【第269回】間室道子の本棚 『あなたの言葉を』辻村深月/毎日新聞出版
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『あなたの言葉を』
辻村深月/毎日新聞出版
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辻村深月さんの本書について書く前に、ラジオでやっていたオードリー若林正恭さんの話をご紹介。
若林さんには二歳半になるお嬢さんがいて、奥様不在で父娘だけの日、かくれんぼがしたいと言ってきた。そして娘より衝撃の一言。「ふたりで、かくれましょう」
これ、どうなる?と思いながら彼はにこにこ顔のわが子に導かれ、一緒に机の下にもぐりこんだ。・・・時間だけがたつ。そりゃそうだ、だれも探しに来ないんだもん。で、しばらくしてお嬢さんはパパの目!を見ながら「もーいーかい?」と言ったそうなのである。え、どうする?!
少なくとも今は「もーいーよ」じゃないよな、と判断し「まーだだよ」と言ってみた。おのぞみのリアクションだったらしくお嬢さんは満足気。で、娘「もーいーかい」、父「まーだだよ」は三ターンほど続き、そのあとかくれんぼは意外な終わり方をした。
若林さんには、ううむ、と思うことが二つあった。
まず、娘は保育園に通っている。「ふたりきりのかくれんぼでふたりともかくれる」を園でおともだちに提案したら、「あの子、へん」となっちゃうかも。今日遊んだのは実は正しいやり方ではない、と教えるべきか。
一方、かくれんぼの魅力ってなんだったろう、と若林さんは思いをめぐらせる。”とっておきのところに自分だけ隠れる”と、”好きな子と同じ場所でくすくす身を寄せ合う”。後者のほうが楽しかった、と彼はふりかえるのだ。
で、ううむの二つ目。家での変則かくれんぼが続く中、若林さんには娘に持ちかけてみたいことがあった。で、ある日言ってみた。「ふたりでさがそう」。
みなさん、どうなったと思います?ご興味あるかたはYouTubeにあがっている2024年3月16日のオールナイトニッポンをどうぞ!
閑話休題、辻村さんの本書は毎日小学生新聞連載をまとめたもので、たいていの方は、子供たちが感じているさまざまな疑問や息苦しさに寄り添い、私も子供の頃そうだったよ、大人の今はこう思うよ、と述べて行く、というものを考えるでしょう。ちがうのー。読みどころは、辻村さんの「地続き感」。
「はじめに」にあるのだが、辻村さんは少女だった自分の気持ちを載せたまま大人を過ごしている。「忘れてない」というレベルではない。読んでいると、「大人辻村さん」を押しのけて「子供辻村さん」が出てきた、と思える瞬間に出くわす。
たとえば、今でも胸に残る「あなたは努力家」という言葉への違和感。コロナ禍休校中に舞い込むようになった「今だからこそ、読書の大切さについて語ってほしい」という仕事を喜んで引き受けつつ、依頼主に対して聞いてみたいこと――「あなたはどうして読書が大切だと思うんですか?」
この、行間に走る火花のような思い。「コドモじみてる」ではないし、「トラウマ」とも違う。人に前を向かせる本気のくやしさ。これを読み取れるのは子供以上に、「子供の自分がまだ”いる”大人」なんじゃないかと思うのだ。
さて本書の中に、前出の若林さんのような、「え、それってどういうこと?」となるエピソードがある。
辻村さんには小学三年生の息子さんと五歳になる娘さんがいる。で、年末に写真を整理していたら、お嬢さんのほうが一歳ごろのご長男の写真を見て言った。「これ、お兄ちゃんが”妹”だった時の写真?」
さて、いかにして「お兄ちゃんが妹」という言葉は生み出されたのか。辻村さんの推理が冴える!
