【THE CLUB インタビュー】ニコラス・ハットフル × 映画解説者 中井圭 特別対談 ~小津映画を通して見る、アートと映画の世界~

ニコラス・ハットフル氏(左)、中井圭氏(右)
 
 
 
 
東京生まれのイギリス人アーティスト、ニコラス・ハットフルの個展“Thermals of the Heart-こころの温度” が THE CLUBにて開催中。小津安二郎監督に魅せられ、その影響を作品にも活かしているニコラスと、映画解説者の中井圭氏との特別対談が実現した。小津監督映画への思い入れが深い二人からは、どんなエピソードが繰り出されるのか。
進行はTHE CLUB マネージングディレクターの山下有佳子。 
 
 
中井:映画解説者 中井圭
ハットフル:THE CLUB 個展開催中アーティスト ニコラス・ハットフル
山下:THE CLUB マネージングディレクター 山下有佳子 
 

 
小津映画は、日常の中にあるミステリーが込められているなっていつも思います

山下:突然ですが、中井さんは物へのこだわりはありますか? 
 
中井:物へのこだわりはすごくあるんですけど、収集はしてないですね、ただ、僕は映画解説者なので、DVDはめちゃめちゃあります。小津監督映画も持っています。 
 
山下:ニックは何か収集したりするものはありますか? 
 
ハットフル:僕は昔から食べ物のパッケージをすごく集めていて、その中でもピザのパッケージが面白いです。イタリアに住んでいたことがあるんですけど、イタリアのピザのパッケージはイギリスと違って、かなりローカル店が多いので、ポップなパッケージだったり、キャラクターが書かれたりするのが面白くて。あと、コーヒーのカップの蓋とかにとても興味があります。 
 
中井:蓋?笑 
 
ハットフル:はい、蓋です。笑。プラスチックの。実際作品の中に蓋を描いたこともあります。 
 
山下:では先日行ったというかっぱ橋道具街は天国ですね。笑 
 
ハットフル:まさに!あと笠智衆がでているヴィム・ヴェンダースの「東京画」も思い出すような風景でした。小津監督の映画は、1シーン1シーンがもはやアートインスタレーションみたいに精巧に組まれていると思います。 

中井:小津作品では、画面上で映るコップに入っている飲み物の量や、高さが統一されているものもあります。 
 
ハットフル:そうですよね。こういう飲み物の高さって、意識してみないと気付かないことだけど、きっと無意識の潜在意識的なところで、見る人は調和の心地さを感じるんじゃないかなぁと。あと、普通の日常の中で、飲み物の高さが全員一緒だったとしても、たいしたことはない。でも、映画の中でそれを表現するとそれがすごく特別になるところが面白いと思います。 
 

 
中井:小津映画の中で、連続的なシーンでカメラの切り替えしがあったとき、例えばそこに、花が生けられて、その花がシーンごとにぜんぜん違う角度で変わっていたりすることがあるんです。撮影上のミスではなく。小津映画は、水面の高さが揃っているなどの完璧主義なだけじゃなくて、意識的にありえないシーンを盛りこんでいて、僕は日常の中にあるミステリーが込められているなっていつも思います。 

山下:えー面白い! 

ハットフル: 「秋刀魚の味」で、主人公がバーに出入りするシーンがあります。お店に入った後、一度そのバーのライトの明かりを映し、また彼を映す。その後一旦彼がバーを出て、また戻ってきたとき、またその明かりを映す。ライトの明かりが別に特別な意味を持っているわけではないのですが、そのシーンでは彼がすごく酔っ払っていて、ある意味、その明かりを主体にして映すことによって、ライトがこの主人公をジャッジしているかのように感じるのがすごく印象的です。明かりが不気味にさえ感じられて、どこか不思議と存在感がある。 

中井:あと、小津映画は時間経過に印象的なショットを差し込みますね。時間の経過を表すときに、外観やほかの何かのショットを会話の間に挟んで繋ぐことで、時間の流れを描く。他の監督映画でよくあるのはいきなり、ポンと次のシーンへと飛ばすんだけど、小津監督はそういう風景だったり、なにかが映ることによって、経過を表すことが結構ありました。

山下:確かにそうだ! 
 
