【イベントレポート】小橋賢児×キングコング西野亮廣が人生を振り返って思うこと。

小橋賢児×キングコング西野亮廣が人生を振り返って思うこと。『セカンドID-「本当の自分」に出会う、これからの時代の生き方』刊行記念

国内最大級の音楽イベント「ULTRA JAPAN」クリエイティブ・ディレクターや「STAR ISLAND」総合プロデューサーなどを歴任してきた小橋賢児さんが、初の著書『セカンドID』を発売。これを記念し、トークイベントが2019年6月13日に銀座 蔦屋書店で行われた。ゲストは、小橋さんと親交が深く、「すごく境遇が似ている」というキングコング西野亮廣さん。
 
NHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』など、数多くの人気ドラマや映画などで活躍した俳優としての人生から、病気で死の淵をさまよい、日本を代表するマルチクリエイターとして復活した小橋さん。本著は、さまざまな“アイデンティティ”を生きてきた経験を書き下ろした注目作だ。
 
最近は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会主催の「東京2020 NIPPONフェスティバル」のクリエイティブディレクターにも就任するなど活躍を続ける彼が、人生で振り返って気づいた大切なこととは? お笑い芸人、絵本作家、オンラインサロンのオーナーなど、西野さんも多彩な”アイデンティティ”を持つに至った背景は?

小橋「自分の未来を守るために”今”をないがしろにしていた」
 
『セカンドID-「本当の自分」に出会う、これからの時代の生き方』(きずな出版)。
小橋さん「僕が歩んできたたくさんの”アイデンティティ”に、読者がそれぞれの境遇や立場を重ね合わせ、内なる気付きを持ってほしい。だから『ハウツー本』にはしたくありませんでした」

キングコング西野亮廣さん(以下、西野):小橋さんは27歳まで俳優をされていましたよね。何故、俳優を辞めたんでしたっけ。
 
小橋賢児さん(以下、小橋):子どものころ、両親が共働きで家におらず、デジタル情報がない時代でしたから、誰かに物事を確認するということをしなかったんです。原動力は自分の内なる好奇心。ところが、俳優になってからは「want to」じゃなくて「have to」に生きるようになってしまった。周りの目を気にして「●●しなければならない」等で自分の直感を閉じ込めて。すごく苦しかったけど、そんな感情さえも捨てて、ひたすらロボットのようにいろんな役をこなし、仕事が終わったら世間にバレないように個室のある居酒屋へ行って、くだらない話をする……。
僕は漠然と「男は30から」と思っていたんですが、20代の時に自分の30代を想像したら「それなり」な姿が浮かんでしまって。
 
西野:めちゃくちゃ分かる! 見えるんですよ、30代はこんな感じ、40代もおそらくこんな感じ……。それはそれで一つの幸せの形かもしれないけど、余生が「こんな感じ」の確認作業でいいんだっけ?って。
 
小橋:まさに、です。本当の自分で生きていないのに、「それなり」の人生でいいのかって。そうしたら急に怖くなって、それまで慣れていた枠組みから離れて遊ぶ人を変えたら、自分が全然知らなかった生き方をしている人たちがいたんです。そこにはクリエイターの方などがいました。大自然の中でキャンプをして、星空を見ながらナイスな音楽を聴いて、ワクワクしながらやりたいことを思い描いて、自然からインスピレーションを得た創造物をつくった。それってすごいことだなって思いました。一方で、自分はすべての情報を鵜呑みにし、体験していないことも自分のものと思い込んでしまっていたんじゃないか、とも。
そういう世界を知った26歳の時、知らない国を見たくてネパールに行きました。
山を登るたびに、閉ざしてきた感情が湧き出てきたんです。心のリハビリみたいでした。夕日を見て感動したり、星空を見てワクワクすることを忘れていました。山を降りたところで、偶然、現地の同い年の男性と会ったんですね。彼の家に招かれて行ってみると、3畳しかない家で娘さん、奥さんと3人で暮らしていました。彼は、娘さんを学校に行かせるお金がないと、僕に必死に話すんです。僕は、テレビの中で途上国の人を見たことはあったけど、まさか目の前で、しかも自分と同い年の人のこんな姿を見るとは思わなかった。その後、夕日を見るために丘の上に連れていってもらったんですが、彼の背中が大きく見えて号泣してしまったんです。
その時は理由が分からなかったんですが、今思えば、彼は家族を守るために今を必死に生きているのに、僕は自分の未来を守るために今をないがしろにしている、その人間力の差みたいなものを思い知り、悔しくなって嗚咽したのでしょう。
日本に戻ってくると、今まで我慢してきたことがどうしようもなく苦しくなってしまって。逃げるようにしてアメリカに行きました。それが、俳優を辞めたきっかけでした。
 
”キングコング西野”がテレビの仕事をやめた理由
西野さんの最新刊『新・魔法のコンパス』(角川文庫 刊)は、「文庫はずっと本屋に残るから普遍的なことだけを記したい」という思いで加筆修正したら、結果的に全部書き直してしまったとか。
 
