【第296回】間室道子の本棚 『気の毒ばたらき きたきた捕物帖(三)』宮部みゆき/PHP研究所
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『気の毒ばたらき きたきた捕物帖(三)』
宮部みゆき/PHP研究所
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宮部みゆき先生の江戸ミステリー第三弾。
あまたの推理ものや刑事ものでは、「未解決事件の犯人をつかまえれば関係者はスッキリ」が定番。捜査陣はそのために奔走する。しかし本書では。
急死した岡っ引き・千吉親分の子分の中でも下の下の下だった十六歳の北一は、亡き親分のおかみさんのところに出入りしながら、文庫(厚紙製の箱)売りをして暮らしている。おかみさんは目が見えないが耳と鼻と記憶力がばつぐん。二人が力をあわせ、謎を解いていくシリーズ、三冊目となる本作では、北一を「千吉親分の跡を継いだんだろ?」と考える者もでてきた。
下下下の北一にもちろんそんなつもりはなかった。でもご近所だけでなく、ものすごく上のほうのお方からも跡目と思われはじめ、また数々の謎に挑むうち自負も出てくる。本書二話目の「化け物屋敷」で北一は、前作『子宝船 きたきた捕物帖(二)』でちょっと触れられた、貸本屋・村田治兵衛の事件に乗り出そうとする。
物語を重ねるうち、北一は深川のはずれに自分の文庫製作場を持つまでになった。で、前作で貸本・村田屋の治兵衛さんが本と箱をセットにして商売しようじゃないか、とアイデアを出してきた。これに待ったをかけたのが、文庫作業頭の末三じいさんである。
治兵衛には二十八年前、新婚妻のおとよが神隠しにあい、その後死体で見つかる、という過去があった。末三じいさんはこの悲劇+まるで別件なのだが数年前に治兵衛と親しかった若者が死んだことを重ね、「身近でこんなことが二度もあるのは業の深い人間だからだ」と村田屋をきらっているのだ。この件がそのままになっていた。
宮部作品で江戸の生き字引と言えばこの人!である「おでこさん」が本書にも登場。北一は彼のもとをたずねて詳細を聞き出す(おでこはなんでも知っている!)。そして、「治兵衛さんのおかみさんの身に何が起きたのか、下手人は誰なのか、突き止めさえすれば、末三じいさんが村田屋を嫌がる気持ちを薄めることができるんじゃないか」と考えを話す。だがおでこは言う。「北一さんが期待しているふうにはならない」。
このあとのおでこさん=宮部先生の、人の気持ちというものの読み方にうなった。そして思うのだ。じつはこれって、刑事ドラマや推理もののおみごとな「真犯人逮捕でみんながスッキリ」のウラで、私たちの現実にもともとあったんじゃないかって。おでこさんの言ってることを深堀りしてみた。
無罪判決が出た後でも、「そうは言ってもあの人はあやしかったし、きっと何かはあったはず」と一度思い込んでしまった人を疑い続けるって、ネットでもリアルでもあるあるだ。
自分を責めるケースもある。おとよの両親だ。娘があんなことになったのは、こちらに慢心や過怠があったのでは、と思いつめ・・・。
治兵衛をきらう末三も自身をバッシングし続けたおとよの父母も根本はおなじなのだ。なにか理由をつけないと、この世は「若くて幸せいっぱいだった娘がただ殺されることもある」になる。それは「つらい」を超えて「こわい」。そんな無慈悲がまかりとおる世は、恐ろしくて生きてはいかれない。
そして末三はもう高齢。村田屋治兵衛を敬遠し続けたのは間違いだった、となったら己の二十八年間が崩れる。だからたとえ北一が事件を解き、「真相はこうです」を話されたとて思いは変えない。自分の今までの、そしてこれからの、平静のために。
ここで注意すべきなのは、末三じいさんが根性のねじまがった人間ではないということだ。こんなこと、令和のわれわれにもいくらだってある。江戸の老人と現代情報社会の私たちは、なんと似ていることか。
書物蔵のようなおでこの住まいで、北一が感じたやるせなさが私にも満ちてきた。数え切れぬほどの書物や文書があって、そこには今までの知恵があふれるほど書かれていて、それでもまだ、この世にままならぬことがあるのはどうしてなんだ、と。書で人生は乗り越えられないのか、と。
