【第233回】間室道子の本棚 『五月 その他の短篇』アリ・スミス 岸本佐知子訳/河出書房新社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『五月 その他の短篇』
アリ・スミス 岸本佐知子訳/河出書房新社
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十二篇が収録されており、一話目の「普遍的な物語」から、これはとてつもない本だぞ、と興奮。話の中心に据えられるのが男から女、ハエ、さらに一冊の古本へと変わっていくのだ。

前半と後半で「わたし」と「あなた」が入れ替わるものもあれば、男女の組み合わせかと思いきや女同士かな、というお話もある。

その筆頭的作品が、タイトルにもなっている「五月」だ。本書の訳者である岸本佐知子さんが編・訳した『変愛小説集』(講談社文庫)にもこの話は収録されており、文庫あとがきによれば、原文では登場人物の性別が特定できない描き方になっているそうだ。

今はあんまり「男が」「女が」と言っちゃいけない時代になっているけれど、私の考えでは、小説を読むときに登場人物の性別がわからないと落ち着かないものだ。でもアリ・スミス作品だと、不思議と気にならない。

また、「男と女の話かと思ったら、女性同士だったのか!」の場合、(作品のいくつかには、からだのつくりの描写や妊娠したという展開で「これは女性のカップルなのだな」とわかるものもある)、通常はなにかしらの小説的な意図があるものだ。でもアリ・スミスはそこに劇的さを仕込まない。男女じゃなくて、女女なんだ、ふーん、とすんなりお話に乗ったまま、多くの人は読み進むだろう。

「性別が特定できない書き方」は、原文が英語であることが大きいと思う。日本語で一人称は、女性の場合は私、あたし、あたい、男性は僕、俺、おいらなど。二人称は、女性が使う場合はあなた、あんた、おまえさん。男性なら君、おまえ、てめえなど。しかし英語は男も女も「I」と「You」。語り手の行き来がフラットなのだ。

そして言語のほかに重要なのは、登場人物たちの関係性だ。アリ・スミスの作品においては「わたし」と「あなた」がフェアなのである。力関係において、愛において、どっちが強い、上だ、がない。

だから「五月」でとつぜん近所の白い花をつける木に心奪われるのは、「わたし」ではなく「あなた」だったかもしれない。恋人の「木に恋してしまった」というとつぜんの告白とその後の常軌の逸脱に困惑するのは、「あなた」でなく「私」でもありえた。

三話目の「生きるということ」で帰宅の列車が止まってしまい、歩いて帰ることになるのは「わたし」ではなく「あなた」の場合も考えられた。恋人の帰りを待ち、夜の中で気をもむのは「あなた」ではなく「わたし」でもよかった。

最終話である「始まりにもどる」で、喧嘩のすえ家から締め出されるのは、締め出すのは、「私」でなく「あなた」、「あなた」でなく「私」・・・。

視線や立場が変わる、というよりふたりが融解していくような深まりが、物語にはある。本書にでてくる愛はさしずめ背中合わせ。相手とくるっとひっくり返ってしまう可能性を秘めた滑稽さ、「手を取り合って、同じ方を向いて」ではない孤独、互いの両方であるような豊かさ。そんな読み味がいとおしい短篇集。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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