【第314回】間室道子の本棚 『恋とか愛とかやさしさなら』一穂ミチ/小学館
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『恋とか愛とかやさしさなら』
一穂ミチ/小学館
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本作を読んで考えたのは、著者・一穂ミチさんは『スモールワールズ』などに代表される「どたばたを描きながらハートウォーミング」より、ブラック、ダーク、アンダーが得意なのではないかということ。
自らを「大阪のおばちゃん」と位置づけている彼女だけど、関西テイストが醸し出すのは陽気さ以上にとことん食いつくエグさである。直木賞受賞作『ツミデミック』で片鱗が見え(「ロマンス☆」がよかった)、受賞後第一作である本書で開花したかんじ。
「からい」と「つらい」が同じ漢字ってすごい、とよく思うんだけど、今まで文学で書かれてきた死とか貧困とか叶わぬ恋とか家族の愛憎とか青春期の憂鬱なら、乗り越えるための手がある。でも「恋人にプロポーズされた翌日、彼が盗撮で摑まった」。
たいへんな困難だ。でもがんばりどころがわからない。この世には喜怒哀楽でも甘辛苦旨でもない「えぐみ」というのがある、と一穂さんは教えてくれるのだ。どうやっても「人生の味つけ」にならない灰汁のようなもの。
主人公・新夏(にいか)の頭のかたすみでの冷静さや観察眼にうなる。たとえば事件のあと訪れた彼氏・啓久(ひらく)の家。リビングには向こうの親子三人がそろっている。彼は彼女に土下座。そのとき新夏の精神は、平伏する息子の後ろのソファに座っている親御さんらにロックオン。
「実の子の土下座をアリーナ席で見下ろすのはどんな気持ちなのか」 ひい。
そのあと親二人も深々と頭を下げる。これに関しては、
「不祥事を起こした芸能人の記者会見みたい」 ひゃあ。
この日の彼女はきれいめのデニム。迎える側はそれなりの恰好をしていたのだろう。
「初めて訪問した時以来の応接間で始まった大人三人ぶんのガチ謝罪を、このカジュアルファッションでは受け止めきれない。謝られる側が正装、くらいの方が釣り合いが取れる」
そして、
「たぶんこの居心地の悪さは、当事者でも部外者でもない、という半端なポジションのせいだ(中略) 「配偶者」ではないし、正式な「婚約者」を称するにもためらいがある。「恋人」って、非正規雇用みたいだ」
ねじれたユーモアは武装。これぐらいつっぱねて、吞み込まれないようにしないと彼女は正気でいられないのだ。鋭利なようでいて、心のどこかをにぶらせてる。
許すとか許さないとか、信じるとか信じないとか、わかるとかわからないとか、まるで新夏のほうが何かしたみたいに、啓久の姉や母親、彼を紹介してくれた女友達から、見解、回答を求められる展開はスリリング。
「女と合法的に接触できる機会を絶対逃すまいとする男って、どこにでも現れる。ファミレスのドリンクバーと同じ。喉渇いてなくても、とにかく何杯か飲まなきゃ損みたいな」
「やったことはやったことでしかない。どこでどう踏み外したのか、原因を正確に特定して解決できるんなら、この世から犯罪者はいなくなるよね」
「出た。滅びの呪文、”生理的に無理”」。
作者・一穂さんのアンダーな目線がたまりません。うえええ、と思いつつ、よく日の下にさらしてくれた、と爽快感もある。
そして、新夏はずっと泣かない。これがすんごいフレッシュ。2025年の本屋大賞候補作。結果発表は4/9。乞うご期待。
自らを「大阪のおばちゃん」と位置づけている彼女だけど、関西テイストが醸し出すのは陽気さ以上にとことん食いつくエグさである。直木賞受賞作『ツミデミック』で片鱗が見え(「ロマンス☆」がよかった)、受賞後第一作である本書で開花したかんじ。
「からい」と「つらい」が同じ漢字ってすごい、とよく思うんだけど、今まで文学で書かれてきた死とか貧困とか叶わぬ恋とか家族の愛憎とか青春期の憂鬱なら、乗り越えるための手がある。でも「恋人にプロポーズされた翌日、彼が盗撮で摑まった」。
たいへんな困難だ。でもがんばりどころがわからない。この世には喜怒哀楽でも甘辛苦旨でもない「えぐみ」というのがある、と一穂さんは教えてくれるのだ。どうやっても「人生の味つけ」にならない灰汁のようなもの。
主人公・新夏(にいか)の頭のかたすみでの冷静さや観察眼にうなる。たとえば事件のあと訪れた彼氏・啓久(ひらく)の家。リビングには向こうの親子三人がそろっている。彼は彼女に土下座。そのとき新夏の精神は、平伏する息子の後ろのソファに座っている親御さんらにロックオン。
「実の子の土下座をアリーナ席で見下ろすのはどんな気持ちなのか」 ひい。
そのあと親二人も深々と頭を下げる。これに関しては、
「不祥事を起こした芸能人の記者会見みたい」 ひゃあ。
この日の彼女はきれいめのデニム。迎える側はそれなりの恰好をしていたのだろう。
「初めて訪問した時以来の応接間で始まった大人三人ぶんのガチ謝罪を、このカジュアルファッションでは受け止めきれない。謝られる側が正装、くらいの方が釣り合いが取れる」
そして、
「たぶんこの居心地の悪さは、当事者でも部外者でもない、という半端なポジションのせいだ(中略) 「配偶者」ではないし、正式な「婚約者」を称するにもためらいがある。「恋人」って、非正規雇用みたいだ」
ねじれたユーモアは武装。これぐらいつっぱねて、吞み込まれないようにしないと彼女は正気でいられないのだ。鋭利なようでいて、心のどこかをにぶらせてる。
許すとか許さないとか、信じるとか信じないとか、わかるとかわからないとか、まるで新夏のほうが何かしたみたいに、啓久の姉や母親、彼を紹介してくれた女友達から、見解、回答を求められる展開はスリリング。
「女と合法的に接触できる機会を絶対逃すまいとする男って、どこにでも現れる。ファミレスのドリンクバーと同じ。喉渇いてなくても、とにかく何杯か飲まなきゃ損みたいな」
「やったことはやったことでしかない。どこでどう踏み外したのか、原因を正確に特定して解決できるんなら、この世から犯罪者はいなくなるよね」
「出た。滅びの呪文、”生理的に無理”」。
作者・一穂さんのアンダーな目線がたまりません。うえええ、と思いつつ、よく日の下にさらしてくれた、と爽快感もある。
そして、新夏はずっと泣かない。これがすんごいフレッシュ。2025年の本屋大賞候補作。結果発表は4/9。乞うご期待。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。