【第287回】間室道子の本棚『バリ山行』松永K三蔵/講談社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『バリ山行』
松永K三蔵/講談社
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まずタイトルにシビれた。山行は「さんこう」と読む。山歩きの話らしい。で、「バリ」って何?
まず浮かんだのは『バリバリ伝説』。しげの秀一先生のオートバイ漫画で、世界大会まで行く二輪レースの物語だ。私の記憶では当時、現実/創作物を問わず、暴走族およびヤンキーの皆さんもよく「バリバリ」と言っていた。これは単車の爆音をあらわす擬音語であるとともに、「課題をばりばりやる」といった、なにかを猛烈にこなす時の擬態語も兼ねているんだろう。
さらに、プラモデルでパーツを切り出す時出来る、小さなでっぱり。あれをバリと言う。福岡弁では「すごく」の意味で「バリ」を使う。「罵詈雑言」という四字熟語も思い出した。そして落書きも。
大昔のある朝、うちの近所の廃工場の塀に「ババリ全開」というスプレー書きがあらわれた。暴走族なんか来ない、不良っぽい人は数人で、全員の名前や家族構成、親御さんの職業まで皆さんご存じ、というひなびた地域だったが、書いた者は興奮とあせりで頭と手がすべったのであろう。しばらく小学生たちの笑いものになっていた。でも「自分たちの荒ぶるマーキングを注意深く間違えぬよう書く」って、逆に変。「ババリ」には「バリバリ」を超えた、前へ前へという気持ちがあるな、とハイティーンだった私は思っていた。
閑話休題、『バリ山行』のバリはある意外な英単語から来ており、カタカナ英語として我々がふつうに使ってる言葉の短縮だった。拍子抜けというか、本書でおこなわれるバリのトガりぐあいや熱は、上記にあげたいくつかから来ています!のほうがナットクできそうな・・・。
物語の主人公は、建物外装修繕の専門会社で働く「私」。彼は社内にできた登山グループに誘われ、参加し、ハマる。家には歩き始めた娘がいるが、フルタイムで大手保険会社に勤めている妻は活動を認めてくれた。「私」には、営業成績はよかったのに、仲間うちのつきあい=飲みだの麻雀だの磯釣りだのゴルフだのに一切乗らなかったため、前の会社でリストラの対象に、という苦い経験があったのだ。
やがて芽鹿(めが)さんという先輩が登場する。「バリ」をやっているのはこの男。それはぶっちゃけ、山における反則技。通常の登山者からすれば、危険&破壊行為だ。でも「私」はちょっと芽鹿さんとバリにあこがれる。
実はこの先輩、社内でもバリ的行動をしていた。もうこまごました相手は切って、大口のアーヴィン・ホールディングス一社が回してくれるもののみをやっていこう、という社長の方針に従わず、こっそり道具を持ちだしては小さな顧客たちの困りごと解決に暗躍。でも組織からしたら、これは正当な道ではない。芽鹿さん、このままだとやばいんじゃないの、と読者は感じるだろう。「私」も彼の行動に戸惑う。
でも読みながら、行先を見失っているのは誰よ、とも思うのだ。「私」たちの社長をあだ名で呼び、我がもの顔で事務所に入ってきてお茶を飲んでいるアーヴィンの子会社の代表取締役。部署や同調者ごとに居酒屋に集まり、現状のやばさを口にしては怒鳴ったりへらへらしたり「人員整理の対象予想」で露骨に仲間の名前をあげ合ったりしてる社員たち。「私」はそこにも参加するようになる。なぜなら、評価されるのは実績ではなく立ち回りだからだ。これが、まっとうな仕事の貫きかたなの?
