【第56回】間室道子の本棚 『平凡』 角田光代/新潮文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『平凡』
角田光代/新潮文庫
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ずいぶん前になるが、渋谷の松涛美術館で三木富雄の展覧会をやっていた。この人は、人間の耳をモチーフにした作品を作り続けたことで有名な彫刻家で、会場のところどころに彼が残した言葉がパネルにしてあり、その中に「人間とは、たえず二者択一にさいなまれ、やっとの思いで一方を選んだあげく、果たしてこれでよかったのかといつまでも悩み続ける存在です」というのがあった。41歳で急死した芸術家の人生にこの言葉を吐かせるどんなことがあったのか、考えるとともに、強く印象に残った。
角田光代さんの『平凡』を読んで、久しぶりにこの言葉を思い出した。
本書は選ばなかった人生に思いを馳せる人々の短編集。登場人物たちは、もしもあの時ああしていれば、と心を揺らしながら生きている。しかし、「あったかもしれないほう」を口に出したり擬似で実行したりしても、たいていロクなことにはならない。
たとえば一話目では、W不倫で互いの配偶者にうそをついてギリシャ旅行にやってきたカップルが「フェイクでいいからここで結婚式をあげたい」と思いつき、大騒ぎをやらかす。二話目では、突然上京してきた母親が居酒屋で息子に「自分だって若い頃銀座でナンパされたことがある。おとうさんと結婚せず、あの時あの男性についていってたら、どうなったかしら」と上目づかいで告白を始め、息子はドン引き。
仕事とか結婚とか、人生における重要な分岐点と誰もがわかることだけではない。最終話では、「もしもあの時、おにぎりを作らなければ…」と悔やんでいる登場人物がでてくる。ごはんを丸めたもの二つで、彼女の人生は変わってしまった。
今でないほう、あったかもしれない道にとらわれている人は、多かれ少なかれ現在につらさや不満を抱いている。その苦しさ、危機と、登場人物たちはどう向き合うか。
おススメは「月が笑う」。この主人公は居酒屋での母親にドン引きした彼なのだが、彼自身には「妻からいきなり離婚を切り出され、興信所に調査してもらったところ彼女は不倫をしており、いきなりの離婚宣言の裏には…」という災難がふりかかっている。
裏切者の妻をどうしてやろうかとあれこれ考える彼はふと、子供時代に言った言葉を思い出す―「許す」。
人生の分岐点におけるキイワードは「あきらめる」ではなくこの「許す」だと思った。「あの時ああしていたら」にとらわれ、考え続けるなら、彼や彼女の選んだ人生は、選ばなかった人生込みで進んでいるようなものなのだ。
というわけで、こちらの道を選んだ自分、今悲しい思いをしたり悔やんだりしている自分を許す。そして、あったかもしれないほうの道にいる想像上の私を、うらやむのではなく祝福する。これは、自分を傷つけたり捨てたりした相手を許すより難しいんじゃないかと思う。
せつないけれど、どのお話にも希望が感じられる1冊。
角田光代さんの『平凡』を読んで、久しぶりにこの言葉を思い出した。
本書は選ばなかった人生に思いを馳せる人々の短編集。登場人物たちは、もしもあの時ああしていれば、と心を揺らしながら生きている。しかし、「あったかもしれないほう」を口に出したり擬似で実行したりしても、たいていロクなことにはならない。
たとえば一話目では、W不倫で互いの配偶者にうそをついてギリシャ旅行にやってきたカップルが「フェイクでいいからここで結婚式をあげたい」と思いつき、大騒ぎをやらかす。二話目では、突然上京してきた母親が居酒屋で息子に「自分だって若い頃銀座でナンパされたことがある。おとうさんと結婚せず、あの時あの男性についていってたら、どうなったかしら」と上目づかいで告白を始め、息子はドン引き。
仕事とか結婚とか、人生における重要な分岐点と誰もがわかることだけではない。最終話では、「もしもあの時、おにぎりを作らなければ…」と悔やんでいる登場人物がでてくる。ごはんを丸めたもの二つで、彼女の人生は変わってしまった。
今でないほう、あったかもしれない道にとらわれている人は、多かれ少なかれ現在につらさや不満を抱いている。その苦しさ、危機と、登場人物たちはどう向き合うか。
おススメは「月が笑う」。この主人公は居酒屋での母親にドン引きした彼なのだが、彼自身には「妻からいきなり離婚を切り出され、興信所に調査してもらったところ彼女は不倫をしており、いきなりの離婚宣言の裏には…」という災難がふりかかっている。
裏切者の妻をどうしてやろうかとあれこれ考える彼はふと、子供時代に言った言葉を思い出す―「許す」。
人生の分岐点におけるキイワードは「あきらめる」ではなくこの「許す」だと思った。「あの時ああしていたら」にとらわれ、考え続けるなら、彼や彼女の選んだ人生は、選ばなかった人生込みで進んでいるようなものなのだ。
というわけで、こちらの道を選んだ自分、今悲しい思いをしたり悔やんだりしている自分を許す。そして、あったかもしれないほうの道にいる想像上の私を、うらやむのではなく祝福する。これは、自分を傷つけたり捨てたりした相手を許すより難しいんじゃないかと思う。
せつないけれど、どのお話にも希望が感じられる1冊。