【第225回】間室道子の本棚 『話の終わり』リディア・デイヴィス 岸本佐知子訳/白水社Uブックス

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『話の終わり』
リディア・デイヴィス 岸本佐知子訳/白水社Uブックス
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主人公は女性小説家の「私」で、かつて30代の半ばで12歳年下の男性と恋愛し苦く別れた。50歳に近づきつつある今、「彼」との数か月間を書いてみようとしている。

彼女の現在(同年代かやや年上と思われるヴィンセントという男性および介護が必要な彼のお父さんと一緒に暮らしていること、入れ代わり立ち代わりやってくる看護婦さんたち、住んでいる場所、あたりの眺め、書きあぐねている作品についてetc)に、過去が差し挟まれ、物語は進むのだけど、なんといっても読みどころは記憶のパートだ。

22歳だった「彼」の容姿、性格、発言、彼女が思ったこと、二人でしたあれこれ、部屋の様子、町の風景、さまざまな知り合いのほかに、「彼」についてわからなかったこと、記憶ちがい、あの時まだ知らなかったできごと、夢の話まで出てくるのだ。起きた順番どおりではないし、同じエピソードを何回も思い出したりもする。

だらだら続く緩慢な話と思うでしょう。違うのーーーーー!

岸本佐知子さんが訳者あとがき書いているように、著者リディア・デイヴィスの文体は「そっけないほどに無駄がなく、淡々として、無機質ですらある」。

ひと周り年下の男との恋の場合、日本の女性は「母親然」「姉然」「女房然」としがち。しかし「私」は「私」であり続ける。これは彼女が当時大学教師であったことと(直接の教え子ではないが、相手は同じ大学の学生だった)、翻訳者であったこと、現在作家であることが影響してると思う。彼女は「彼」を読み、味わうのだ。

そして書くという行為。

「彼」の前や後にも男たちとの付き合いはあった。しかしもう別れたのに、何年も前のことなのに、なぜ自分はいつまでも、あのただなかにいるのか。何度もつまずきながら、彼女は冷静に綴っていく。

破局後の「私」は、「彼」へのストーカーみたいになっていく。常軌は逸しているけど、恋人に去られた経験のある人なら「あるある」や「わかる!」があるだろう。わたしが読んでいてもっとも胸が痛くなったのは、町を走る、「彼」と同じ型で同じ白の車のナンバーを彼女が暗記しようとするところ。物語であれ現実であれ、他者の恋愛でわたしたちの心をとらえるのは、武勇伝めいたあれこれではなく、「そんなことをしてなんになる」というちっぽけないたましさではないか。

本作は意外なくらい短い。主人公である「私」が作中で述べているように、間違いや言い落としや付け加えがあったとしても、「何を書いて何を書かないかだ」。これが著者リディア・デイヴィスの姿勢と重なる。

話の”終わり”は、「私」とある男性書店員の場面だ。

おだやかでなだらかな距離感が、書店員から「彼」にすっと移っていくような感覚。何度読んでも美しく切ない解放だ。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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