【第47回】間室道子の本棚 『偶然の聖地』 宮内悠介/講談社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『偶然の聖地』
宮内悠介/講談社
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すごく変わった小説である。
表紙カバーをはずすと、等高線にジャマされずに本書が書かれた経緯を読むことができるが、舞台はというより「主人公は」と言いたくなる「イシュクト山」が登場。中央アジアにあるこれは「検索にかからない」「いつ現れ、消えるかわからない山」で、登頂を願う者はたどり着けず、行こうと思っていなかった面々の前に急に姿を見せたりする。
この山に、現代日本の若者・怜威(れい)とアメリカの友人ジョン、怜威の留守宅で起きた不可解な事件から彼らを追うことになった刑事ふたり、かつてここに登った女性レタとファナ、そして「世界医」であるロニーと泰志がからむ。
「世界医」は山と双璧を成す壮大な存在で、物語世界では、「秋の最中に急に春になる」をはじめ、「ダージリンで生産される紅茶がいつのまにかアッサムになっていた」「三年間飲まず食わずで生き続ける人間がいる」「ある施設で出されるカレーの味が変わった」など、大小さまざま、あちこちで「バグ」が発生しており、それを直して回るのが「世界医」と呼ばれる人たちである。そして彼らが「この世に残された最後の特Aランクのバグ」と位置付けているのがイシュクト山なのだ。
国境、ジェンダー、現実と幻など、「境界への問いかけ」が読みどころで、バグについてもそう。本書に付いている膨大な註の中で、作者・宮内悠介さんは「ある症状が病気かどうかを決めるのは社会である」、また「何が仕様で何がバグかは、現実世界のそれも人と社会が決める。ぼくはバグの側に立ちたい」と書いている。
歴史上「バグだ!」と見なされ、絶滅したもの、虐殺されたもの、差別されてきたものは多い。先日当店でおこなわれた刊行記念のトークショーで、宮内さんとゲストの上田岳弘さんが「作家はバグのようなもの」とおっしゃったのが印象的だった。
なるほど、歪んだ国家権力に「あいつは危険。とっつかまえて矯正しろ!」と狙われるのは、様々な文化人の中で圧倒的に作家が多い。「言葉の力ってすごいから。作家はバグでありながら国を直そうとする者でもある」と上田さん。また、後日宮内さんから来たメールに「小説家がバグというのは咄嗟に出た一言ですが、案外、咄嗟に出た一言に真実があるかもしれません」とあり、静かに心揺さぶられた。
登場人物たちはイシュクト山に辿りつけるのか、山はそもそも何なのか、そして混乱した世界の行きつくところは?読み応えたっぷりの壮大なエンターテインメント!