【イベントレポート】ドラクエ、FF、ゼルダが社会問題の解決に? ゲームがもたらす未来を語る。『ゲーム学の新時代』刊行記念 

懐かしの『スペースインベーダー』、近年のヒット作『ファイナルファンタジー15』『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』…etc. 子どものころから多くの人が親しみ、楽しかった記憶を共有する「ゲーム」。エンターテインメントとしての側面がある一方で、eスポーツの隆盛やAR・VR技術の浸透など、先端テクノロジーが惜しげなく投入されてるゲームは、常に人々のライフスタイルを揺るがし続けている存在だ。
そのゲームを、音楽やAIなどさまざまな切り口から研究・分析し、歴史や社会性を読み解く新しい学問としたのが「ゲーム学」。その結晶である論集『ゲーム学の新時代』の出版記念イベントが、銀座 蔦屋書店で2019年5月16日に開催された。
ゲストは、執筆陣であるゲームAI開発者・三宅陽一郎さん、ゲームを含むヒューマンインターフェース研究者である福地健太郎さん、ゲーム音楽家・ゲーム史研究家として活躍する田中治久(hally)さん、本書共編者の中川大地さん。人工知能(AI)を中心に、ゲームデザイン、テクノロジーに焦点を当てながら、ゲームの未来やポストヒューマン時代の社会構想などについての話が展開された。
 

ゲームサウンドはゲームに要らないもの?
 

 
『ゲーム学の新時代』共編者、中川大地さん(以下、中川):今日は「ゲームが解き放つ〈AIの野生〉」をテーマにお話したいと思っています。論集『ゲーム学の新時代』は、「Part.1 ゲーム学の射程と最前線」「Part.2 ゲーム研究のためのアーカイブ戦略」「Part.3 ゲームデザイン/テクノロジーが拡張するもの」「Part.4 現代ゲームの潮流が導く未来学」の4部構成で、今回焦点を当てるのは、Part.3と4です。
 

『ゲーム学の新時代』共編者、中川大地さん

まずはハリーさんの論考から。ゲームサウンドとはプレイヤーにとって何なのかを掘り下げていますね。僕が面白いと思ったのは、ハリーさんがゲームサウンドを「ゲームにとって必須ではない」というところから始められていたところ。
ゲーム音楽家・ゲーム史研究家、田中治久(hally)さん(以下、ハリー):僕自身が作曲をするので、ゲームサウンドを聴いている人達の需要を意識する必要があるんです。彼らは何を求めているのか。それは、ゲームの中での”体験”があった上で、サントラが欲しい、語りたいということなんです。そこで、今までの欧米のゲームサウンド研究では触れられていなかった”体験”という部分に注目したところ、「サウンドはいらないのでは?」ということに。
 

ゲーム音楽家・ゲーム史研究家、田中治久(hally)さん

中川:スマートフォンのゲームだと、電車の中などでは周囲に配慮して音をオフにしてプレイされることがほとんどですし、実はいわゆる「音ゲー」も含め、多くのビデオゲームは、音を必須としない形でデザインされていることが多い。だからこそかえって、ゲームにとっては余計なものであるサウンドは、単なるゲームプレイの範疇を超えた深い体験をもたらす効果もあるということですよね。
 
ハリー:なくても構わないはずのものが、むしろなくては困るという心理状態に至るまでに、人間の中で一体何が起きているのか。非常に興味深いですね。
 
中川:ゲームサウンドがプレイヤー固有の体験と結びついているというのは、ラジオ番組でゲームミュージック特集をやるとリスナーの熱量がすごい、ということからも実感できます。ハリーさんは、論考の中で映画における劇伴音楽(伴奏音楽)との対比もされていますが、ゲームとそれ以外のメディアでの音楽の在り方の違いは、どういう点にあるのでしょうか?
 
