【第280回】間室道子の本棚 『読んでばっか』江國香織/筑摩書房
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『読んでばっか』
江國香織/筑摩書房
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江國香織さんの、本にまつわる最新エッセイ。こんなふうに読めたら、といつも胸が熱くなる。恩田陸さん、岸本佐知子さん、津村記久子さんなど、好きな読書エッセイの書き手はたくさんいるけれど、こう思うのは江國さんだけ。
無駄であるのはわかっている。誰かのように書きたいとか歌いたい走りたい演じたいなら、模写から入るとか発声方法、筋トレ研究などできるだろう。でも「読みたい」。おいしそうに食事をしている人を見て、「あんなふうに食べたい」となるのと一緒。無理無理。舌が違う。
そして「読めたら」のあとに「いいなあ」がつけられないのがポイント。彼女のようにまで読んだら、そのあと自分はどうなってしまうのか、という怖さがあるのだ。私と江國さんとは目が違うのか。頭?感受性というやつ?いや、たぶん場所だ。
『物語のなかとそと』(朝日文庫)に、「(私は)つまり、現実を生きている時間より、物語のなかにいる時間のほうがはるかにながい」とあり、ハッとした。
私の考えでは、江國さんは本のなかにいて、できることならもうそとに出て来たくないのである。
“読書する女”は昔から数々の小説、映画、絵の題材になってきた。”男”はあんまりない。江國さんご自身の著作に本ばっか読んでる男がでてくるものが一作あるけれど、没頭してる時のボーッとした雰囲気や現実に戻される時のいやいや感はちょっと抜けていて、「彼を絵画にしたい」「ぜひ映像製作を!」とはならないだろう。
その点、本に夢中な女の人は絵になる(もちろん、本にも、シネマにも)。ここにいるのにいない、たましいを持っていかれているのがからだごとになってる様子がすばらしい。
わたしにとって江國さんはそのトップで、ぜったい誰も行けない場所に到達しているひと。彼女には、形容詞よりも、はるばる、という副詞を思う。海の彼方とか成層圏のイメージ。
閑話休題、江國さんは本を読むように作者も読む。
「小川洋子というひとは、何一つ突出させない。(中略) たとえば主人公の着ているもの、話す口調、食べるもの。ディテイルをどこか突出させて印象づける、という小説の方法を、このひとは絶対にとらない」
「金原(ひとみ)さんの小説にはいつも、いまという時代が新鮮な血液みたいにすみずみまで流れている。それが必然であるところに、この人の身体性がある」
さらに、「読書」そのものを読んでいる。
「須賀敦子さんの御本を読んでいると、どうしてだろう、雨が降っている気分になる」 「雨の日の、閉じ込められる感じとうす暗さ(中略) 書物の内側と外側、物語の内側と外側、は、雨の日にはほとんど地続きになる。ある種の書物を繙くことは、雨の日を繙くことだ」
さらに不思議な言い方だが書かれる前の自作も「読む」。
今年の二月に出た『川のある街』。本書のP19を開いていただければわかるが、江國さんは「書く前に読んでいる」のである!
人生の立ち位置を物語の内側とする私をほうっておいて――。江國さんの読書エッセイは、なかからそとへのチャーミングな目くばせみたいに思える。みんなが心配するといけないから、こちらの様子をちょっと教えます、という具合。自分と本だけ。その満ち足りたひとりぼっちが『読んでばっか』からあふれ出ている。
無駄であるのはわかっている。誰かのように書きたいとか歌いたい走りたい演じたいなら、模写から入るとか発声方法、筋トレ研究などできるだろう。でも「読みたい」。おいしそうに食事をしている人を見て、「あんなふうに食べたい」となるのと一緒。無理無理。舌が違う。
そして「読めたら」のあとに「いいなあ」がつけられないのがポイント。彼女のようにまで読んだら、そのあと自分はどうなってしまうのか、という怖さがあるのだ。私と江國さんとは目が違うのか。頭?感受性というやつ?いや、たぶん場所だ。
『物語のなかとそと』(朝日文庫)に、「(私は)つまり、現実を生きている時間より、物語のなかにいる時間のほうがはるかにながい」とあり、ハッとした。
私の考えでは、江國さんは本のなかにいて、できることならもうそとに出て来たくないのである。
“読書する女”は昔から数々の小説、映画、絵の題材になってきた。”男”はあんまりない。江國さんご自身の著作に本ばっか読んでる男がでてくるものが一作あるけれど、没頭してる時のボーッとした雰囲気や現実に戻される時のいやいや感はちょっと抜けていて、「彼を絵画にしたい」「ぜひ映像製作を!」とはならないだろう。
その点、本に夢中な女の人は絵になる(もちろん、本にも、シネマにも)。ここにいるのにいない、たましいを持っていかれているのがからだごとになってる様子がすばらしい。
わたしにとって江國さんはそのトップで、ぜったい誰も行けない場所に到達しているひと。彼女には、形容詞よりも、はるばる、という副詞を思う。海の彼方とか成層圏のイメージ。
閑話休題、江國さんは本を読むように作者も読む。
「小川洋子というひとは、何一つ突出させない。(中略) たとえば主人公の着ているもの、話す口調、食べるもの。ディテイルをどこか突出させて印象づける、という小説の方法を、このひとは絶対にとらない」
「金原(ひとみ)さんの小説にはいつも、いまという時代が新鮮な血液みたいにすみずみまで流れている。それが必然であるところに、この人の身体性がある」
さらに、「読書」そのものを読んでいる。
「須賀敦子さんの御本を読んでいると、どうしてだろう、雨が降っている気分になる」 「雨の日の、閉じ込められる感じとうす暗さ(中略) 書物の内側と外側、物語の内側と外側、は、雨の日にはほとんど地続きになる。ある種の書物を繙くことは、雨の日を繙くことだ」
さらに不思議な言い方だが書かれる前の自作も「読む」。
今年の二月に出た『川のある街』。本書のP19を開いていただければわかるが、江國さんは「書く前に読んでいる」のである!
人生の立ち位置を物語の内側とする私をほうっておいて――。江國さんの読書エッセイは、なかからそとへのチャーミングな目くばせみたいに思える。みんなが心配するといけないから、こちらの様子をちょっと教えます、という具合。自分と本だけ。その満ち足りたひとりぼっちが『読んでばっか』からあふれ出ている。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。