【ARTIST NEWS】山脇紘資の個展「Halo」を開催。動物をモチーフに描いた代表的シリーズの新作を発表。
アーティスト山脇紘資による個展「Halo」を店内アートスペースFOAM CONTEMPORARYにて、2023年8月5日(土)~8月23日(水)の期間に開催します。
▼概要
概要
キャンバスいっぱいに動物の顔を描く作品で知られる山脇紘資。山脇の作品は、書画にも似た流動的な筆致で描かれた毛並みや、鋭い瞳の描写から生まれる動物の豊かな表情が特徴的です。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、国内外で多数の展覧会を開催し、精力的に活動を続けています。じっと見据えるような動物の眼差しからは、鑑賞者のほうが作品に見られているかのような感覚にもなり、作品が鑑賞者と等価の存在であることを強く意識させます。
人類は、動物という存在に対し時に人間の象徴として、時に自然の象徴など様々な意味を込め、古くから描き続けてきました。この二つの象徴を内包する存在として山脇は「動物」に注目し、あるときから自身の作品を山水画と結びつけます。山水画には風景を通じて、壮大な自然の美しさだけでなく、人々の宗教観や理想といった観念を表すという特徴があります。山脇の描く動物も、自然の美しさを表現した絵画作品としての側面と、強い眼差しが作品と対峙する鑑賞者へ「見る、見られる」体験を引き起こす「鏡」としての側面を持ち、鑑賞体験そのものについて思考するきっかけとなるでしょう。
タイトルの「Halo(ヘイロー、ハロ)」は後光などの意味合いがありますが、本展では宗教的な事柄を指すのではなく、自ら光を発する発光体や、その実体の周りを取り巻く空気などを指しています。圧倒的な存在感をもつ作品群を是非会場にてご覧ください。
人類は、動物という存在に対し時に人間の象徴として、時に自然の象徴など様々な意味を込め、古くから描き続けてきました。この二つの象徴を内包する存在として山脇は「動物」に注目し、あるときから自身の作品を山水画と結びつけます。山水画には風景を通じて、壮大な自然の美しさだけでなく、人々の宗教観や理想といった観念を表すという特徴があります。山脇の描く動物も、自然の美しさを表現した絵画作品としての側面と、強い眼差しが作品と対峙する鑑賞者へ「見る、見られる」体験を引き起こす「鏡」としての側面を持ち、鑑賞体験そのものについて思考するきっかけとなるでしょう。
タイトルの「Halo(ヘイロー、ハロ)」は後光などの意味合いがありますが、本展では宗教的な事柄を指すのではなく、自ら光を発する発光体や、その実体の周りを取り巻く空気などを指しています。圧倒的な存在感をもつ作品群を是非会場にてご覧ください。
アーティストステートメント
動物という存在は人間にとって最も身近な比喩である。
古くはラスコーの壁画に見られるように、現在では日常会話で「あの人は猿のようだ」ともいうように、人間は人間をしばしば動物に例えてきた。
動物を描き表すことは、人間の在り方を象徴的に描き表すことに繋がるのではないかと思うのだが、決して動物の擬人化を行うという意味ではない。
重要なことは動物という存在は鑑賞者の象徴であると同時に、自然の在り方そのものであるということだ。
自作では動物を鑑賞者よりも大きな存在としてキャンバスに描き表したり、その動物の毛の流れを大気や水の流れに例えたような流動的かつ、デフォルメされた様相で描き表すことが非常に多い。
その理由は山水画に起因する。
古くから山水画では、人間という存在は自然界においては非常に小さく、同時にその壮大な自然に生かされているということを前提に明示的かつ、象徴的に描かれてきた。
そのためモチーフである山水は、ときに物理的に大きく、人間を超えた生命体のような印象で、有機的に艶かしく描き表された(偶像の在り方とも非常によく似ている)。
そのとき山水画は単なる自然美を説明する風景画から、自然の形象を借りた、人の在り方を映し出す鏡としての存在となる。
自作において、山水というモチーフと動物というモチーフは等価な存在なのだ。
同時に自作ではその動物が鑑賞者をキャンバス内からじっと見据える。
自然という存在に見つめられるというその直接的なメタファーは、鑑賞という行為への明瞭な問いかけである。