 

お金がNetflixに集まっている 

中井:小津映画って、内容的にはすごく平凡な親と子供の物語が多くて、日常性があるけれども、技法的にはすごくトリッキーで、通常の映画文法をかなり無視している。この独創性が、世界的に評価されている要因のひとつかなと僕は思います。
 

 
ハットフル:小津映画がルールを破っているという話でいうと、普通映画の中で登場人物の心象風景を描くときに、例えば悲しんでいるシーンだと、暗い音楽を流して表現することが多いと思うんですけど、小津映画では、何か悪いことがあったり、主人公が悲しんでいても、すごくハッピーな明るい曲が流れたりします。それって凄く現実の世界を表していて、人の人生って、自分にとても嫌な話があっても、世界は何事もなかったかのように動いていく。主人公が中心の世界じゃなくて、世界の中の一人という前提であることが小津映画でよく表現されているのが面白い。 

中井:たぶん、小津映画は必ずしもハッピーエンドではない。「東京物語」でいうと、その時代は核家族化が進み始めたころで、親たちが省みられなくて、自分の子供からあまり愛を感じられなくなっている。その時代における“家族”っていうものを投影しているので、その映画の中の家族がどうなるかっていうのは必ずしも重要ではなくて、今、そのとき家族ってなんなんだろうっていうものを象徴しているような作品が多いと思います。結果的にそこに小津が描いていたテーマといえると思います。
 
ハットフル:「東京物語」の中で子供たちが、老いた親を心から迎えいれていないという話に対して、何か道徳的なメッセージをこめているというニュアンスではなく、ただ画面に出てくる何気ない“物”たちが、人々の感情の動きを目撃してしまった、という視点で描いている気がします。

中井:なるほど、それは面白いですね。あと、小津映画は反復そのものがテーマだと思っています。内容もモチーフも役者も、同じものを繰り返しています。特に中期から後期にかけては、父と娘というテーマで描き続けました。カラー作品以降は特に繰り返していますね。一つは経済的な理由があります。当時、松竹がヒットを生まなければいけない状況で、小津作品でヒットする内容というのがなんとなく固まり始めていたのでこのテーマを繰り返した。もう一つは、カラー作品以降、小物へのこだわりが凄く強くなったんです。観客が色で情報を受け取りやすくなったことで、いままで使っていた物を、よりよい物をつかっている。反復しながら精度をあげることを図ったと考えます。

ハットフル:小津のカラーフィルムが出た当時は、まだカラーフィルムに対してまだなれていなかったから、白黒の作品のほうが良かったと映画評論家たちは言っていましたが、それはアートの世界でも同じで、最初にポップアートが出てきたときは、みんなが抵抗を示した。ポップアートもカラーフィルムも出てきてからある程度時間が経つと、再評価されて、その良さが今改めて見えてくるのかなと思います。日本ではどうだったのかは分からないけど。

中井:基本的にサイレントからトーキーに変わるときなどの技術革新において映画評論家はある意味で批判しがちです。つまり文法が変わることにも関わります。サイレントとトーキーではしゃべらないものがしゃべりだす、全く文法が異なり、従来のやり方がかわります。映画評論家たちは変わる前のものを前提に生き、愛している人たちが少なくないので、一部の人々は根本的な変化に批判的になる傾向があると感じます。でも多くの観客は必ずしもそうではなくて、カラーが出たときは喜んだし、しゃべりだしたときも喜ぶ人はたくさんいたと言われています。一般の観客と一部のプロフェッショナルな人たちの感覚は少し違ってはいると思います。 
 
山下:これは今でもいえることですか?

中井:今もです。例えばNetflixは映画なのかという論争。今、お金がNetflixに集まっていて、多くのクリエイターがNetflixに流れています。もはや従来の映画のクオリティに匹敵する、あるいは超えるレベルの映像作品が生まれています。そして観る人もものすごい人数ですが、やはり映画評論家や、映画監督の一部は映画として認めるには批判的であります。なぜかというと、映画史から鑑みた映画の成り立ちを踏まえ、映画は劇場で見るものであるという、従来型の価値観を前提にしているからです。その話は間違っているわけではありません。カンヌ映画祭はNetflixで配信されるものは映画として認めてません。一方ヴェネチア映画祭はNetflixを映画として歓迎している。物の見方っていうのは割とクラシックで、定義を硬く持っている人が少なくない、新しいものを受け入れるのには必然的に時間がかかります。

山下:それは映画界全体が閉鎖的ということですか?