思ったのは、「大人は子供にためされている」ということだ。彼らがなにかを仕掛けてくるということではなく、子供は生きてるだけで、こちらの存在をゆさぶるような難問奇問大事件を発してくる。「訂正してオワリ」「正解を教えればOK」ではないの。大人は生きてる以上、それに応えていかなければならない。義務や苦痛ではなく、ヨロコビとして。
若林さんも辻村さんも、そういえば「言葉の人」だ。帯に「これから大人になる人たちへ」とあるけど、かつて子供だった人へもすすめたい一冊。
若林さんには二歳半になるお嬢さんがいて、奥様不在で父娘だけの日、かくれんぼがしたいと言ってきた。そして娘より衝撃の一言。「ふたりで、かくれましょう」
これ、どうなる?と思いながら彼はにこにこ顔のわが子に導かれ、一緒に机の下にもぐりこんだ。・・・時間だけがたつ。そりゃそうだ、だれも探しに来ないんだもん。で、しばらくしてお嬢さんはパパの目!を見ながら「もーいーかい?」と言ったそうなのである。え、どうする?!
少なくとも今は「もーいーよ」じゃないよな、と判断し「まーだだよ」と言ってみた。おのぞみのリアクションだったらしくお嬢さんは満足気。で、娘「もーいーかい」、父「まーだだよ」は三ターンほど続き、そのあとかくれんぼは意外な終わり方をした。
若林さんには、ううむ、と思うことが二つあった。
まず、娘は保育園に通っている。「ふたりきりのかくれんぼでふたりともかくれる」を園でおともだちに提案したら、「あの子、へん」となっちゃうかも。今日遊んだのは実は正しいやり方ではない、と教えるべきか。
一方、かくれんぼの魅力ってなんだったろう、と若林さんは思いをめぐらせる。”とっておきのところに自分だけ隠れる”と、”好きな子と同じ場所でくすくす身を寄せ合う”。後者のほうが楽しかった、と彼はふりかえるのだ。
で、ううむの二つ目。家での変則かくれんぼが続く中、若林さんには娘に持ちかけてみたいことがあった。で、ある日言ってみた。「ふたりでさがそう」。
みなさん、どうなったと思います?ご興味あるかたはYouTubeにあがっている2024年3月16日のオールナイトニッポンをどうぞ!
閑話休題、辻村さんの本書は毎日小学生新聞連載をまとめたもので、たいていの方は、子供たちが感じているさまざまな疑問や息苦しさに寄り添い、私も子供の頃そうだったよ、大人の今はこう思うよ、と述べて行く、というものを考えるでしょう。ちがうのー。読みどころは、辻村さんの「地続き感」。
「はじめに」にあるのだが、辻村さんは少女だった自分の気持ちを載せたまま大人を過ごしている。「忘れてない」というレベルではない。読んでいると、「大人辻村さん」を押しのけて「子供辻村さん」が出てきた、と思える瞬間に出くわす。
たとえば、今でも胸に残る「あなたは努力家」という言葉への違和感。コロナ禍休校中に舞い込むようになった「今だからこそ、読書の大切さについて語ってほしい」という仕事を喜んで引き受けつつ、依頼主に対して聞いてみたいこと――「あなたはどうして読書が大切だと思うんですか?」
この、行間に走る火花のような思い。「コドモじみてる」ではないし、「トラウマ」とも違う。人に前を向かせる本気のくやしさ。これを読み取れるのは子供以上に、「子供の自分がまだ”いる”大人」なんじゃないかと思うのだ。
さて本書の中に、前出の若林さんのような、「え、それってどういうこと?」となるエピソードがある。
辻村さんには小学三年生の息子さんと五歳になる娘さんがいる。で、年末に写真を整理していたら、お嬢さんのほうが一歳ごろのご長男の写真を見て言った。「これ、お兄ちゃんが”妹”だった時の写真?」
さて、いかにして「お兄ちゃんが妹」という言葉は生み出されたのか。辻村さんの推理が冴える!
思ったのは、「大人は子供にためされている」ということだ。彼らがなにかを仕掛けてくるということではなく、子供は生きてるだけで、こちらの存在をゆさぶるような難問奇問大事件を発してくる。「訂正してオワリ」「正解を教えればOK」ではないの。大人は生きてる以上、それに応えていかなければならない。義務や苦痛ではなく、ヨロコビとして。
若林さんも辻村さんも、そういえば「言葉の人」だ。帯に「これから大人になる人たちへ」とあるけど、かつて子供だった人へもすすめたい一冊。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。