【第52回】間室道子の本棚 『君たちは今が世界(すべて)』 朝比奈あすか/KADOKAWA
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『君たちは今が世界(すべて)』
朝比奈あすか/KADOKAWA
朝比奈あすか/KADOKAWA
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読んで一番驚いたのは、子供は生きていれば大人になる、ということだった。こんな当たり前が、深く刺さる本だった。
舞台は六年三組で四章から成り、四人の生徒にスポットが当たる。現代の小学生たちの苦しみたるや、というお話ぞろい。
「子供たちの状況はそんなに変わらないよ。いじめもネグレクトも昔からあったよ」という声もあるけど、変質はしていると思う。「同調圧力」という言葉を聞くが、今の子供たちにはその上の「同調重力」がかかっているよう。「圧」なら距離を取れるが重力からは逃れられない。酸欠カプセルから出たいんだけど外は深海、という追い詰められ方を子供たちは感じてると思う。
あと、「時に教室は大きな生き物になる」という言葉が物語に出て来るが、サメに対抗するため小魚が集結して大魚の形をつくるのではなく、仲間であるはずの1匹に向かって教室が巨大なひとつの意志を持ち、襲い掛かるのが今なんじゃないかとも思う。
第一章の主人公・文也はクラスの中心人物である利久雄や敏とつるめるようになってから学校が好きになった。三、四年生の頃は思い出したくもない。担任だった男性教師は文也がクラスメートをあるあだ名で呼んだのを聞きつけてキレ、文也は級友たちの前で泣くはめになったのだ。
自分は叱りやすいから叱られた、みんなにそれが悪いあだ名だと知らしめ、止めさせるためうまく使われたんだ、と文也は気づいている。
子供は敏感だ。今の担任の幾田先生が二十代なのにおばあちゃんみたいな雰囲気でスタイルもよくないことから、「ニクタ先生」と影で呼ばれていると知った母親が、たしなめるどころか面白そうな顔をしたこと、先生がクラスをコントロールできなくなっていることを、文也は知っている。
だけど利久雄や敏もあの男性教師と同じだということは見抜けない。彼らが文也と行動を共にするのはうまく使うためなんだ、と考えることができない。
家庭科の浜田先生担当の調理実習で、「みんな」という怪物にノセられた文也はある事件を起こす。ニクタ先生がやってきて、今まで聞いたことのないトーンで全員に言った。
「皆さんは、どうせ、たいした大人にはなれない」
そののち職員室で一対一になったとき、先生は文也にある言葉をささやく。早口で、必死で。
六年三組がとりわけ心がねじ曲がった悪質な者たちぞろいだった、ということではない。なぜなら、彼らは子供だからだ。
狡猾で無知、大胆かつ小心、激しい感情をけろっと忘れる。考えたくないことは考えないでいられる。悪人の素養のようだが、これは子供そのものだ。
第二章では「こんなものは、全部通り過ぎる」と思いながら日々をやり過ごそうとする成績優秀な女子が、第三章ではファンタジー小説と折り紙に希望を見出す男子が、第四章ではクラスの女王のグループにいながら彼女を持て余し始める子が描かれる。どのお話にもわかりやすい解決や立ち直りはなく、私の心をニクタ先生の言葉がよぎった。
しかし、エピローグで、彼らは大学生になったり就職したりしている!びっくりだ。懲りない子も、この子は環境が絶望的と思っていた子も、である。
私はなぜ、良い子だけが成長し、あとはだめだと思い込んでいたんだろう。こんなの、私が子供の頃「こうはなりたくない」と思っていた大人のキメツケや頭の固さではないか。
というわけで、子供は生きていると大人になるのだ。もはや感動。なぜなら、一章の文也はときどき自分と同じ名前の中二の「富美也くん」のことを思っており、私も思い出すからだ。「富美也くん」は、大人になれなかった。
小中学生が巻き込まれる事故や事件のニュースを見るたび、六年三組を思い出す。「今の先」に行くことができた彼らのことを。