ミードの「何かを深く理解する方法」の六つ目と重なる。「幼児を研究すること」「動物を研究すること」「原始人を研究すること」などがあって、最後にミードはこう言っている。

「狂ったようなことをやって乗り越えること」
私の考えでは、ドクターは早い段階で気づいたのだ。自分がヤブであれ、名医であれ、手を貸せるとしたら、母親でなく娘のほうだ、と。

お医者さんのほか、謎めいた雰囲気のセクシーな看護師(ゴメスの娘!)、クラゲに刺された観光客に薬をぬりぬりしてあげる海の救助小屋の男子学生、ソフィアが強烈にひかれていくドイツ人女性、ギリシャにいるれいのソフィアのお父さん(現在六十九歳。自分の娘より四つだけ上の二十九歳の女性と四十歳の年の差再婚)、生後三か月の赤ちゃん(ソフィアの二十五歳年下の妹!)など、さまざまな人物が登場。

南スペインを舞台に、美しさに満ち、官能的で時にユーモアもある、誰も見たことのない物語が広がる。冒頭でお名前を出した小澤さんの、物語の内側に手をあて、鼓動や体温を感じながら訳したような文章もすごい。海外文学好きなら、読まないと一生後悔するぞ!
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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