【第30回】間室道子の本棚 『ママがやった』 井上荒野/文春文庫

~代官山 蔦屋書店文学コンシェルジュが、とっておきの一冊をご紹介します~


「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ママがやった』
 井上荒野/文春文庫
 
 
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本書は79歳のママが7歳年下のパパを殺すというショッキングな物語なのだが、
“家族って、人ひとり殺したくらいではあんがい変わらないのかな”。
まず浮かんだのはそんな感想だ。

職業的な殺し屋または絶えず病的な暴力の現場にいる人間でないかぎり、殺しの前と後で人は変わる。弱々しかった女が驚くほど冷静だったり乱暴者が途方に暮れて泣き出したり、そこがひとつの読みどころとなる。ところが本書のママは変わらない。

電話で知らせを受けた長女、次女、そして末っ子である長男は(いずれももうリッパな中年男女だ)犯行現場であるママの居酒屋に向かう。どうして、という子供たちのWHYに対し、ママは「テレビドラマで観た」とHOWを答える。殺しの場面を参考にしたそうで、料理番組の手順でやってみたら一皿できちゃった、ぐらいのお返事なのだ。

そして「あなたたち、お昼食べていくでしょ」と支度を始め、長男はあまりのふつうさに、思わず筍ごはんのおかわりする。加えてママは「いいわよべつに、刑務所に入ったって」と言い、刑務所に入ったら三食刑務所のごはんでおいしいものなんか食べられないのよ、と娘たちに言われて初めて「そうねえ・・・」と思案する。

ママはいつでもママ。子供たちが集まればごはんの心配をし、おいしく食べられるようちゃんと山椒の木の芽も添える。開き直りでも急にこみ上げた愛情でもなく、いたって平常心。そんなママはユーモラスかつ不気味である。

長女、パパ、次女、長男、ママ。語り手と時代を変えながらお話は進行し、読者はこの家族の「ヘンなかんじ」をたどることになる。

お気づきだろうが、家族の誰もパパの死に悲しみを見せない。というのも結婚前から72歳になったこんにちに至るまで、パパは浮気につぐ浮気。見た目と調子がいい男で、口を開けば出まかせ。仕事らしい仕事をしているところを誰も見たことがなく、ママのヒモ状態。ちょっと前の言い方をすると、パパはゲスい男だったのである!

でも、怒りや憎悪の対象でもない。パパがしでかすかいらん行動、いらん作りごと、いらん暴露、いらん正直。それが家族を戸惑わせたり、意外なことに癒しや救いになったりもする。そこが読んでいて身もだえ。ゲスがゲスだけなら憎むことができる。しかしパパへの皆の感情は、落としどころがないのだ。

そして、ゲスながら半世紀近くも生活を共にしてきたパパをママはどうして今になって殺したのか。もうちょっと待っていればどちらかにお迎えが来ることは確実なのに・・・。

ワイドショーでやっていたのだが、「どういう浮気がいちばん嫌か」という一般人へのアンケートの一位は「相手が知っている人だった」だそうだ。殺される前、パパが会いに行った、究極の知り合いとは?

ママが、ついに、やった。数十年つのらせたパパへの思いを「殺意の高まり」と取るか「愛の高まり」と取るかは読み手しだい。おススメです!

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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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