【第231回】間室道子の本棚 『この夏の星を見る』辻村深月/KADOKAWA

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『この夏の星を見る』
辻村深月/KADOKAWA
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コロナ禍初年の2020年、茨城、東京、長崎の五島列島、そして宇宙(!)を舞台に、登場する中学生、高校生、そして周囲の大人たちはどうしていたのかをフレッシュに描く快作。私の考えでは、裏テーマは「近くて遠い、遠くて近い」だ。

まずは彼らに起きた分断。

社会的には感染拡大下の大都市封鎖や入国制限などを差すが、たとえば「放送部と合唱部」、あるいは「インターハイと甲子園」。比べるなんて意味がない。でも大会中止決定のタイミングや、あっちはひょっとしてやるのか?という思いが、なんとなくの亀裂や「むこうは特別扱い!?」という負の想像を産む。近いものを遠くする。

また、ほんものという感覚。

登場人物のひとりである茨城の高校二年女子は、休校が決まったとき、LINEや電話があるし、ゲームだって通信でつなげるし、と思っていた。でもこの子は夜眠れなくなる。そしてたまたま部屋にやってきた母親に、学校に行きたい、友達に会いたい、と言って涙を流す。

彼女は母のアドバイスで、翌日河原でまちあわせて友人たちに会えた。そして何を話すでもなく、ただ名前を呼び合う。「本物の〇〇だ」と。スマホでできる制限なしのつながりより、ソーシャルディスタンスとマスク着用でのひとときが、「近い」。

(「デジタルよりリアルがいいよね」という単純な話ではない。物語の真ん中あたりで出てくる”「一人」とは、何を基準に一人なのか”というエピソードが深い)

一方五島に住む高校三年の女の子は、観測会が再開された天文台に行く。地元民あるあるで、家から車で十分なのに今までいちども入ったことがない場所だ。そこで彼女は望遠鏡越しの月に、「すごい、本物、初めて見ました」と言って、館長さんに笑われる。そう、月はいつでも頭の上にあるから。

茨城にしろ五島にしろ、若い感性においての本物とは「むこうが発してくるダイナミズム」なのだろう。ちなみに館長は月を「近所の星」と呼ぶ。

さらに、距離感。

五島の女の子は、北極星の話で八千年後の未来、壮大な時の流れを感じた直後、友達の一言で胸に痛みが走る。また、学生たちそれぞれの下宿、寮、自宅の部屋を結んだオンライン会議で、たまたま映った一冊の本が、五島の男子高校生と渋谷の男子中学生を急激に打ち解けさせる。さらに同じ会議の退席時に、茨城の高校一年生が自分らの先輩たちに「そういう顔だったんですね」と言う。マスクなしを、この日まで見たことがなかったのだ。これらの、遠さと近さ。

「集まる」というと、私たちは「同じ場所にいる」を考える。でも「同じ時を過ごす」という手もある。さあ、物語には「近くて遠い、遠くて近い」の最高峰が登場する!

表紙に注目してほしい。みんな違う方を向いている。でも「仲間だ」と強く感じる。世界的未曽有の中、顔を上げ、前を向くことを選んだ者たち。

物語には現実をととのえる力がある、とあらためて思った。そしてわたしたちはなんでもすぐに忘れてしまうから(「ステイホーム」「アマビエ」「まんぼう」「三密」と今聞くと、色あせ具合に驚く)、2020年が「小説」で残る価値は大きい。この夏は、永遠だ。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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