ハリー:映画に音が不要だという人はいないと思うんです。サイレント映画や効果として狙っている場合は別として。ところがゲームは本人の意思で付けたり消したりできる。
ヒューマンインターフェース研究者、福地健太郎さん(以下、福地):劇伴では作り手が決めた感情操作のために流されているもの、ゲームはプレイヤーが行為したことに対するBGMである、という側面もありますね。
 
ヒューマンインターフェース研究者、福地健太郎さん

ハリー:そこはAIともリンクしていく話になってきますね。
 

AIで一人一人のゲーム体験が変わる日が来るかもしれない

中川:本書でも水野勇太さんの論考などで触れられている「メタAI」ですね。 ゲームAIには、「メタAI」「キャラクターAI」「ナビゲーションAI」の3種類があります。
「メタAI」とは、神様のような立場からゲームのすべてをコントロールするようなAIのことで、作り手の意思から離れて、プレイヤーひとりひとりのプレイ状況に応じて音楽や環境、敵の数や配置などの状態を自動的に対応させていく役割を担っています。「キャラクターAI」は、NPC(ノンプレイヤーキャラ)の動作を制御するもの。「ナビゲーションAI」は位置情報によってキャラクターが移動する経路を探すものです。
ゲームAI開発者、三宅陽一郎さん(以下、三宅):ユーザーが操作できるのはキャラクターである自分自身の体だけですが、そのキャラクターを操作した結果によって、メタAIが音楽も地形も天候も変えていく。ゲームをリアルタイムに変化させられる自由度を与えているんです。
 

三宅さんの論考「人工知能からはじめるゲーム学 –現実とゲーム、人とAIの対称性–」資料より
 
 

ゲームAI開発者、三宅陽一郎さん

中川:僕がオープンワールドゲームで面白いと思ったのが、従来のゲームは移動と戦闘などの場面ごとに映画のカットのように切り替わるのに対し、『ファイナルファンタジー15』『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』などではシーンが連続しているので、何でもない場面から敵に近づくにつれて不穏なBGMが少しずつ聴こえ始め、だんだん大きくなっていくというように、音楽もシームレスになっているところです。
 
福地:昔の劇伴音楽は、音楽家が映画館で生演奏していたんですね。封切りしたばかりの作品だと展開が分からないから演奏がシーンよりも遅れていたのが、上映を重ねるとだんだんうまくなっていく……ということがあったらしいです。ゲームでも、そういうふうに進行が予測可能になると、プレイヤーの感情を汲み取って曲調を変えるということもできるようになるでしょうね。
 
ハリー:最終的には、プレイヤーのリスニング志向を拾ってプレイヤーごとにBGMを変えたり、自動的に新しい曲を作曲するなんていうこともできるようになるかもしれない。
 
三宅:プレイヤーによって体験が違うということは、まさにこれからのゲームが目指しているところです。これまでは、何百万人が同じ体験を共有することに価値がありました。これからは、それぞれがちょっとずつ違う体験をすることになる。「俺がいたオープンワールドはやたらゴブリンが多い」「YouTubeに上がっている動画のBGMが自分のものと違う」……といった。他人と差異があることに価値が出てくるんです。
 
福地:共有体験がなくなるということは、すでにテレビ番組については起きていますね。僕が子どものころはみんな同じテレビ番組を観ていたから、子どものころに観ていたテレビ番組の話をしても話題として成立するんです。今はYouTubeを観る子どもが多くて、好む番組もバラバラ。
ゲームの共有体験でいうと、今の大学生にとって小学校時代のゲームといえば『ポケモン』だけど、それがバラバラになると、同窓会での共通の話題がなくなるという、すごくポストモダンな世代が生まれる(笑)。
 
中川:映画を映画館で観ていた共有体験から、近年ではHuluやNetflixなどでユーザーごとのリコメンドに応じて異なる映像体験をしている、ということも起きていますよね。映画などの複製芸術をみんなで共有する体験があった20世紀から、体験が完全に個別化していく21世紀へ。ゲームには、そうしたメディア体験の歴史的な移行を主導してきた面があるのではないかと思います。

SF作品はロボットやAI開発にどんな影響を与えているか

福地:それを先取りしていたのが『ウルティマオンライン』ですよね。そういえば、ベータ版終了のときにアポカリプスイベントというのがありましたよね。明日からローンチするからベータ版の世界を壊滅させるという。『FF14』でも同様のイベントがあり、僕はこれらをよく覚えているんです。強烈な体験を共有することで、プレイヤー全員の意識が一つに集約する瞬間というものがある。これは大震災など実社会で大きな出来事があったときと似ている気がしていて。僕はゲームの研究をすることが、現実の社会を研究することに繋がるんじゃないかと考えているんです。

中川:「ゲーム学」がこれからの社会を考える上で重要になるということは、まさにこの本で伝えたかったことです。特に福地さんの論考では、デジタルゲームの発展によって、「規範」と「規則」と「法則」の区別が希薄化し、ゲームと現実の在り方が近づいているという考察をされていますよね。その点を詳しくお話しいただけますでしょうか。
 
