【第228回】間室道子の本棚 『水車小屋のネネ』津村記久子/毎日新聞出版
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『水車小屋のネネ』
津村記久子/毎日新聞出版
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★ご挨拶・・・毎週木曜公開していた「間室道子の本棚」ですが、隔週にかわります。毎月第一、第三木曜UPの予定でございます。引き続き、よろしくお願いいたします。 さて、今週の原稿です!
一九八一年、一九九一年、二〇〇一年、二〇一一年から成る四話にエピローグ二〇二一年がついた、四十年にわたる一羽の鳥と人間の物語。
最初に登場するのは高校を卒業したての理佐と十歳年下の妹・律。母は父と離婚後女手ひとつで姉妹を育ててきたが、ここへきて時々家にやってくる婚約者が出来、「男のいる生活」を優先しだした。どういう男かというと、小二の律に小五の算数の問題集をやらせ、×が多いと夕飯なし、食事抜きがこたえてないと知るや家から閉めだすという輩である。恫喝や、グーではないがパーで叩く暴力も。
バイト帰りの理佐が夜の公園にポツンといる妹を見かけ、こんな事態になっていることを知ったのは(姉にたんたんと話す律が見せるタフネスにシビれる!彼女はただならぬ子供なのだ)、母親が婚約者の都合を優先し、卒業後の夢をぶち壊したことが発覚した日だった。また、妹に対する男の言動について切り出すと、母は聞き流した。
独立を決意した理佐は律を連れ、山間にあるおそば屋さんに就職する。職安に出ていたお店の応募要項には、奇妙な一文が添えてあった。「鳥の世話じゃっかん」。
さあ、ネネの登場だ。いるべき場所と役割があり、存在を認められている。こんな人間の尊厳にかかわる位置を姉妹は失い、鳥は持っているのだ。二話以降、元音大生の男や中三男子もネネの元にやってくる。いずれも己の場所、いる意味を見失いかけた者たちだ。
さらなる母の婚約者の件、台風襲来、行方不明者の捜索などドラマチックなことも起きるけど、読みどころは作者・津村記久子さんの「生活感と距離感」である。
たとえば裁縫のとくいな理佐は、地元の婦人会のコーラスグループに、お揃いのケープを肩にかけて発表会に出たらどうですかと提案し、衣裳係になって会は成功する。その後日、婦人会の会長・真壁さんが言うのだ。「自分たちの考えが足りず、ケープの材料費に加えて交通費を請求してもらうのを忘れていた。手芸店に行った回数と、自分も知っているけれど念のため往復の電車賃を教えてほしい」
よくある「家族に問題のある主人公がたどり着いた町の人たちと触れあっていくええ話」では交通費がどうのこうのなんて出ないだろう。でも津村さんはきちんと書く。小説内に具体的な金額は書かれていないが、たとえば往復460円が3回として、1380円が返ってくる。これは小三になった妹を育てている十八歳の姉にとってすごく大きいはず。こういう生活目線が物語をリアルにしていく。
姉妹はこのほか、画家の杉子さん、そば屋の男性客でひとり娘を育てている榊原さん、律の担任の藤沢先生などさまざまな人と交流するが、彼らが姉妹に、姉妹に彼らがとる距離感、これはなにかに似てる・・・と考え、ネネだ!と思いついた。
人間同士の関係が、「対ネネ」と変わらないのである。べたべた甘えず、寄りかからず、踏み込まずに、信頼し支え合う。このフラットな感じはとてもやすらか。
作者・津村さんは姉妹にはげましも与えている。それは、「おいしい」だ。
おそば屋さんでの面接の時、おかみさんの浪子さんは、特急で一時間ちょいかけてやってきた理佐とくっついて来た律のために、きつねそばとおにぎりを出してくれた。「そばはおいしかった」。
さらに、引っ越してきて初めてのお出かけで食べたエビピラフもクリームソーダも、コーラス発表の交流会で久しぶりに食べたケーキも、家に来た律の友達の寛実ちゃんに理佐が出した一銭洋食のようなお焼きも、恩師・藤沢先生の家で出されたマスカットも、みんな「おいしい」。
