【第217回】間室道子の本棚 『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』マリー・ルイーゼ・カシュニッツ 酒寄進一 編訳 /東京創元社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ  酒寄進一 編訳 /東京創元社
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へんなもの読んじゃったなあ、という傑作がまたひとつ。

わたしの考えでは、十九世紀の終わり頃から二十世紀はじめぐらいのヨーロッパの女性作家にこの手の人が多いと思う。彼女たちはいわゆるいいおうちのお嬢さんで、教育を受け、立派な職業に就いたり身分のある男性に嫁いだりしている。で、夜な夜な、あるいは白昼堂々、こういう小説を書いているのである!

怪奇、幻想、シュール、心理もの、「奇妙な味」etc、いろんなくくりやネーミングが考えられるけど、皆それぞれ「どうしてもそこからはみ出してしまうもの」がある。

本書のカシュニッツもそうで、特徴としては「せめてドン・ミゲルくらいは、あの船がおかしいと気づくべきだった」(「船の話」)、「これまでに怪談まがいの体験をしたことがあるかというんですか。それはありますとも」(「幽霊」)、「奇妙な告白というのは決まって、それまで会ったこともなく、二度と会わないだろうと思える人から聞けるものだ」(「人間という謎」)など、書き出しが魅力的。あれよあれよというまに読み手は物語の真っ只中にいて、登場人物とともに異常な体験をするのだ。

一話目の「白熊」では、夜中に帰ってきた夫が妻の寝ている部屋まで来て、けっして明かりをつけようとせず、出会いの頃の話を始める。動物園だった。白熊のところ。彼女は声を掛けてきた男、つまり今の夫と言葉を交わし、家まで送ってもらった。そこから散歩やデートが始まったのだ。でも彼は今になって問いただすのだ。きみは動物園でだれかを待っていたんじゃないか、街を散策している時も、きみは顔を右に左に向け、忘れられないだれかを探しているようだった、と。

最後に夫に起きたことがあらわになる。だからこんな会話を、と思うのだが、置かれた状況ではなく、やっぱりこれは人としての異様さだと思う。妻がどんな女かについて、彼がいざというとき心の底から思い浮かべるのは、いつもぼく以外を見てたんじゃないかという疑い、むなしさなのだ。

今「異様さ」と書いたが逆で、これは人間としての正常さ、真実なのか?

ふつうの小説なら「そうだったのか」がわかれば登場人物や読者はある程度落ち着くものだ。でもわれわれと彼女がおかしくなるのはここから。味わったことのない違和感に包み込まれ、きょろきょろとあたりを見廻したくなる。そう、動物園の白熊のように。

ほかに、「六月半ばの真昼どき」は、旅から帰ってきたら、留守中に見知らぬ女がやってきて、アパート中に「あの人は死んだ」と触れ回っていた、と知らされる女性の話。「四月」は自分を嫌っていたはずの支配人から花束を贈られた秘書のてんまつ。「ロック鳥」の主人公はある日の午後三時、部屋の中に鳥がいることに気づく。いずれも「こわい話」ではおさまらないものがある。

今はあまり男だから女だからと言わないほうがいい時代になっているけど、重ねて私の考えでは、男性の怪奇幻想作家がどこか「理」を匂わせるのに対し、カシュニッツを始めとする女性作家たちは「ムード」で押していくことを恐れない。ラストに物語から放り出される余韻の中で、主人公たちと読者はなすすべがない。そんな十五編。おすすめ!!
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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