中井:芸術は常に更新されていくものだと僕は思っていて、映画というのは総合芸術だと思っています。多くの映画人は原体験を大事にしているというのがまずあって、だからフィルムからデジタルに移行するときにも物凄い反発がありました。フィルムだと簡単に撮り直しもきかず、撮れば撮るほどお金がかかるので、撮影の回数が限られている。デジタルとフィルムではそもそも原理もちがう。映画好きや映画人たちがフィルムこそが映画であると思い大事にしていたから、デジタルが登場したときに食いついたのはデイビッド・リンチなど極一部のクリエイターだけでした。けれど時代の流れの中で、デジタルのほうが便利なので、他のクリエイターたちもデジタルで撮るようになっていった。 フィルムを焼いて送るのも、一巻30万円ほどかかっていたところ、デジタルはデータを送るだけで上映できてしまうなど、環境としても初期費除いてあまりお金がかからないという理由で、一気に世の中がデジタルに移行し、 今は98%くらいデジタルで撮られ、上映されています。けれど、タランティーノやクリストファー・ノーランとかは過去の映画への想いが強く、フィルムに愛を感じているので、デジタルでは撮らない。フィルムの生産が中止になりかけていたけれど、彼らがお金を出して、コダックに最低限の生産ロットを作ってくれと依頼してフィルムで制作しているなど強いこだわりを持っています。

ハットフル:人々は順応できるよね。でもこだわりを持つこともとても大事だと思います。
 
山下:アート史も同じように、印象派もはじめは同じように反発がありました。最近だとカウズなんかもはじめはストリートアートってことで批判されていたけれど、今ではとても高額な値段がついています。ニックの作品にもiPadを使ったり、スプレーペイントが使われていて、スプレーペイントは絵画に用いるものではないと思っている人も多いと思うけど、そのことについて何か言われたことはありますか?特にロイヤルアカデミースクールは伝統的な学校のイメージがあるけど。

ハットフル:生まれた時代や、環境によってだと思います。僕自身や僕のまわりの人は、全く抵抗を持ってないようだけど、僕の上の世代の人たちは悪趣味だって思う人もいるかもしれないね。iPadを使っていることについては、少し“すっぱい”感じだねと友達に言われたことがあります。笑。僕自身はノスタルジックな人だと思われたいとは思っていないけど、東京でレコードを流すカフェに入って音楽を聴いたんです。今はスマートフォンでいつでもどの曲でも聴けちゃうけど、あえてレコードをかけて音楽を聴くのはすごく温かくていいなと感じました。だからフィルム映画への愛も良くわかる気がする。絵画には緊張感がとても大事だと思っていて、いい緊張感は上手に新しいことや流行を取り入れながら、 伝統や過去のものからも学びを得ることで生まれるのだと思います。

中井:そうですね。ぼくからも質問なのですが、映画は引用の芸術であると言われていて、もはやオリジナルがない。過去から引用してなにかを創り上げることがむしろ奨励されています。何かを引用することによって、価値が付与されていくのが映画芸術。あなたの絵画では、小津映画が引用されているけど、小津を引用することによって得ている価値とはなんですか?

ハットフル:僕の場合は小津映画を何回も見ていて、印象的で強く記憶にのこっているシーンやものがあります。それが布団の模様だったりするんだけど、そのシーンをそのまま引用して描きたいわけじゃなくて、その模様を取り入れたいと思ったりするんです。映画のなかでの引用は、どう引用するかが重要であるのに対して、僕の作品の中の引用は、絵にすることによってどうして印象強く感じたのかを考 えるために描いています。絵を描く行為によって、自分の中で消化しているのだと思います。 
 
中井:なるほど。ニックの人生とニックの表現と、小津が表現しているものがミックスされてアウトプットされたものが作品になっているのですね。
 
ハットフル:洗濯物が干されている場景はきっといつの時代にもあって普遍的だけど、違う時代や環境など異なるフィルターを通ることによって、見え方が変わってくるような気がします。映画や美術のなかでも、引用されていることが同じだとしても、どの時代や誰のフィルターを通るかによって引用の仕 方や意味が変わってくるから、フィルタリングがキーだと思います。
 
 

普遍性が高いからこれだけ世界的に評価されているのだと思う。
 
中井:おそらくこれからも絵を描き続けると思うけど、そのときにも小津はそばにあるのでしょうか?
 