そして、こうも思う。それでもままならぬことがある、と教えてくれるのもまた、本なのだ。
江戸の話ながら今をえぐる作品で、宮部先生が現代ミステリーとともに時代小説を書いている意味は大きい。
あまたの推理ものや刑事ものでは、「未解決事件の犯人をつかまえれば関係者はスッキリ」が定番。捜査陣はそのために奔走する。しかし本書では。
急死した岡っ引き・千吉親分の子分の中でも下の下の下だった十六歳の北一は、亡き親分のおかみさんのところに出入りしながら、文庫(厚紙製の箱)売りをして暮らしている。おかみさんは目が見えないが耳と鼻と記憶力がばつぐん。二人が力をあわせ、謎を解いていくシリーズ、三冊目となる本作では、北一を「千吉親分の跡を継いだんだろ?」と考える者もでてきた。
下下下の北一にもちろんそんなつもりはなかった。でもご近所だけでなく、ものすごく上のほうのお方からも跡目と思われはじめ、また数々の謎に挑むうち自負も出てくる。本書二話目の「化け物屋敷」で北一は、前作『子宝船 きたきた捕物帖(二)』でちょっと触れられた、貸本屋・村田治兵衛の事件に乗り出そうとする。
物語を重ねるうち、北一は深川のはずれに自分の文庫製作場を持つまでになった。で、前作で貸本・村田屋の治兵衛さんが本と箱をセットにして商売しようじゃないか、とアイデアを出してきた。これに待ったをかけたのが、文庫作業頭の末三じいさんである。
治兵衛には二十八年前、新婚妻のおとよが神隠しにあい、その後死体で見つかる、という過去があった。末三じいさんはこの悲劇+まるで別件なのだが数年前に治兵衛と親しかった若者が死んだことを重ね、「身近でこんなことが二度もあるのは業の深い人間だからだ」と村田屋をきらっているのだ。この件がそのままになっていた。
宮部作品で江戸の生き字引と言えばこの人!である「おでこさん」が本書にも登場。北一は彼のもとをたずねて詳細を聞き出す(おでこはなんでも知っている!)。そして、「治兵衛さんのおかみさんの身に何が起きたのか、下手人は誰なのか、突き止めさえすれば、末三じいさんが村田屋を嫌がる気持ちを薄めることができるんじゃないか」と考えを話す。だがおでこは言う。「北一さんが期待しているふうにはならない」。
このあとのおでこさん=宮部先生の、人の気持ちというものの読み方にうなった。そして思うのだ。じつはこれって、刑事ドラマや推理もののおみごとな「真犯人逮捕でみんながスッキリ」のウラで、私たちの現実にもともとあったんじゃないかって。おでこさんの言ってることを深堀りしてみた。
無罪判決が出た後でも、「そうは言ってもあの人はあやしかったし、きっと何かはあったはず」と一度思い込んでしまった人を疑い続けるって、ネットでもリアルでもあるあるだ。
自分を責めるケースもある。おとよの両親だ。娘があんなことになったのは、こちらに慢心や過怠があったのでは、と思いつめ・・・。
治兵衛をきらう末三も自身をバッシングし続けたおとよの父母も根本はおなじなのだ。なにか理由をつけないと、この世は「若くて幸せいっぱいだった娘がただ殺されることもある」になる。それは「つらい」を超えて「こわい」。そんな無慈悲がまかりとおる世は、恐ろしくて生きてはいかれない。
そして末三はもう高齢。村田屋治兵衛を敬遠し続けたのは間違いだった、となったら己の二十八年間が崩れる。だからたとえ北一が事件を解き、「真相はこうです」を話されたとて思いは変えない。自分の今までの、そしてこれからの、平静のために。
ここで注意すべきなのは、末三じいさんが根性のねじまがった人間ではないということだ。こんなこと、令和のわれわれにもいくらだってある。江戸の老人と現代情報社会の私たちは、なんと似ていることか。
書物蔵のようなおでこの住まいで、北一が感じたやるせなさが私にも満ちてきた。数え切れぬほどの書物や文書があって、そこには今までの知恵があふれるほど書かれていて、それでもまだ、この世にままならぬことがあるのはどうしてなんだ、と。書で人生は乗り越えられないのか、と。
そして、こうも思う。それでもままならぬことがある、と教えてくれるのもまた、本なのだ。
江戸の話ながら今をえぐる作品で、宮部先生が現代ミステリーとともに時代小説を書いている意味は大きい。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。