【第208回】間室道子の本棚 『スクイズ・プレー』ポール・ベンジャミン・田口俊樹 訳/新潮文庫

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『スクイズ・プレー』
ポール・ベンジャミン・田口俊樹 訳/新潮文庫
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世界的な純文学作家ポール・オースターがポール・ベンジャミン名義で書いた小説デビュー作で、なんとハードボイルドミステリーである。

原書は1982年の刊行で当時オースターは35歳。『冬の日誌』(新潮社)の、「歴代の住居とそこでの生活」的なページによれば(彼は尋常でないくらい引っ越しをしている!)、『スクイズ・プレー』を執筆していたと思われる30代前半の暮らしは安定してるとは言えず、おそらくてっとり早くお金になるものを書いたのだろう

で、これってすごいと思うの。「時間をかけてほんとに書きたいものを」もいいけれど、私の考えでは、お金のために迅速に何かできるって尊い。

だって、たとえば新人芸人さんに「とにかく笑いをとって」と言う。これがいかに難しいか。ネタ見せを突破しなければいけないし、舞台に上がれたところでお客さんにウケるとは限らない。小手先は見抜かれるしわざとらしさは敬遠される。見習い板前さんへの「とりあえずお客さんに美味いと言わせて」や、ミュージシャン志望者への「デビューに値する一曲を書いてきて」も難題。たいていは、すべるか突っ返されるか次に期待しますと言われるかだ。

でもポール・ベンジャミンはやれた。そして仕上がりが凄まじい。

私立探偵の「私」のもとに、依頼人であるかつての野球界のスターがやってくる。美しい妻、誰もがうらやむ生活、打ち立てた大記録、その直後彼を見舞った大きな不幸、政治家としての復活準備、そこに届いた脅迫状、やがて事件が、というみごとな話運びでぐいぐい読ませる。

初めて書いた作品が、そのジャンルのお手本になるような出来栄えなのである。「自分はもっと別なものが書きたいけど出版社が買ってくれそうなのはこれ。で、この手のファンって、こういうのが読みたいんでしょ」的なナメてかかった感じはカケラもなく、ハードボイルドへのリスペクトが感じられる。

また、依頼人の隠し事――名選手だった彼は、なぜあのようなことに手を染めたのか、その理由が斬新。

野球にかぎらずスポーツ選手ってどんな成果を出しても「才能があってよかったね、天に感謝せよ」で終わりにされることがあると思う。彼は「私の偉大さは、ほかの誰でもない私ひとりの手の中にある」を証明しようとしたのだ。プライドの高さ、傲慢さにおののきつつ、ちょっと興奮する人もいると思う。だってこの領域に踏み込んでこそ、神をも恐れぬスーパースターなのだから。われわれ凡人は、そういうものを見たいんだから。ライバルたちとの記録合戦を超えて、彼がひそかにおこなっていたこととは・・・。

依頼人の話ばかりしてるが、主人公は探偵ではないのか、というお声が聞こえてきそう。でも「私」はよくあるヒーローとしての私立探偵的な、オレオレ系、オラオラ系ではない。金持ちや権力者や警官や闇世界の人々にへらず口を叩いたり拳に拳で応戦したりするけれど、彼は影のように事件と並走していく。

登場人物たちの昏い熱と対照をなすように描かれるのが、野球場である。

スタジアムそのものが持つ、ほとんど魔力といっていいほど人間を引き付けてやまないパワーが、すがすがしく、あざやかにせり上がる。ほんとうにすばらしい作品で、田口俊樹先生の訳にも大拍手。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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