【第41回】間室道子の本棚 『月とコーヒー』 吉田 篤弘/徳間書店
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『月とコーヒー』
吉田 篤弘/徳間書店
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その焼肉屋は客の指定したソースに肉を漬け込んで焼く、というシステムのようだった。席につくと、17本の瓶がずらりと並べられる。「塩麹」「ハニーマスタード」「レモン」などの中に「少年冒険ソース」というのがあった。しょうねんぼうけんそーす。どんな味なのだろう?今夜はひとつ、これでいってみよう。私は店主がいるカウンター奥にむかって声を出す「すみませーーん、しょうね・・」 ここで、目が覚めた。
こんな夢を見たのは、吉田篤弘さんの『月とコーヒー』を読んだ夜だった。24の小さなお話たちは、すべていきなり始まり、「あっ、ここで?!」というところで終わる。とうとつ感や尻切れトンボ感はない。なんだか夢のようではないか。
でも本書はいわゆる「夢小説」ではなく、それどころか、すごく奇妙だったり幻のようだったりするのに「実話」がけっこう含まれているらしい。先日当店にておこなわれた篤弘さんとパートナーの浩美さんによる刊行記念トークショーによると、「買おうと思っていたパンをすべて買い占めてしまう鷹の目をした二人の女」と「世界の果てのような荒野にあるコインランドリー」は実在、とのことだった。
こういう現実が物語になってあらわれるのが、吉田篤弘作品の魅力だと思う。あるホテル内のパン屋さんのタイムセールで、後ろにまだ人が並んでいることを知りながら、ガラスケースの中のパンを根こそぎ買って去った二人の女性に対する残念無念、怒り、食い物の恨みを小説にする。昨日の心の晴れなさを明日物語で返す。ここに品と粋がある。
あと、本書の24の小さな物語たちがストーリーにかこつけて、自分たちの在り方、ココロイキをこっそりこちらに明かしているようなのが、読んでいて愉快だった。
ふつうよりかなり小ぶりで、全体的にもたつきがない。きりっとしていてみずみずしく、簡単だけど簡単じゃない――これはサンドイッチの描写なのだけど、本書自身を形容しているよう。また、「大事ことは大きな声でしっかり伝えるべきではないのですか」という問いの前の、「大事なことは、時に小さな声で語る方がいいのです」という思い。これは若い女性と青年の会話だけど、本書のサイズ感や短いお話だけでの構成を差すように思える。
夢の続きに戻ったり、現実世界で巡り合ったりはできないけど、私は「少年冒険ソース」の味を想像する。夏の日差しのようないつも「開けたて」の魅力、少々無鉄砲だが元気みなぎる味。いつか篤弘さんに、この焼肉屋のお話を書いてほしいと思う。