【第212回】間室道子の本棚 『小説家の一日』井上荒野/文藝春秋

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『小説家の一日』
井上荒野/文藝春秋
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日記、小説、ツイッターなど、書くことをテーマにした短篇集。いまだにケータイ電話及びスマホというものを持ったことがない私にとってまず興味深かったのは冒頭の「緑の象のような山々」で、男女のメールでお話は進行する。

こういうやり取りって面白いなと思ったのは、時間が出ること。新幹線のホームでさっき別れたらしい男女が、八分後、二分後、やがては一分後にメールを送り合い、「あなたをどんなに思っているか合戦」をしている。打ち返す速さが愛の証だ。

やがて、二人は不倫なのだ、ということがわかる。

スマホが日常的手段の人なら気にならないのかもしれないけど、相手がいつこれを書いたか、読んだかがわかるって、怖くないのかな?

本作では時刻の表記にスリリングなたくらみがある。彼が彼女に早朝速攻で返事をよこしたのは、愛ではなく防御の先手だ。また別な日、ほんの二行の文章なのに彼女の返事は一時間半後。この間、心の中で何が?

今は「男が」「女が」と言わないほうがいいことになってるけど、女性読者には男の文章が「うわべと奥底」になっていくのが手に取るようにわかると思う。これに相手が気づかないとでも?まあバレないと考えているから平気でこんなものが送れるのだろう。

あと、密会デートでの食事については「東京には気が遠くなるほど店があるから、誰か詳しいやつに聞いておきます」と書いてきた男が、「病院」については「よければ俺が探しておきます」。

レストランには無頓着なのに(彼はたいてい「今すぐさわりたくなり、部屋に戻るのを急ぎすぎ」らしい)、のちに女性に起きた事態には必死じゃーんとつっこみたくなる。あと、ラストに再度でてくる「私たち」という言葉。彼女はやっぱり・・・?

こんな「書かれていないこと」がとても面白い。それを「読ませる」。井上荒野さんの真骨頂である。

ほかに、いつもにこにこしている三十代半ばぐらいの女性社員が、新人バイトの女の子に誰も見てないところでちょくちょく渡してくる付箋、そこには芯を食った注意書きが、という「園田さんのメモ」もすごいし、料理家だった亡き母がある男性のために手書きしたレシピの最後にあった意外な一文が物語の柱になっている「料理指南」もおすすめ。絶望的な学校生活を送っている中学生女子が保健室横のトイレに書いた小さな落書きの絵。そこに誰かが希望を足していく「窓」のラストには胸がよじれた。

どれもあとでページ数を確認して「こんなに短いのか!」と驚愕するほど濃くて深いお話ぞろい。秋の夜長にひとつひとつ大切に読みたい十編だ。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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