【第259回】間室道子の本棚 『ホットプレートと震度四』井上荒野/淡交社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ホットプレートと震度四』
井上荒野/淡交社
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前週の『照子と瑠衣』の書評で「圧力鍋のふたをこわくて開けられない男性はどれくらいいるだろう」ということを書いたが、本書は同じ井上荒野さんの、台所道具小説。

先回ああ書いたものの、キッチンに入る男性は令和五年ともなれば珍しくなく、休日同窓会に出かける妻に「おい、俺の昼飯はどうなるんだ」と朝食を食べたばかりなのに不機嫌に言うダンナとか、「料理をした、と夫が得意げにいうので台所に行ってみると、洗い物をぜんぜんしてないうえに野菜くずや調味料の飛び跳ねでシンク周りが大惨事」という光景はレアなのかもー。信じていいですかー。

閑話休題、そんな「男の料理してます派」にも、「家事は私が100%」の女性にも、これは手にとったことがないな、うちにもあるのかな、どこで売ってるの?となる品々が本書には登場。

オシャレ感、最先端感なし。でてくるのはゼリーの型、アクリルたわし、錆びた釘など、キッチン用品のなかでもとるにたらないものたち。水餃子の皮をこねる時オンリーで使っている調理台代わりの机とか、薪ストーブとか、その家ならではのものもある。

荒野さんの短編集といえば、先月出た『錠剤F』、文庫化された『ママナラナイ』をはじめ、日常ににじり寄る不穏さ、ひっくり返る世界、きしむ人生といった、読後「ひー」とか「はー」とか悲鳴を上げたくなるドラマが多い。で、今回は日本文化の書籍で有名な老舗出版社刊行のためか、わりとやわらかめ。でもそこに至るまでの男女の機微は、あいかわらず「ひー!」「はー!」である。

たとえば二話目に登場するのは四十過ぎのイタリアンレストランのシェフ。彼は高校生の息子のクリスマスパーティのために自分のお店を提供してやる。カップル成立となったらしい息子とGF,そんな息子に片想いしているおとなしめの少女に目をやりながらも、この男は来週のことで頭がいっぱいだ。

この店に自分の高校時代の仲間が二十四年ぶりに集まる。初体験の相手であるナオミも。彼女は彼にとって今もスペシャルな女なのだ。今さらどうこうなりたい気持ちはない。でも・・・!

プレゼント交換のために彼はあるものを買った。音楽に合わせてぐるぐる回すからナオミに渡るとは限らない。でも包みはその場で開けられる。選んだ俺の気持ちを彼女に察してほしい、と彼は願っている。私の考えでは、その瞬間のナオミを彼はぜったい目にしたいだろうし、俺、今のお前を見たよ、と彼女に知ってほしいだろう。

そこで彼はハッとする。店には自分の妻がいていつものように料理の補佐をするのだ!誰が誰の何を見るのか。ナオミの目、自分の顔面、妻の視線。みつどもえを妄想しての悶絶!こういうからまりぐあいは、著者の荒野さんの真骨頂だ。

台所そのものにもいい場面がある。四話目では大学時代の映画サークルにいた亡き男性の家に仲間たちが集まり、形見分けとしてDVDをもらっている。ある人物が遅れて加わり、その人に促され、キッチンで器ももらうことになる。で、みんなは気づくのだ。台所をこんなふうに整えたのは、誰なのかを。

具体は書かれない。でも本の中のみんな、そして読者に、いろんなことが染みわたり、漂う気持ちに包まれる。心揺さぶられるシーンだ。

さっき「とるにたらない」とか書いたけど、ありふれた道具をかけがえのないものにするのは、人と場所の深まりだ。テーマになったものたちの手触り、持ち重り、長い時間の気配まで伝わる、すばらしい一冊。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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