【第276回】間室道子の本棚 『迷子手帳』穂村弘/講談社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『迷子手帳』
穂村弘/講談社
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歌人・穂村弘さんの最新エッセイ。帯にシビれた。「これ一冊あれば、あなたもきっと迷子になれる。」と書いてあったのである!

「これさえあれば、迷子にはなりません」ではないのだなあ。考えてみれば、警察手帳や生徒手帳って「これがあれば警官、生徒にならなくてすみます」ではないもんね。むう。

「なれる。」にも興奮した。思えば大人も迷子になる。正しくは迷大人なのかもしれないが、この場合の「子」とは、おぼつかなく、あぶなっかしく、こころぼそい存在と読み取るべきだろう。じっさいの道路上や山の中以外に、われわれは仕事で、恋愛で、生き方で、どちらに進むべきか心的迷子になる。その一方で、「私の一生はGPS付き。これでもう確実に安全にあがりです」にものたりなさやむなしさを感じるのも人間。「ルートが決まってることが迷子」なの。おお。

社会生活で道を誤ると「人生遭難」に陥るけど、本の中でならいくらだって迷子になれる。子供は大泣きしかないが、大人の場合は「味わい」ができる。行先や帰り道がわからなくなっただけなのに、なにあの世界の外に出ちゃったかんじ。「困る」というより「不思議」で、異次元に放り込まれた気分。それを味わうことで、本を閉じたあとの現実が少し軽くなる。

閑話休題、本書では、誰が迷子なのか、境目がないのが読みどころ。たとえば、ある日穂村さんと奥様は電車の中で眠っている小学一年生くらいの女の子を見かける。斜め前の席のその子の背にはランドセル、右手には、学校で配られたのだろう、プリントらしきものがあった。

電車は揺れる。ゆるむ指先。おきない少女。あきらかにピンチなのはこの子だ。でも、心もとなく、どうしようどうしようと思っているのは周囲の乗客たち。むしろ女の子以外の全員が迷子。さて、どうなる!?

このほか、地方都市の寝具屋の、鬘がちょっとずれてるネグリジェ姿のマネキン、有名な遊園地のそばにある嘘の標識、富士山に登りたい八十八歳の父など、わびしいのは、それているのは、いろんなサポートが必要なのは、あちらであるはずなのに、人形、遊園地名と矢印、お父さんは堂々としていて、直面した穂村さんのほうが気持ちの持って行きどころに右往左往。この読み味がたまらない。

また、穂村さんを見ている人も興味深い。実家で暮らしていた独身時代、いつもすぐに帰宅してくる息子にとつぜんお母さんが投げかけてきた言葉。記念日や誕生日を覚えるのが苦手な穂村さんに、ある日ついに奥様から一言。

描かれているのは、一人息子として、夫として、今世間の真っ当ではない道にいます、となった穂村さんの悶絶なのだけど、私のもやもやをどういう言葉とトーンで言えば、相手を傷つけず、思いを伝えられるか考え抜いたに違いない女性ふたりもまた、迷子の心持ちだったと思うの。選択は、お母様奥様ともに、ハイスピードで直進。潔い!

私がもっとも好きなのは、葬儀屋さんの女の人だ。あるお葬式で、心身のチューニングが狂ったようになった穂村さんは、祭壇にパイナップルと林檎があるのを見て「パイナポーがありますね」とつぶやいた。そばにいた葬儀社の女性の返しがいい。

彼女もまた、「え、こういう時、どう行くのが正解?!」だったはずで、迷える者同士のコール&レスポンスが実を結んだうつくしい瞬間がここにある。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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