【第277回】間室道子の本棚『クスノキの女神』東野圭吾/実業之日本社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『クスノキの女神』
東野圭吾/実業之日本社
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この欄の第93回で紹介した『クスノキの番人』の第二弾。

正編では、あることをしでかし窮地に陥った二十代前半の主人公・玲人と、とつぜんあらわれ「あなたの亡き母親の、歳の離れた姉です」と名乗った七十代の千舟(日本を代表する企業・柳澤グループの最高顧問!)とのデコボコ交流を軸に、この伯母の意向で「神社の木の番人」というにっぽん昔話的職業に就くことになった玲斗(言動と性格は令和男子の権化)の成長、さらに「クスノキとは何か」の謎が描かれていった。

本書では、作務衣姿で鳥居周辺の清掃にはげむ玲斗の前に、「神社に詩集を置いてほしい」と女子高校生があらわれるところからお話が始まる。プリンター印刷をホチキス留めした簡易中の簡易製作。一部二百円。

でもここは木の秘密を知る者にとって重要なだけで、地元民にとっては「境内って便利な空き地ね」ぐらいの認識。全体的にボロく、参拝客はほぼ無く、お守りやお札も売っていない。玲斗は断ろうとするが、彼女はきょうだい二人を連れていた。ナマイキ口調だった小学校高学年くらいの弟は頭を下げ、幼い妹の瞳はかなしげ。そしてぶっちゃけ、女子高生は美少女であった。

というわけで許可したのだけど、一か月ほど経ったところでお代を払わず詩集を持ち逃げしようとした中年男(現在所持金六百円。今日明日残り四百円で過ごすのはツラいんだって!)が登場。さらに町で強盗致傷事件が発生。

そして物語の半ばから、「明日の僕へ」という日記めいたものが差しはさまれる。書いているのは年若い男の子らしい。今日のできごとのほかに、会った人の似顔絵や買ったものの置き場所が書かれていて、読んでいて「ん?」となる。そのあと誰もが「ああ」と息をもらすだろう。日記の中学二年男子と、職を引退した千舟が似た状況にあるのがなやましい。この少年と詩集少女が出会い、さらにあの二百円が払えない詩集持ち逃げ未遂男と、強盗に入られ頭を殴られた被害者もつながっていく。

私がもっとも好きなのは、困難を見据えながら毅然とした態度を取り続ける千舟だ。そんな彼女だからこそ、ブリ大根の場面に胸を打たれた。

彼女はある夜台所で、魚と大根を前になすすべがなくなる。二日前、「俺は前科者」と言った玲斗に、「起訴されてないのだからそうではない、愚かな行為を反省するのはいいけど自己卑下はだめ、卑屈は甘え」と啖呵を切った大企業の元最高顧問が、「もうすっかり役立たずの婆さんね」「あなたにとって邪魔者でしかない」と弱音吐きまくりだ。玲斗が立ち上がる。

その後美味しくできたブリ大根を二人で食べながら、千舟があることを言う。笑みは皮肉っぽく、発言は本心でないかもしれない。でも高齢の伯母は若い甥に、自分はまた前を向きましたよ、という心意気を見せたのだ。

読みながら、過去と将来って、時間の経過で自然にもたらされるのではなく、勝ち取りに行くものではないかと思った。うつむかずに振り返る時見えるもの、それが己の歩みだ。まっすぐ顔を上げた今の先にあるもの、それが未来だ。クスノキの女神が語る物語の言葉が、読後、私たちの胸に宿る。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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