ハットフル:そう思います。たとえあからさまに作品に出てこなくても、小津映画は作家としての自分のDNAが成形される上でとても影響を受けたと思っています。僕も中井さんに最後質問があります。ドナルド・リッチーやポール・シュレイダーは、小津映画は日本の伝統だったり、日常の中の禅を表現していると述べているけど、デイビッド・ボードウェルは反対の意見を持っていて、小津はアメリカの映画にも影響を受けているし、新しいものにも挑戦していると言っている。中井さんはどっち側の意見なのか教えてくれますか。
 
中井:僕の考えとして、まず前提として小津はアメリカの映画にとても影響を受けていて、特に初期の作品は物凄くアメリカ的なスタイルをとっている。『非常線の女』などは、その典型だと思います。特に戦後になってから家族というものを撮るようになっているけど、それは単に日本の伝統的な家族を描いているわけではなく、一見平穏に見える家族の中にある哀愁を撮っている。さっきの質問に答えると、後者のほうが僕はより印象的だと思っていて、前者は少し表層的な見方だと思います。だから東京物語を見て感じることって、すごく現代的で、今の話に置き換えてもおかしなことではないと思います。それは単純に当時の日本の日常を描いたというよりは、人間が生きているうえで起こりうる葛藤をきちんと描いていて、普遍性が高いからこれだけ世界的に評価されているのだと思っています。

山下:それはアートの世界でも他の分野でも言える事ですね。

中井:僕は表現に関していうと、ベクトルではなくて強さが重要だと思っていて、どの方向を向いていたとしても、強いものが残っていくと感じている。小津もごく普通の物語を描いているように見えるけれど、それだけではここまで残らない。家族で子が親を思う気持ちや、親が子に対する思いを反復して描いていて、その繊細な感情は宗教や文化が違ったとしてもみんなが共感できることで、小津映画にはそこの強度と精度があるからこそ世界的に認められているのではないかと思っています。
 
 

【プロフィール】
ニコラス・ハットフル(1984-)
1984年に東京生まれる。2011年にイギリスのロイヤル・アカデミー・スクールを卒業し、現在はロンドンを拠点に活動。セインズベリー・スカラーシップを獲得し、 2011年から2012年にローマのブリティッシュスクールで絵画と彫刻を研究。サーチギャラリー、ヘイワードツーリング、ローマ現代アート美術館(MACRO)、ジョルジュ・ エ・イザ・デ・キリコ財団など世界各国の美術館におけるグループ展に参加。FriezeやMousse、Financial Times、Life&Artsなど数多くのメディアで彼の作品が取り上げられている。 主な収蔵先にはSaatchi Gallery,イギリス、The Hiscox,イギリス、Beth Rudin DeWoody Collection,アメリカなどがある。また、2018年にはローマの名門ブリティッシュスクールで行われたフェリシティ・パウエルの講義のための「The True Italian Pop Art」を発表し、古代および近年の遺物についての考察を、彼がイタリアで過ごした時間を綴った小説的な短編作品と結びつけた。 最近では、ハットフルによって書かれた記事がFriezeとMousseに掲載されている。アーティスト活動だけでなく、記事の寄稿や批評など、その多才な活動に注目が集まっている。
 
中井 圭(なかい けい)
兵庫県出身。映画解説者。WOWOW「映画工房」、TOKYO FM「LOVE CONNECTION」、シネマトゥデイ「はみだし映画工房」などに出演。「CUT」「VOGUE JAPAN」「THE SCRAMBLE」「Numero TOKYO」などで映画評を寄稿。東京国際映画祭や映画上映イベントなどに登壇。各種映画祭で審査員を担当。面白い映画の認知度を高めるプロジェクト「映画の天才」や関心のないことに関心を持つ若者を育成する「偶然の学校」などを主催。
 
 

 
 
Nicholas Hatfull's solo exhibition “Thermals of the Heart” is currently on view at THE CLUB in Ginza SIX, Tokyo. Born in Tokyo and raised in the UK, Hatfull is charmed by the films of Yasujirō Ozu and incorporates their influence into his art making. During the exhibition period, the artist held a special talk with film commentator Kei Nakai. Yukako Yamashita, Managing Director of THE CLUB, took the chair, and the two speakers shared their stories about Ozu's films.
 
