【第237回】間室道子の本棚 『ツユクサナツコの一生』益田ミリ/新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ツユクサナツコの一生』
益田ミリ/新潮社
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益田ミリの漫画には益田ミリ時間と呼ぶべきものが流れている。最大の魅力はそれにどっぷりつかること。本書はひたりにひたれた一冊だった。

マスク生活二度目の春。主人公の橋田ナツコはネットに漫画をあげている。週6入っているドーナツ屋のアルバイト仲間に、「店長からチラッと聞きました、橋田さんって漫画家さんなんですか」と話しかけられると、謙遜やテレというよりとまどいがある。しょぼい手持ちのカードを見せて、ナツコというより己の発言がバイトさんたちの関心を買ったことに満足しているのであろう店長にはイラっとくる。(女性たちの等身大のイラつきを書かせたら益田ミリは日本一だ!)

そんな日常に、彼女が描いている「おはぎ屋 春子」が差しはさまれながら物語は進む。

面白いのは、ナツコが春子に驚かされたり学んだりすること。作者は登場人物の思考や運命を握っているものだけど、ナツコは「最後のコマ、春子、なに言いたい」と呼び掛けたり、「春子の親、出てきたか」とふむふむ思ったり、「春子、アンタと私は違うんやな」としみじみしたりする。

職業ではないし趣味ともちがう。「描くか」と机に向かうナツコの背中に毎回味がある。

彼女とって、漫画は心を遊ばせる場所なのだろう。子供を公園に連れていくと思わぬところに走っていったり意外な理由で笑ったり泣いたりするものだが、己の気持ちもそう。解き放てば、自身も知らなかった方向や感情を見せる。そんな自由な読み味がいいし、読者がナツコにすうっと重なる漫画的な仕掛けもある。

ファンはすでにご存じ、また初めて益田作品を読む人は驚くと思うけど、ほんわかした画でユーモアまじりに描かれる核にはシビアな眺めがある。本作にも、終わるどころかひどくなっていくように見えるコロナ禍、認知症になったお客さん、格差社会への思いなどが登場。

ナツコのペンネームは「ツユクサナツコ」といい、本書の冒頭には「露草・・・小さな青い花弁。朝咲いて昼にはしぼんでしまう、はかない花」とある。彼女が初めて自分を描いた漫画「ツユクサ日記」の中にもこの花への思いがでてきて、そのあとさらに、ナツコと読み手がぐーっと重なったあと――。

で、ツユクサ的人生があわれかといえば、そうではないと思うの。私が考えたのは、サイクルをどこから始めるか。午前を中心に見れば、数時間しかもたないんだね、むなしいね、となる。でもお昼過ぎから世界をみれば、「昼にはしぼむが翌朝また咲くたくましい花」になるではないか!

ナツコと周囲の人々の、終りぎわのはじまりやひろがりに注目。『ツユクサナツコの一生』というタイトルを、誰もが噛みしめるだろう。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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