【第34回】間室道子の本棚 『ノースライト』 横山秀夫/新潮社

~代官山 蔦屋書店文学コンシェルジュが、とっておきの一冊をご紹介します~


「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ノースライト』
横山秀夫/新潮社
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「人の住まない家は傷む」というのが解せなかった。人間がいた方が汚れたり壊れたりしそうなのに、なぜ不在だとダメになるのだろう?本書を読んで、家は心と一緒なんだ、と気づいた。中に誰もいないと、人も傷むのだ。

非常に不思議なできごとから、ものがたりは始まる。

主人公の青瀬は一級建築士。赤坂の大手事務所にいた頃、仕事はいくらでもあったがバブルがはじけた。事務所に残れるのは今後も受注が見込める公共事業を得意とする者たち。フランク・ロイド・ライトやル・コルビュジエにあこがれてこの仕事に就いた青瀬は肩たたきに遭う前に自ら事務所を辞めた。

だが彼は絵に描いたような「敗残兵」の道を辿ることになる。次に雇ってくれるところはなく、どこを探しても設計依頼の話もなかった。すさむ青瀬の元を妻は一人娘を連れて去った。かつての仲間たちは歩合制のセールスマン、ファミレスのウェイター、ビルの清掃員などをしている。青瀬は建築にしがみつき、非正規や臨時雇いでメーカーの言いなりに図面を引いたり価格破壊がウリの怪しげな建て売り住宅の外観を考えたりしていたが、3年前に学生時代の友人から声をかけられ、現在所沢にある小さな事務所にいる。

そんな青瀬の負け犬感を吹きとばしたのが、彼の最高傑作となり大手出版社が刊行した豪華本『平成すまい二〇〇選』にも載った信濃追分の「Y邸」だ。依頼主は吉野夫妻。青瀬を指名して事務所に来た彼らは、自分たちの家について施主なら絶対言わない、でも建築士なら言われてみたい言葉を告げる。

スイッチが入った青瀬は渾身の力で挑んだ。完成後、吉野夫妻は感無量の表情で、青瀬と家を絶賛した。なのに「Y邸」は今…。

魂を込めたものがなぜこんなことになったのか、青瀬は謎を追う。お話はここから、これに勝てば地方のマイナー事務所の大宣伝になる建築コンペ、そこに現れたかつて赤坂の事務所で青瀬とライバルだった男、汚職疑惑など、横山作品らしい男の意地とプライドがぐーっとせりあがる。でも最初の「Y邸」をめぐる静かな不思議が全体を離れることなく漂い、策略、不和、重大な秘密といった重くて暗いものが読者を押しつぶすことなく、すっと入ってくる。

横山作品は、今まで「男の答え」――昭和と平成を俺たちはこう駆け抜けてきた、これを生きざまとした、というものを提示してきたけど、本書で初めて、自分たちはここにきた、歩みはこれでよかったか、という「男の問いかけ」を描いたような気がする。

そして頭から離れないのは、やはり「Y邸」の姿だ。「ノースライト」を採光の主役にして家を建てる。やむを得ない立地条件でそうするのではなく、いくらでも東や南が開けられるのに、北の光でいく。昔から芸術家たちに愛された静謐な自然光。そんな家が、信濃の山の中にぽつんと建ち、人を待っている。

1冊の本を読んだというより、読後美しい建築物がひとつたちあがった。そんな思いを抱かせる傑作。
 

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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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