N: Kei Nakai (film commentator)
H: Nicholas Hatfull (artist on view at THE CLUB) 
Y: Yukako Yamashita (Managing Director of THE CLUB)
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Yamashita (Y): To begin with, do you have any obsession with objects?
 
Nakai (N): I have a very particular taste about objects, but I don't collect anything. That said, I have tons of DVDs because I'm a film commentator.  I have some of Ozu's films too. 
 
Y: Nick [Nicholas Hatfull], do you collect anything in particular?
 
Hatfull (H): I've been collecting packages of food products for a long time, and I especially like those used for pizza. I used to live in Italy, where I found that Italian pizza packages are different from the ones in the UK. There were many local pizza shops, and their packages had some interesting pop designs and characters. I'm also interested in coffee cup lids. 
 
N: Lids? (laugh)
 
H: Yes, lids it is (laugh). Plastic ones. Actually, I have even drawn the motif in my work sometimes. 
 
Y: Then, your visit to Kappa-Bashi Kitchen Town the other day must have been paradise for you (laugh)
 
H: Exactly! Speaking of the films of Ozu Yasujirō, I think he constructed every single scene very carefully as if making an art installation. 
 
N: Ozu even controlled the amount of liquid in cups onscreen. Their heights are all aligned at the same level. 
 
H: Yes, that thing about the level on drinks is hardly noticeable unless one is looking for it, but I’m sure that on a subconscious level, people would get a pleasant feeling from the harmony in it. 
 
N: Ozu films are not only about perfectionism, like that thing with the height of liquids. He also ventured to incorporate unlikely scenes in his storytelling, which I think is his expression of the mysteries of everyday life. 
 
 
N: In their content, Ozu's films often deal with ordinary plots like his many stories of very ordinary parents and children, but his technique is quite tricky, considerably ignoring basic cinematic grammar. For me, that originality became one of the factors that built Ozu's international reputation.  
 
H: Come to think of how Ozu’s films break the rules, he does things like playing happy and positive music in a scene where the protagonist feels sad. It is a great expression of the realities of the world we live in, where something might be truly hard on someone, but the world keeps moving on as if nothing had happened. I find it interesting that one of the premises expressed in Ozu’s films is how their main character is not the center of the world, but just a person among others.
 
N: Not all of Ozu's films have happy endings, perhaps. Speaking of “Tokyo Story,” the film is based on the social situations of those days, when the nuclearization of the Japanese family had just started, and parents couldn't receive much care and love from their children. Since it is a projection of the “family” idea of that period, the drama of the family in the movie is not that important in itself. I think many films by Ozu symbolized a questioning of what a family truly is, for each given historical moment. One of Ozu’s lifelong themes was how the circumstances of each individual family would never get matched with those of a given time period. 
 
H: “Tokyo Story” portrays children's reluctance to fully welcome the relation with their aging parents, but without inserting moralistic messages. I feel Ozu's films are made from the perspective of ordinary “objects” surrounding human characters, as if they were witnessing the drama of humans accidentally. 
 
N: I see. It’s interesting. Going back to the topic of how the stories in Ozu's films are repeated, I also think that the reiteration itself is a theme. Ozu often repeats the same stories, motifs and actors. Especially in the middle to late stages in his career, he kept drawing on the theme of a daughter and her father in particular. He repeated it very clearly, especially in his color films. There was a financial factor too. At the time, Shochiku [film publisher] was in a condition in which they had to make hits, and somehow the publisher had been settling for a fixed notion of the kind of content that would make an Ozu film a hit, which led to the repetition of the theme. Also, after Ozu started using color, his obsession with objects became much stronger. As color made it easier for the audiences to take in information, Ozu attempted to raise precision levels by using objects of higher quality than those he had been using until then. 
 
H: Critics in those days said Ozu was better in his black and white films, because color film itself was still new and they were not really accustomed to the new technology. We see a similar situation in art. When Pop Art first emerged, everyone opposed it. Only after a certain period of time did pop-art and color film have chance for revaluation, and now is the time for us to fully assess their value again. I don't know much about how it was in Japan, though. 
 
