【第42回】間室道子の本棚 『とめどなく囁く』 桐野夏生/幻冬舎

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『とめどなく囁く』
桐野夏生/幻冬舎
 
 
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物語の象徴として、蛇が出て来る。
 
主人公の早樹は41歳。夫である富豪の塩崎克典は72歳で、31歳の年の差婚だ。ウェブライターで生計を立てていた早樹は、相模湾を見下ろす大豪邸の専業主婦になった。この家の公園ほどもある庭の中に、蛇がいる、と庭師が言った。藤棚の下の石組みにもぐり込こんだのを見たらしい。
 
早樹と塩崎が知り合ったのは5年前で、当時大会社の社長職にあった彼にインタビューに行ったのがきっかけだった。「1年前、妻は邸宅にひとりきりでいるとき脳溢血で亡くなった」と聞かされた早樹は、半年後に偶然再会し、食事に誘われた席で塩崎に「自分の夫は3年前に夜釣りに出かけたきり帰らない。沖でボートだけが見つかり、行方不明になっている」と明かした。
 
配偶者に突然去られるというダメージを受けた二人は時々会うようになり、早樹の夫の「失踪から7年目の死亡認定」のあと結婚する。塩崎には早樹と同年代の3人の子供がいて、長男と長女は家庭を設けており、早樹について、お金持ち特有の寛大さと、父の老後を見てくれる人間に向ける程度の無関心、そして気に入らないことがあっても口をつぐんでいられるだけのプライドと品の良さがあった。
 
次女の真矢は違った。死んだ母親と仲が良く、子供時代から父親と不仲だった彼女は式にも出ず、ブログにあれこれ父親と早樹の悪口を書きまくっていた。事実無根と悪意に満ちたこのブログを、早樹は嫌だと思いながらも見ずにはいられない。一度も会ったことのない真矢を思うとき、早樹の心を庭の蛇がよぎる。
 
二匹目の蛇は消えた夫の加野庸介だ。庸介の母親は息子の失踪後、夫にも先立たれて練馬で暮らしている。孤独なせいか、塩崎の妻になった早樹を今でも「加野家の嫁」扱いすることがあった。そんな元義母がある日彼女を呼び出し、「近所のスーパーで庸介を見た」と言い出す。驚いたことに埼玉の実家の父も、庸介に似た人物を目撃していた。
 
早樹は親友の美波にこのことを相談し、また夫がかつて仲良くしていた人たちに連絡を取る。しかしそこであらわになる美波の不遜な態度、教えてもらえなかった夫の過去、彼の釣り仲間たちの忖度・・・。はっきり姿を見せない男は庸介なのか、なぜ早樹の前にはあらわれないのか。庸介もまた、蛇のようだ。
 
一方、塩崎との暮らしは豊かなものであったが、「人生からリタイヤした二人の穏やかな暮らし」を要求されているような圧があった。庸介が生きているかもしれない、という思いは、気味悪さの一方、身震いするほどの興奮を早樹にもたらす。
 
物語の後半、あるできごとがあって、塩崎家の面々が結束する。ひとり外れた早樹は、自分こそが庭先の蛇ではないか、という思いを抱く。
 
庸介は生きているのか死んでいるのか、彼はほんとうはどんな人物なのか、夫の友人たちの人生の明暗、塩崎と早樹の結婚の行く末・・・。
 
ラストシーン、読者の受け止め方はそれぞれだろう。どんな家にも、誰の心の中にも、重い石を取り除いたあと出て来る見たくないものがある。私にとってそれは何?そんな抱えきれない身もだえがぶわっと押し寄せる長編。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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