勤め先になる店のおそばが、外出先で入った喫茶店の食事が、ビュッフェのケーキが「まずい」なんてことはいくらでもある。でも、津村さんはこの一点において、理佐と律をがっかりさせない。姉妹の「おいしい」にでくわすたび、ああよかった、と私は安堵し、気づくのだ。「共感」とか「応援する」を超えて、私はふたりと人生を共にしている、と。
一九八一年、一九九一年、二〇〇一年、二〇一一年から成る四話にエピローグ二〇二一年がついた、四十年にわたる一羽の鳥と人間の物語。
最初に登場するのは高校を卒業したての理佐と十歳年下の妹・律。母は父と離婚後女手ひとつで姉妹を育ててきたが、ここへきて時々家にやってくる婚約者が出来、「男のいる生活」を優先しだした。どういう男かというと、小二の律に小五の算数の問題集をやらせ、×が多いと夕飯なし、食事抜きがこたえてないと知るや家から閉めだすという輩である。恫喝や、グーではないがパーで叩く暴力も。
バイト帰りの理佐が夜の公園にポツンといる妹を見かけ、こんな事態になっていることを知ったのは(姉にたんたんと話す律が見せるタフネスにシビれる!彼女はただならぬ子供なのだ)、母親が婚約者の都合を優先し、卒業後の夢をぶち壊したことが発覚した日だった。また、妹に対する男の言動について切り出すと、母は聞き流した。
独立を決意した理佐は律を連れ、山間にあるおそば屋さんに就職する。職安に出ていたお店の応募要項には、奇妙な一文が添えてあった。「鳥の世話じゃっかん」。
さあ、ネネの登場だ。いるべき場所と役割があり、存在を認められている。こんな人間の尊厳にかかわる位置を姉妹は失い、鳥は持っているのだ。二話以降、元音大生の男や中三男子もネネの元にやってくる。いずれも己の場所、いる意味を見失いかけた者たちだ。
さらなる母の婚約者の件、台風襲来、行方不明者の捜索などドラマチックなことも起きるけど、読みどころは作者・津村記久子さんの「生活感と距離感」である。
たとえば裁縫のとくいな理佐は、地元の婦人会のコーラスグループに、お揃いのケープを肩にかけて発表会に出たらどうですかと提案し、衣裳係になって会は成功する。その後日、婦人会の会長・真壁さんが言うのだ。「自分たちの考えが足りず、ケープの材料費に加えて交通費を請求してもらうのを忘れていた。手芸店に行った回数と、自分も知っているけれど念のため往復の電車賃を教えてほしい」
よくある「家族に問題のある主人公がたどり着いた町の人たちと触れあっていくええ話」では交通費がどうのこうのなんて出ないだろう。でも津村さんはきちんと書く。小説内に具体的な金額は書かれていないが、たとえば往復460円が3回として、1380円が返ってくる。これは小三になった妹を育てている十八歳の姉にとってすごく大きいはず。こういう生活目線が物語をリアルにしていく。
姉妹はこのほか、画家の杉子さん、そば屋の男性客でひとり娘を育てている榊原さん、律の担任の藤沢先生などさまざまな人と交流するが、彼らが姉妹に、姉妹に彼らがとる距離感、これはなにかに似てる・・・と考え、ネネだ!と思いついた。
人間同士の関係が、「対ネネ」と変わらないのである。べたべた甘えず、寄りかからず、踏み込まずに、信頼し支え合う。このフラットな感じはとてもやすらか。
作者・津村さんは姉妹にはげましも与えている。それは、「おいしい」だ。
おそば屋さんでの面接の時、おかみさんの浪子さんは、特急で一時間ちょいかけてやってきた理佐とくっついて来た律のために、きつねそばとおにぎりを出してくれた。「そばはおいしかった」。
さらに、引っ越してきて初めてのお出かけで食べたエビピラフもクリームソーダも、コーラス発表の交流会で久しぶりに食べたケーキも、家に来た律の友達の寛実ちゃんに理佐が出した一銭洋食のようなお焼きも、恩師・藤沢先生の家で出されたマスカットも、みんな「おいしい」。
勤め先になる店のおそばが、外出先で入った喫茶店の食事が、ビュッフェのケーキが「まずい」なんてことはいくらでもある。でも、津村さんはこの一点において、理佐と律をがっかりさせない。姉妹の「おいしい」にでくわすたび、ああよかった、と私は安堵し、気づくのだ。「共感」とか「応援する」を超えて、私はふたりと人生を共にしている、と。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。