福地:例えば、ゲームには「スコア」というものがありますよね。上手なプレイをするとそれに応じてスコアが稼げるので、プレイヤーはハイスコアを目指すわけなのですが、ときどきスコア設定がおかしいゲームがあるんです。例えば『ナイトストライカー』というタイトーのアーケードゲームでは、敵を1機も撃たないと莫大なスコアが入るパシフィストボーナスというのがあります。バンバン敵を撃って楽しむゲームのはずが、1発も弾を撃たないという平和主義的なゲームを強制させられる(笑)。スコアシステムがプレイヤーの行動に影響をおよぼすんです。
現実の社会では、中国の「社会信用システム」にでも似た現象があります。社会的信用度がAIで判断されてスコア化されるというもので、スコアが足りないとお金が借りられなかったり、クレジットカードが使えなくなったりする。
AIが人間の信用度を査定するということが本格化していったときに、社会で何が起きるのか。それはゲームの世界においてはすでに起きていること。だから、ゲームを研究することが面白いんです。
 
中川:ゲームやアニメなどのエンターテインメントに登場する人工知能像は、すでに実社会に影響を与えていますよね。
ハリーさんの資料より。1840年にコンピューターの元祖となる解析機関をつくったイギリス人のチャールズ・バベッジがある意味において人類初のAIとも言われる自動チェス人形「ターク」をヒントに世界初のゲームマシンを構想し、1912年にはスペイン人のレオナルド・トーレス・ケベードが歴史上で最初のコンピュータゲームとも称されるチェス機械「エル・アヘドレシスタ」を作成。ここからコンピューターゲームの発展がはじまった。

福地:僕や三宅さんは、筑波大学の大澤博隆先生が中心となって進めている、小説や漫画、アニメなどのSF作品が現実の人工知能にどう影響しているか、という研究に参加しています。研究者や開発者がつくるAIやロボットが、彼らが幼少期に親しんだSF作品からどのような影響を受けているのか、ということです。
実際に、SFの想像力を実際の技術開発・新製品開発の場に組み込んで行こうという動きは、海外で活発化しています。アメリカに代表されるハイテク企業では、SF作家やSFマインドがある人を雇用し、未来予測シナリオを書かせるという取り組みも行なっています。日本でも、大阪万博にSF作家の小松左京がグランドデザインに協力しています。
 

「想像力のアップデート: 人工知能のデザインフィクション」(大澤 博隆ほか)資料より

もちろん、僕らが親しんでいるエンタメの技術であるコンピューターゲームもいまや外せない要素です。ゲーム特有の人工知能で僕が真っ先に思い出すのは『ドラゴンクエスト4』ですね。ゲームシステムの融通の利かなさやからくりなどは、その後の世間の人工知能観に影響を与えているんじゃないかな。
 
三宅:自分のアクションに対して人間でないものが意図をもつという原体験は、ゲームですよね。ゲームが意思を持っているという感覚は、子どものころしか味わえないこと。
 
中川:オンラインゲームの時代になり、ゲームの向こうにいる他者が、AIなのか人間なのかがあいまいになってきたことで、その感覚は復活しうるものだという気がします。
 

“無理ゲー”が実社会を救う!?

三宅:今、ゲームは整備されてきてしまっていますが、野性味を取り戻したいんです。「この敵キャラクターはゲームデザイナーが明確にパラメーター調整したものではない。あなた(プレイヤー)がログインした瞬間にプログラムによって自動的につくられ、あなたに倒せる保証はありませんよ」とかね。
昔は入れたくなくてもバグという偶発性が出てきちゃって、「俺がやっているゲームはクリア可能なのだろうか」とか思うこともあったけど(笑)。とはいえゲームは、偶発性を取り戻さないと淡白なものに成り下がってしまう。
 
福地:今のゲームだと、なんやかんやで助け舟を出してクリアさせてくれそう。「フロム・ソフトウェア」(ゲームメーカー)以外(笑)。
 
中川:ゲームAIの発想って、プレイヤーにとっていかに難しすぎない範囲の挑戦課題を与え、それを心地よく克服する体験をさせるかを追求することですよね。心理学者チクセントミハイのフロー理論に基づく、いわゆるポジティブ心理学の発想です。でも、もっと人間には根源的な予測不可能性や他者性への希求があって、それをさらなる面白さとして追求する発想を、ゲームAIは持った方がいいという話ですね。
 
