【第260回】間室道子の本棚 『川のある街』江國香織/朝日新聞出版

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『川のある街』
江國香織/朝日新聞出版
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三編が収録されており、すべてに「流れるもの」が出てくる。川と、時間と、人生である。

最初の話では八歳の女の子が、服という具体を通じて(自分のは上半身がぴったりしていてウエストにギャザーがたっぷりついた母お手製のワンピース、相手が着ていたのは丈が長くてポケットがたくさんついた深緑色のコート)、大人と子供では、一年、二年の過ぎ方がまるで違う、と驚く場面がフレッシュ。

第二話では遠目には時が止まったように見える田舎町で、ものすごくアクティブな人間関係と、人間ではない関係(!)が編みあげられていく。その逆もある。面白いなあと思ったのは菊村さん。

この人は三人目がお腹にいて、現在妊娠高血圧症候群で入院中。弟の元カノがよくお見舞いに来る。菊村さん曰く弟は東京で「変な女につかまっちゃって」、その人と結婚すると言い出したのだ。

新規の女のうさんくささ(製薬会社のエリート、帰国子女、イギリスの大学院、結婚詐欺?!)や、弟の「あんぽんたん」を同室の女性にしゃべりまくる一方、元カノのことは「自分を昔からお姉さんと呼んで慕ってくれて」と思いやる。ベッドのまわりにはにぎやかな女性の見舞客が多く、病室にはドトウの時間が流れていそうだが、読んでいてふと思った。元カノと菊村さんのあいだでは、時が止まっている。

いくら「おなじ場所に昔から住んでいる人同士の結びつきが強い土地柄」であっても、元カノに今カレができたら、「元カレのお姉さんのところによく」にはならないと思うの。私の考えでは、菊村さんと元カノは楽しく対面しているようで、ふたりとも視線の先にはれいの弟がいる。自分たちのてのひらを転がり出て、東京でまるで知らない関係をつくったオトコ!菊村さんの時間を動かすのは誰か、乞うご期待!

圧巻は三編目。舞台は運河が張り巡らされた海外の街だ。

移住して四十数年、高齢になった芙美子の様子がおかしい。四十代半ばになる姪の澪が日本から様子を見にやって来る。

大好きだった伯母は集中力を欠き、我慢が効かなくなり、時々目がうつろになる。でも昔と変わらぬ冴えも見せるし、あの時代に大学教師の職を捨て、若い事務員だった希子さんとともに国を飛び出した勇気と情熱、決断と行動の人なのだ。そんな伯母に、自分の父が願っている帰国を促せるか。澪は惑う。

読みどころは異変の進む姿がちっともみじめに描かれていないこと。近所で迷子になった夜、風景は濡れたように美しく、川の匂いがし、周囲はにぎやかで、カップル、観光客、学生たちが笑顔でそぞろ歩いている。「人々がみんないまこの瞬間を愉しんでいることがわかり、その一点において同胞だ」と思う芙美子のおおらかさ。

また、日本のテレビ局でばりばり働き、心優しい両親と恋人がいる澪が、運河とたくさんの美術館のあるこの異国で「あり得たかもしれない未来」を想像する場面もいい。彼女はそのあとそれを「偲ぶ」。あきらめたのではない。想像し過ぎて気が遠くなるほど心を自由に飛ばせば、起きなかったことさえ、人生にきざまれるのだ。

からだの外に流れる何日、何年という時間と、内側に流れる記憶、思い出、そして未来。たゆたう感じがたまらない極上の一冊。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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