【第44回】間室道子の本棚 『綴られる愛人』 井上荒野/集英社文庫

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『綴られる愛人』
井上荒野/集英社文庫
 
 
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紫の表紙にエロティックな下着に似た黒のレース模様があり、よく見ると蜘蛛の巣であることがわかる。これは「からめ取る」がテーマの小説なんだな、と読み進むうち思えた。男女ふたりの手紙が差し挟まれながら、物語は進行する。

メール、ライン、SNSのこの時代、見知らぬ人から、あるいはよく知っている人からでも、手紙が来たらみんなビビると思う。うれしい知らせかしら、などとは考えず、「なにを改まって!」「ラインじゃ言えない深刻なことなのか?」「もしかして私、相手をオコらせた?!」など、不吉と不穏さでいっぱいになるだろう。それぐらい、今誰かに直筆の文字を書いて郵送するのは非日常的であり、「あえての手紙」であるなら、そこには互いの了解、秘密の匂い、ふたりだけにわかること、というテイストが生まれるはず。

主人公の柚(ゆう)と航大(こうた)は、個人情報がもれる心配なしに会を通じて手紙をやりとりする「綴り人の会」に入会していて、文字だけで出会った。北陸の大学生で自分に倦み疲れている航大は「貿易会社に勤める35歳。趣味は空手」と書く。東京在住の人気童話作家である柚は、実年齢より7歳若い「28歳の専業主婦」と名乗る。こうして本当は21歳の男と35歳の女であるふたりの文通は始まる。
実は82歳の専業主婦だったりして、男だったりして、と思いながらも航大は美しい手紙に惹かれていく。柚は35歳にしては幼稚なことを書いてくる男を見下しながらも、手紙を心待ちにし、相手がこの関係から逃げないようにもくろむ。

柚は編集者である夫に抑圧されていた。彼の承諾なしに仕事を請けることはできないし、好きに書くことも許されない。物語のプロットはいつからかすべて夫が考えたものになった。文通が続くうち柚は航大に、夫に殴る蹴るの暴力を振るわれていると打ち明ける。もちろん嘘だ。でも夫のために、心があざだらけなのは事実。衝撃的な内容に、航大は若者らしい純粋さで彼女を心配する。

ふたりは手紙にのめり込む。なぜなら、互いには知らないことだが、ふたりには強い共通点があるのだ。今の自分は本当の自分ではないというあせりと、綴られているのは実在しないけど私だ、という必死さ。「恋」という字が、そして「殺」という文字が交わされていく・・・。

どこがいいとか尊敬できるとかではなく、相手の不安定さや痛みに反応して、からめ取り合うように結びつく主人公たち。柚と夫の関係もそうであることが悩ましい。彼女は夫の介入に、屈辱と同時にある種の快楽を感じている。「精神的なDVによる洗脳でしょ」と言うのは簡単。夫婦だけにしか分からない、生々しい呼吸がそこにはある。物語の最後で、柚は夫に向かってやわらかな、でも逃れられない糸を吹き出すように、言葉を発する。

現代の病を描いた小説、と言おうとして、いや、愛を描いた小説なんです、と言いたくなっている自分におののく。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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