三宅:メタAIが大暴れして、まったくゲームになってない!ゲームバランスがおかしい!みたいな、理不尽さがあってもいいんじゃないかと。3時間プレイしたのにデータが消えるといったような、心がポキポキ折られるような生々しさが昔のゲームにはあった。そんな原体験を取り戻したい。
 

三宅さんの論考「人工知能からはじめるゲーム学 –現実とゲーム、人とAIの対称性–」資料より

ゲームの中のAIに対して、人間は我慢をしなくていいんですね。社会制度におけるAIに対しては、我慢しなければならない。AIが「社会のルールとして●●しなければならない」と言えば、それを受け入れる必要がある。でも、RPGで魔法を撃とうと思った時にAIが「違う!」とか言って撃たせないとかされたらプレイヤーは文句言うでしょ(笑)。そういう人間の感情のむき出したところにゲームAIは対応しないといけない。他の分野のAIでは遭遇できないところですよね。
 
中川:現実は“無理ゲー”だとよく言われます。逆に言えば、いろいろな理不尽を人間側が楽しめるようにするゲームのメソッドを、現実のままならなさを受け止めるための社会設計に応用できないかとは思いますね。例えば、現実の社会ではどうしても経済や文化資本の偏在による分断が起こるわけですが、それをせめてソシャゲの初心者優遇ボーナス的な情報リソースの再分配によって緩和するとか。
あと、現実社会へのAIの実装を、ビッグデータ管理によるメタAI的なイメージだけに限定すると管理主義的な恐怖が全面に立ちやすいけど、ゲームからはもっと違った形のAI像や未来社会像が提案できると思っています。例えば、ゲームでの理不尽な挙動も含む遊び相手であるキャラクターAIという側面に着目することで、自分たちと対等な存在としてのポストヒューマン型のAI像を発信できる、というような。
 
三宅:個人のやりたいことをエンハンス(促進)するような、パートナーとしてのAIですね。
 
中川:そう。だからゲームの側は、もっとAIに野生を持たせて現実の理不尽さを新たな面白さとして採り入れることのできる“無理ゲー”化を追求する一方で、社会設計の側はレベルデザインやサービス運営の応用で現実を“無理じゃなくするゲー”化していく。「ゲーム学」が、そのような両側からのアプローチを支える学になっていけばいいなと思います。
 
文:高橋 七重
 

 
【プロフィール】
三宅 陽一郎(みやけ よういちろう)

ゲームAI開発者。京都大学で数学を専攻、大阪大学大学院物理学修士課程、東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。デジタルゲームにおける人工知能技術の研究・発展に従事。著書に『人工知能のための哲学塾』『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』(BNN新社)『人工知能の作り方』(技術評論社)、共著に『ゲームで考える人工知能』(ちくまプリマー新書)『ゲーム情報学概論』(コロナ社)ほか。
 
福地 健太郎(ふくち けんたろう)
1975年東京都生まれ。東京工業大学理学部卒。現在、明治大学総合数理学部教授として、インタラクティブメディアの研究に従事。インタラクティブ広告や舞台演出のため のソフトウェア開発を手がける。近著に『図解でわかる!理工系のためのよい文章の書き方―論文・レポートを自力で書けるようになる方法』(園山隆輔と共著、翔泳社)。
 
田中 治久(hally)(たなか はるひさ)
1973年京都府生まれ。ゲーム史/ゲーム音楽史を専門とするフリーライター。主著に『チップチューンのすべて』(誠文堂新光社)など。2009年まで世界唯一のゲーム音楽専門配信サービスである「EGG MUSIC」のプロデューサーを務め、また同時期からチップチューンの作編曲家としても活躍。国内外においてゲーム機を用いたライブ活動を展開する傍ら、さまざまなゲームソフトや音楽アルバムに楽曲を提供している。
 
中川 大地(なかがわ だいち)
評論家/編集者。明治大学野生の科学研究所研究員。1974年東京都墨田区生まれ。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャーを中心に、現代思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して現実と虚構を架橋する各種評論等を執筆。著書に『現代ゲーム全史』『東京スカイツリー論』など。批評誌「PLANETS」副編集長。文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員(第21〜23 回)。
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