鑑賞者が鑑賞という行為の中に、「自然に見つめられる」 という感覚を抱いたとき、鑑賞者にとってその絵画の記号性(自作においては動物)は象徴的な存在に変わり、その背後に存在するスピリット“魂”に触れられるようになる(私は何かの対象物を通してそのスピリットに触れた瞬間の感覚を”気韻生動”と呼ぶのだと考える)。
鑑賞とは描かれたイメージそのものをただ眺めるのではなく、その背後に存在するスピリットと邂逅するための手段であると私はここで結論付ける。
そしてそのスピリットと対峙したとき、鑑賞という行為は鑑賞者にとって自身を省みる行為へと変容してゆくのではないだろうか。
古くはラスコーの壁画に見られるように、現在では日常会話で「あの人は猿のようだ」ともいうように、人間は人間をしばしば動物に例えてきた。
動物を描き表すことは、人間の在り方を象徴的に描き表すことに繋がるのではないかと思うのだが、決して動物の擬人化を行うという意味ではない。
重要なことは動物という存在は鑑賞者の象徴であると同時に、自然の在り方そのものであるということだ。
自作では動物を鑑賞者よりも大きな存在としてキャンバスに描き表したり、その動物の毛の流れを大気や水の流れに例えたような流動的かつ、デフォルメされた様相で描き表すことが非常に多い。
その理由は山水画に起因する。
古くから山水画では、人間という存在は自然界においては非常に小さく、同時にその壮大な自然に生かされているということを前提に明示的かつ、象徴的に描かれてきた。
そのためモチーフである山水は、ときに物理的に大きく、人間を超えた生命体のような印象で、有機的に艶かしく描き表された(偶像の在り方とも非常によく似ている)。
そのとき山水画は単なる自然美を説明する風景画から、自然の形象を借りた、人の在り方を映し出す鏡としての存在となる。
自作において、山水というモチーフと動物というモチーフは等価な存在なのだ。
同時に自作ではその動物が鑑賞者をキャンバス内からじっと見据える。
自然という存在に見つめられるというその直接的なメタファーは、鑑賞という行為への明瞭な問いかけである。
鑑賞者が鑑賞という行為の中に、「自然に見つめられる」 という感覚を抱いたとき、鑑賞者にとってその絵画の記号性(自作においては動物)は象徴的な存在に変わり、その背後に存在するスピリット“魂”に触れられるようになる(私は何かの対象物を通してそのスピリットに触れた瞬間の感覚を”気韻生動”と呼ぶのだと考える)。
鑑賞とは描かれたイメージそのものをただ眺めるのではなく、その背後に存在するスピリットと邂逅するための手段であると私はここで結論付ける。
そしてそのスピリットと対峙したとき、鑑賞という行為は鑑賞者にとって自身を省みる行為へと変容してゆくのではないだろうか。
山脇 紘資
アーティストプロフィール
山脇 紘資/Yamawaki Kosuke
東京藝術大学大学院美術研究科修了。
国内外で展覧会を多数開催。
BEYOND THE BORDER ,Tangram Art Center(上海)の展覧会では世界的に活躍する Zhou Tiehai やオノデラユキ、辰野登恵子らと展示を行う。
2021年には森山大道、五木田智央らが出品するグループ展に参加をし、2023年には北海道日本ハムファイターズの新球場を含めたエリア「HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE」にて、初のパブリック作品が公開される。
国内外で展覧会を多数開催。
BEYOND THE BORDER ,Tangram Art Center(上海)の展覧会では世界的に活躍する Zhou Tiehai やオノデラユキ、辰野登恵子らと展示を行う。
2021年には森山大道、五木田智央らが出品するグループ展に参加をし、2023年には北海道日本ハムファイターズの新球場を含めたエリア「HOKKAIDO BALLPARK F VILLAGE」にて、初のパブリック作品が公開される。
展覧会詳細
「Halo」
会期:2023年8月5日(土)~8月23日(水)終了⽇は変更になる場合があります。
時間:11:00~19:00 ※最終日は18時までとなります。
時間:11:00~19:00 ※最終日は18時までとなります。
会場:FOAM CONTEMPORARY
定休日:月曜日
販売について
展示作品は、会場にて8月5日(土)11時より販売します。
※作品はプレセールスの状況により、会期開始前に販売が終了することがあります。