西野:僕がテレビの仕事をやめた理由も時期もむちゃくちゃ似てます。きっかけになったのは25歳の時です。
当時、芸人はレギュラー番組の多さや冠番組を持っていることがステータスだったんです。僕は20歳から25歳にかけて、月曜から日曜まで毎日レギュラー番組で埋めて、よし来たぞ!と思っていました。
 
ところが深夜帯には腹抱えて笑いながら出演していた『はねるのトびら』がゴールデンに上がってから限界が見えてしまって。ゴールデンだと、ドラマの番宣をする人を立てたり、諸事情でアイドルの紹介をしたり、ということが増えてきました。興味が持てないことでも仕事だから、と割り切りました。でもこの時は、視聴率をとっているゴールデン番組に出演しているし、レギュラー番組も持っているし、「これで合ってるんだ」と思い込んでいました。
決め手になったのは、映画『パコと魔法の絵本』の原作も書かれた劇作家・後藤ひろひとさんの舞台を見た時です。これが、むちゃくちゃ面白かった。誰にも遠慮していないんです。スポンサーが関係ない舞台というものは、劇作家が王様。すべてが後藤さんのために回っていて、彼がやりたいことが舞台ですべて表現されていた。一方で、僕のスケジュールは他のタレントのための仮押さえで埋まっている。舞台を観終わった後、号泣してしまって。僕は自分がむちゃくちゃ我慢していたんだと気付いてしまったんです。
それで、新しくテレビの仕事を入れることをやめました。
 
小橋さんから相方のキングコング梶原さんのことを聞かれると「彼は2003年にストレスで失踪していて、1日で8本のレギュラーを失いました。僕に重めの借りがあったんです(苦笑)」と西野さん。

小橋:勇気じゃなくて、覚悟なんですよね。
 
西野:やめようと覚悟すると、いろいろ見えるんですよね。テレビというのはスポンサーが制作費を払い、その一部が出演者のギャラになっている。となると、企業に都合が悪いアクションは起こせない。これじゃあ、その企業に勝てないなって。え?企業に勝てない人生でいいんだっけ?って。スポンサーありきで動いていたらダメだな、と思いました。

いい出来事、最悪な出来事、すべてが人生をつなぐ”ドット”になり得る
 
西野:今の自分がここにいるのはあの時こうしていたからだ、と思い込んでしまっていて、自分が分からなくなることがあります。
 
小橋:分からなくなることはいいんですよ。人間は日々いろんなものに触れていて、いろんな情報があって、変わっていくものだから。結局は、目の前のことをどうやっていくかということでしかないんだと思います、人生は。現時点で憧れや目標があったとしても、これからどうなるかなんて誰にも分からないです。
 
西野:確かに。僕が25歳の時にはオンラインサロンがなかったですもん。当時決めていたのは、バスケットの監督に言われてた「かかとはつけない」。これです、人生も。片方で何か起きたらすぐに動けるように。
 
小橋:旅先の目標も、予定を組みすぎてしまうのはもったいないですよね。旅先で新しい人に出会ったり、新しい情報によってもっと出会うべきものがあったのかもしれないのに。
 
西野:本当にそうです。
 
小橋:子どものころ、大人になる時に明確な目標を持ちなさい、と言われたことに違和感がありました。例えば、スポーツ選手が短期間のなかで目標を立てることはいいんですが、怪我をしたりしたらどうするのか。それを受け入れることで、新しくたどり着けることがあるかもしれない。でもそれが受け入れられず、ダメだもう終わりだ、となってしまうのはもったいない。
 
会場からの質問「人間力を高めるために大事にしていることは?」に、「置かれた環境を大切にして向き合うこと」と小橋さん。「2年前に子どもができて家族中心の時間軸になったことで、新たな視点や感覚が生まれました。キッズパークや教育の場などをつくりたいという。僕は家庭環境だったけど、人それぞれの環境の変化でも起きること」

西野:僕はスケジュールを立てるのがこわいです。2年後なんてどうなるか分からないから。
 
小橋:僕、3年前に思い立って突然インドに行ったんです。俳優時代にネパールに行った時と同じ。「ULTRA JAPAN」が思った以上に大きくなって、自分が何となくいい感じになって、自分を見失いそうになって。Facebook創設者マーク・ザッカーバーグがスティーブ・ジョブズの助言でインドに行き、Facebookのミッションを確信したという話を思い出しました。
 
僕は仏教の中道(ちゅうどう)という言葉が好きです。両極を知るからこそ本当の自分を知ることができるという意味です。僕らが慣れ親しんでいる場所はひとつの極でしかない。コミュニティも情報も友達も会社も。この関係の中で物事を判断しがちですが、果たしてまったく違う環境に行っても同じと言えるのか。
インドでは毎日、自分にとって不条理なことしか起きませんでした。間違った道を教えられる、電車が1時間で来るはずが10時間来ないとか。でも現地の人は悪気がないんですよね。彼らにとっては常識だから。僕がイライラするのは、自分の常識に当てはめているから。あ、自分と彼らは違うんだと分かった。嫌なことに反発し、心地いいものに執着する”心の癖”に気付いたんです。だから、実験をすることにしました。
電車を10時間、街を離れずにじっと待ちました。するとそのうち街がざわつき始めて。なんと、4年に一度のインド最大のお祭りに遭遇できたんです。電車が遅れたことが、結果的にここに繋がったんだと思いました。
 
