【第239回】間室道子の本棚 『獣の夜』森絵都/朝日新聞出版

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『獣の夜』
森絵都/朝日新聞出版
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非日常を描いた作品はスケールがでかいとか波瀾万丈というイメージだけど、「日常がいちばんただならない」と震撼する短編集。なにせ「得体の知れないことが起きており、この先どうなるか全世界的にわからない」がここ数年のわれわれの「ふつう」だった。収録作にはコロナ禍がでてくるものとそうではないものがあり、いずれにしろ普段のなかにひそむピンチがフレッシュ。

突然だが、大昔に友達のお父さんが教えてくれた話がある。彼は国語の先生だったので、教材にある話なのかもしれないしご自身の創作かもしれない。「温度」が出てくるから、にっぽんむかしばなし的な民話ではないようだ。

【冬のある日、村の気温がここにしてはめずらしくマイナス一度まで下がった。人々がふるえていると、訳知り顔の旅人がやってきて言った。「世界は広く、もっと過酷な地方がいくらでもある。これぐらいで寒がるなんて、君たちは極寒地の人々に申し訳ないと思わないのか」

すると村の長老がでてきて旅人に言い放った。「バカこくでねえ!”マイナス十度のことを考えたらマイナス一度はあったけえ”なんてことはねえ。寒いものは寒い。そしてマイナス一度の辛さをちゃんと感じねえと、マイナス十度の皆さんのきびしさはわからねえ」 似非インテリの旅人はすごすごと去りました。】

こんなことを、本書『獣の夜』の三つ目に収録されている「太陽」を読んでいて思い出した。

主人公は尋常でない歯痛に襲われている三十代の女性。緊急事態宣言で歯科がどこも予約で満杯か休業している中、奇跡的に見つかったのが風間医院の風間先生だった。自分と同年代かやや年下の男性医。くりくり目玉にくるくる天然パーマ。愛嬌たっぷりの彼は、彼女の奥歯を見て宣言した「これは虫歯じゃありません。代替ペインです」。

そして、「心的理由で胃や頭が痛むことはよく知られているけどあなたの場合は歯に出ました。ご自身を悲しませ、苦しめているものを探してください。僕もお手伝いします。二人三脚でがんばりましょう」とつぶらな瞳キラキラなのである!

主人公はまずパンデミックを思うけど、この痛みの根っこにあるのは「新型ウイルス、こわい、ひどい」というものではなくもっと個人的なものだ、と本能的に察している。で、翌々日、先生に電話をし、ある男とのてんまつをしゃべってみた。でも話しながら思うのだ。この激痛に、奴は原因としてものたりなすぎる・・・。予想は当たり、源を直視すれば消えるはずの痛みはおさまらない。

その後さいきんのさまざまな難儀、失敗、無念をためすがどれも違う。そんな彼女に先生は考えの方向転換をアドバイスする。思い出すだけでキーっとなることではなく、「あなたが取るにたらないと思いこもうとしていることはなんですか」。そこから浮上した代替ペインの犯人とは?

自分はあんなもののことで?と呆然とする主人公に風間先生が放った一言がいい。

このほか、海辺でロックンロール、サプライズパーティ、てるてる坊主などが登場する全七話。「日常から非日常へ」が大鉈振るいの大反転だとすれば、七作の日々に走った亀裂は紙で手を切ったくらいのもんだろう。でも「ダンプにはねられた人のことを思えば血を流す私の人差し指は無痛」ではないのだ。

他者の痛みがわかるということ、自分から目をそらさないこと、その本質を再確認させてくれる一冊。アフターコロナを噛み締めながら読むとしみじみします。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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