N: Basically, film critics tend to show negative feelings towards new technologies. In short, it is a moment when the [dominant] grammar changes. In the transition from silent films to talkies, what had not spoken started speaking, which is a drastic change in the grammar and the way things work. As many film critics loved films before such a drastic change, they often remained conservative, reacting critically about the new things. But audiences were not like them. They rejoiced at the color films and the talkies. The feelings of critics and average audiences tend to be a bit different, I think. 
 
Y: Is that still the case today? 
 
N: Yes, it is. For example, Netflix is movie or not. Money is flowing into the new service, Netflix with many creators joining the trend. It is a global trend, with a significant amount of audience, but film critics and some film directors are critical about this new movement. Because, they uphold the conservative belief that a film must be seen in a movie theater. But it is not necessarily wrong. The Cannes Festival does not accept films distributed on Netflix as cinema, and their rules do not allow works on the subscription service to be shown at the festival. In contrast, The Venice Film Festival welcomes Netflix. This negative reaction is quite classic, and it takes time to change the minds of many people who have strong, fixed convictions about what cinema should be like. 
 
Y: Do you mean the cinema industry in general is a closed community? 
 
N: I believe that art is to be updated continuously, and cinema as a form is a total work of art. To begin with, many people in cinema production appreciate their own first encounter with the art form, which led them to have a strong resistance to the move from film to digital. But in the course of time, creators have accepted the practical advantages of digital technologies. Today, almost 98 percent of cinema is produced digitally.  
 
H: People can adapt themselves to new technologies. But I also think it is as important to have such fixations. 
 
Y: Similarly in art history, impressionists had to face such negative feedback. Speaking of a recent case, Kaws had been criticized on the grounds that he belongs to street art, but nowadays his work is being valued at very large sums. 
 
H: I think good painting requires a sense of tension, and such a positive tension can be generated only by incorporating new things and trends, while still learning from tradition and the legacy of the past. 
 
N: I see. Cinema is said to be the art of references to past resources, and thereby it no longer has originality. It is rather recommended to create something out of quotations of the past. In your painting, you quote Ozu films but, what kind of value do you gain from those quotations? 
 
H: In my case, I watch Ozu films over and over again, and some impressive scenes and objects have remained in my mind very strongly. The pattern of a Futon is one of those memories, but I don't want to simply quote the scene. I rather try to adjust the pattern for my work. How to quote would matter in cinema, whereas my painting is made to emphasize why I was so impressed with those scenes by depicting them. I think I try to digest my own experience by painting it. 
 
N: I see, your life and expression are mixed with what Ozu expresses, which in turn becomes your work. 
 
H: I think a scene of airing laundry is universal, no matter what historical period it is in, but the way it is seen would change as it is filtered through different historical settings and surroundings. 
- Ozu is so appreciated worldwide due to its universal relevance
 
N: I think you'd probably continue painting, but do you think you'll keep Ozu beside you in the future too? 
 
H: I believe so. Even if his imagery might not appear in my work in an obvious way, his films have really influenced the way I developed my own artistic DNA. By the way, I've got one last question for you. Critics like Donald Richie and Paul Schrader discuss Ozu in terms of Japanese traditions and how his films express Zen philosophy as found in everyday life, but David Bordwell has a contrary opinion, arguing that Ozu was also influenced by American films and challenged himself engaging with new things. Would you tell us which position do you feel closer to? 
 
N: My opinion is that, as a starting point, Ozu is strongly influenced by American films, and his earliest works demonstrate the influence very visibly. In the post-war period, Ozu started dealing with the theme of family relationships, but it was not about depicting the traditional Japanese family, but rather about presenting conflicts in an apparently peaceful family. Back to your question, I rather agree with the latter, and the former sounds like a very superficial view. That's why his “Tokyo Story” still has strong relevance today, and people can even watch it as a story of these times. And that would not be because of its depiction of ordinary life in Japan, but because it accurately portrays conflicts that could happen to everyone as long as they live, and I think that Ozu is so appreciated worldwide mainly due to its universal relevance. 
 
Y: The same thing can be said of the art world and other fields. 
 
N: Regarding expression, I find more value in its strength rather than its vector, and whatever direction it heads for, I feel it must be the strong expressions that will survive in the end. Ozu repeatedly portrays parents' care for their children and vice-versa, subtle emotions which I believe can be jointly understood beyond differences of religion and culture. It is because Ozu's films have that intensity and accuracy that they have been well-received worldwide.
 
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