【第50回】間室道子の本棚 『セミ』 ショーン・タン/岸本佐知子訳/河出書房新社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『セミ』
ショーン・タン/岸本佐知子訳/河出書房新社
ショーン・タン/岸本佐知子訳/河出書房新社
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表紙を見て、かわいい、と思う。ずんぐりむっくりの小さなセミさんが背広姿で立っている。で、中身をめくると、タイトルの次のページでいきなりセミさんの手元(足元?)がクローズアップ。このリアルはまさに「虫」で、真っ黒、つやつや、トゲトゲ。最初のかわいらしいという思いは消えはしないんだけど、同時にわきおこるぞわぞわ感。
セミさんは人間社会で17年間まじめに働いている。しかし人間はセミを認めない。残業を押し付け、昇進させない。ページをめくるたび、彼に降りかかるさまざまな理不尽!
ここで思い出したのがお笑い番組『アメトーーク!』の「ウルトラマン芸人」である。DVDにもなっているので見てほしいが、この回に「へこむウルトラマンメビウス」が出て来るのだ。
登場初回、メビウスははりきり、あらゆるワザを駆使し、怪獣と戦う。勝利し、胸を張るメビウス。しかしそばの屋上から罵声が飛ぶ。男の人(なにかの制服を着ているので、「ウルトラマン」の時の「ウルトラ警備隊」に当たる部隊の人と思われる)が、「なんてヘタクソな戦い方だ!周りを見やがれ!」と叫ぶのである。
たしかに、町の真ん中でメビウスが側転したり相手ととっ組み合ったりしたため、ビルは傾き、道路は破壊され、黒煙があちこちから出ている。自分がしでかした惨状を見て、メビウスは、へこむ。ウルトラヒーローたちは基本無表情なのに、あきらかに「メビウス、へこんでる」がわかるのである。
作者ショーン・タンの尋常でない絵のうまさで、私たちは物語の最初から最後まで無表情なセミさんに、働く誇り、認められない孤独感、恐ろしい目に遭っている時の怯えを読み取る。気持ちを完全にセミさんに持っていかれている。クリエイターのすごさって、ラブリーなものを作って愛させる、憎々しげなものを創造して憎ませる、ではないんだ。無表情なものが心をわし掴みにし、見る者が自分の気持ちを投影させ、泣いたり笑ったりする、それがクリエイターの真骨頂なのだ、と気づいた。
そしてあるページから、セミはまさに「変身」する。
やはり最初に手足を見せたことが効いていると思う。セミさんの変身と同時に初めてあの手足が強烈に印象づけられれば、「気持ちワルイものを隠し持つ者」=こいつはとんでもない奴だったんだ!という落としどころがあるが、「ページをめくるたび、セミさん対する同情をどんどん深めながらも最初に手足を見た時の胸のザワつきを読み手は忘れない」という構造。かわいいから守ってあげたい、気味悪いから手荒にしていいんだ、ではないのだ。まるごとのセミさんに対して、どうして私たちは愛玩か排除かしか決められないんだろう。
私が一方的に「ぞわぞわ」「気持ちワルイ」と書いた六肢もそうだ。誰かが私の手足を「嫌悪の対象だ」と言い出したらどうすればいいんだろう。最初から持ってるものなのに。直しようがないのに。「手足でそれはありえないよ」と言うなら、肌の色はどうだろう。文化や生活習慣はどうだろう。
当店で開催された刊行記念のトークショーで、すごくいい質問が出た。それは「セミって、何でしょうね?」
並外れた画力で読者を瞬時に世界に巻き込み、どういう風に読むかは絵本を開く者に広くゆだねられる『セミ』ワールドへようこそ!