【第284回】間室道子の本棚 『猛獣ども』井上荒野/春陽堂書店

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『猛獣ども』
井上荒野/春陽堂書店
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複雑を超え、”奇っ怪”にまで達している男女や家族の関係を文学に昇華させる名手・井上荒野さんの『猛獣ども』。ゾウとかカバが出てくるのかなあ、とは誰も思わず、人間の獣性が暴かれていく話だな、と皆さん予想するでしょう。当たりです!でもバイオレンスシーンは出てこない。

子供なら胸を痛めるかもしれぬが、自然界の法則を知る大人ならライオンがシマウマの肉をむさぼるシーンを見ても「カワイソー、残酷ねえ」とは思わないだろう。あれは単なるお食事。ワニの大口とかサイの角による一撃も、彼らには「ふりかかる火の粉は払わにゃなるめえ」にすぎない。

私が動物を猛獣だな、と意識するのはスピード。しのび寄りにしろ突進にしろ、彼らは思いもよらない速さでいつのまにか私たちのすぐそばにいる。

前置きが長くなったが、舞台は山間の別荘地。「住み込みの管理人募集」に個人で応募し採用されて三年になる小松原慎一の元に、二十五歳の小林七帆がやってくる。自分より三歳下の彼女のほうは一帯を管理している不動産会社の東京本社からの転任だ。

お互いになんとなく感じているが、どちらもわけありなことをしでかしてここに流れてきた。で、七帆の着任日に管理区域内で、ある獣のために二人が死ぬ。

読みどころは、人間っぽい行動とけもの的な行為はすごく近い、ということ。

別荘地の住人たちが知りたがっているのは「獣はどうなった」ではなく、死んだ二人についての「どこから来たの?男女なんでしょ?どういう関係なの?なんであんなところにいたの?」というスキャンダル的プロフィールだ。そして口コミで被害者の情報が出回り、その日の終りには管理事務所に怪文書が投げ込まれる。好奇心やヤジ馬精神は人間ならではだが、嗅ぎつけ、歯をむき出しにし、食いつくかんじがケダモノっぽい。

また、「自分が傷ついたことを仲間に知られたくない」「”出会い系”の行動半径の広さ」「五十歳を過ぎてギラギラしはじめた、妻への性欲。でもロマンチックな夜が演出したい」「単純さへの耽溺」「ミスへの怒りはない。だが相手を痛めつける楽しみは逃さない」「寂しさにも慣れて、愛されなくても平気になって、愛することもあきらめて」――これは人間的なの?それとも獣なの?というシーンがわんさか。

さらに、「すごく憎んでいる相手と離れず、せっせと世話もし、心の雄叫びを押さえつけて生きている夫婦」「最初にタイミングを逃したことで妻にひみつを持つことになり、そのままにしている夫/もちろんそんなことはとっくの昔に把握済みで、でも夫には、あなたのひみつを知っている、ということをひみつにしている妻=二人は深く愛しあっている」etc、もしも動物に知性があったら「ニンゲンって、なんて変な生き物なんだろう。頭が悪いんだな」とあきれられそうな生態もぞろぞろ。

服を着ていても、言葉を発しても、誰かを愛しても、私たちはみんな猛獣なのだ。そして容赦のないまなざしで人間の奥底に踏み込み、その腕でわれわれのもっともやわらなところをえぐる。井上荒野さんは、文学界最強である。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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