そんな中、我関せずで、休日にひとりバリを続ける芽鹿さん。「私」が彼に向けるのは、いつしかあこがれではなく――。
読後、名付けようのないエネルギーが体にみなぎってきた。「ババリ」という字のようなハズレのまっすぐさ。フレッシュなたぎり。今も誰かが道なき道をかき分け続けてるような・・・。
第171回芥川賞受賞作。
まず浮かんだのは『バリバリ伝説』。しげの秀一先生のオートバイ漫画で、世界大会まで行く二輪レースの物語だ。私の記憶では当時、現実/創作物を問わず、暴走族およびヤンキーの皆さんもよく「バリバリ」と言っていた。これは単車の爆音をあらわす擬音語であるとともに、「課題をばりばりやる」といった、なにかを猛烈にこなす時の擬態語も兼ねているんだろう。
さらに、プラモデルでパーツを切り出す時出来る、小さなでっぱり。あれをバリと言う。福岡弁では「すごく」の意味で「バリ」を使う。「罵詈雑言」という四字熟語も思い出した。そして落書きも。
大昔のある朝、うちの近所の廃工場の塀に「ババリ全開」というスプレー書きがあらわれた。暴走族なんか来ない、不良っぽい人は数人で、全員の名前や家族構成、親御さんの職業まで皆さんご存じ、というひなびた地域だったが、書いた者は興奮とあせりで頭と手がすべったのであろう。しばらく小学生たちの笑いものになっていた。でも「自分たちの荒ぶるマーキングを注意深く間違えぬよう書く」って、逆に変。「ババリ」には「バリバリ」を超えた、前へ前へという気持ちがあるな、とハイティーンだった私は思っていた。
閑話休題、『バリ山行』のバリはある意外な英単語から来ており、カタカナ英語として我々がふつうに使ってる言葉の短縮だった。拍子抜けというか、本書でおこなわれるバリのトガりぐあいや熱は、上記にあげたいくつかから来ています!のほうがナットクできそうな・・・。
物語の主人公は、建物外装修繕の専門会社で働く「私」。彼は社内にできた登山グループに誘われ、参加し、ハマる。家には歩き始めた娘がいるが、フルタイムで大手保険会社に勤めている妻は活動を認めてくれた。「私」には、営業成績はよかったのに、仲間うちのつきあい=飲みだの麻雀だの磯釣りだのゴルフだのに一切乗らなかったため、前の会社でリストラの対象に、という苦い経験があったのだ。
やがて芽鹿(めが)さんという先輩が登場する。「バリ」をやっているのはこの男。それはぶっちゃけ、山における反則技。通常の登山者からすれば、危険&破壊行為だ。でも「私」はちょっと芽鹿さんとバリにあこがれる。
実はこの先輩、社内でもバリ的行動をしていた。もうこまごました相手は切って、大口のアーヴィン・ホールディングス一社が回してくれるもののみをやっていこう、という社長の方針に従わず、こっそり道具を持ちだしては小さな顧客たちの困りごと解決に暗躍。でも組織からしたら、これは正当な道ではない。芽鹿さん、このままだとやばいんじゃないの、と読者は感じるだろう。「私」も彼の行動に戸惑う。
でも読みながら、行先を見失っているのは誰よ、とも思うのだ。「私」たちの社長をあだ名で呼び、我がもの顔で事務所に入ってきてお茶を飲んでいるアーヴィンの子会社の代表取締役。部署や同調者ごとに居酒屋に集まり、現状のやばさを口にしては怒鳴ったりへらへらしたり「人員整理の対象予想」で露骨に仲間の名前をあげ合ったりしてる社員たち。「私」はそこにも参加するようになる。なぜなら、評価されるのは実績ではなく立ち回りだからだ。これが、まっとうな仕事の貫きかたなの?
そんな中、我関せずで、休日にひとりバリを続ける芽鹿さん。「私」が彼に向けるのは、いつしかあこがれではなく――。
読後、名付けようのないエネルギーが体にみなぎってきた。「ババリ」という字のようなハズレのまっすぐさ。フレッシュなたぎり。今も誰かが道なき道をかき分け続けてるような・・・。
第171回芥川賞受賞作。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。