この”一見最悪な点”が、自分の人生を変えてくれた。スティーブ・ジョブズの言葉に「Connecting The Dots(点と点をつなぐ)」というものがあります。振り返るといろんな出来事がつながっていたことが分かるということです。僕も振り返ってみれば、俳優を休業して一文無しになり、彼女に三行半を下され、肝臓を壊したけど、自分の誕生日をオーガナイズしたことでイベントを手掛けることにつながった。
ひとつのイベント自体もドットになり得ると思うんです。例えば「ULTRA JAPAN」をきっかけにフェスに目覚め、他の国のフェスにも興味を持ち、その過程で新しい文化に出会い、人に出会い、好きなこと、やりたいことが変わり、海外で働くことになった、なんていうこともあり得る。実際に、3万人の若者が「ULTRA JAPAN」をきっかけに海外に行ったらしいです。僕も、ネパールの同い年の男性に出会わなかったらアメリカに行かなかったし、いろんなドットがありました。

人生に”正解”はない。間違うことにこそ価値がある

小橋:西野さんのオンラインサロンは今、25000人くらい会員がいらっしゃいますよね。そもそもなぜ、オンラインサロンをやろうと思ったんですか?
 
西野:一つは、スポンサーありきで動いていたら、大元を超えられない、100%自分の意見を持てないから、定期的にダイレクト課金をしてもらえる月額モデルが必要だったからです。
もう一つは、表現者が”間違えられる”「鎖国」的な環境を求めたからです。表現者の価値は”間違うこと”。でも、SNSで激しめなコメントをしようものなら炎上しますよね。正解、正義、正論の理屈で回っている世界だから、”間違っている”ことが許されない。だから、横槍が入ってこないことが大事だったんです。
例えば、浮世絵って世界の絵画のルールとしては間違っているけれど、世界に通用していますよね。でも江戸時代に欧米からの横槍が入っていたら、もしかしたら変わってしまっていたかもしれない。鎖国で守ることができたから、独自の変化を経て、世界に出した時に驚かれた。”間違えよう”と思ったら、カジュアルな鎖国は必要だと思ったんです。
 
小橋:仕事でプロジェクトを受け持ったりすると、どうしても安パイの人選や選択をして失敗しないようにしてしまいがちです。でも、失敗やトライ&エラーがないとワクワクする概念は生まれない。今まで出会わなかったような人が集まって、いつもの自分とは違う”余白”でやったことが、世界を変えられるんじゃないか。僕がやっている小さなサロンは、その実験の場です。
 
西野:僕はサロンを始める時に、今の人が何に反応しているのかということをむっちゃ勉強しました。サロンで売らないといけないものは情報じゃない、情報は調べればどこでも手に入るから。じゃあ、何か。
毎日、入会者と退会者を見ていました。そうしたら、僕の仕事がうまく行っている時は会員数が増えないこと、何かに挑戦している時には増えるということに気付いたんです。
少年漫画のような、来週どうなるの?をサロンオーナーは出し続けないといけない。漫画や映画などのヒット作の主人公は、60点からスタートし、だんだんうまく行って、ライバルの登場やトラブルで落ち、また上がっていくという感情曲線を描いている。この曲線を描くことが、オーナーが売らなきゃいけない物語です。


西野さん「ちなみに僕の場合は……えーと、最初から好感度低いです。で、みなさまに叩かれ、いろいろやっているうちに、なんかアイツいいやつなんじゃね?って好感度が上がってきてしまった(笑)。このままだと失敗です。主人公のピンチをつくらないといけない。そう、借金です。強烈な。だから僕は、美術館を15億円でつくるぞと言いました」

小橋:クラウドファンディングのように、完成品ではなくて過程を共有していくということですね。
 
西野:むしろ過程しか売れないです。これだけ物があふれていると、誰かがつくった完成品は他人事すぎるんです。
 
小橋:今はデジタル化で答えがすぐ出るようになったけど、アナログの時代には一つずつ体験しながら答えを出していたから、ストーリーが自分の中にあった。過程が求められているということは、原点に戻っているということですね。
 
西野:誰もが正解を調べられる時代に正解をつくるなんて、バカです。いかに間違っているけどいいものを提示できるかです。
 
小橋:人生も「これが正解だ」と決めつけて、それに縛られてしまうと、本当の自分にはたどり着けない。失敗やトライ&エラーを繰り返しながら出会いや気付きを得られ、内なる自分に気付くものですね。
 
西野:失敗はしないといけないですね。
 
文:高橋 七重

【プロフィール】

小橋 賢児(こはし けんじ)
LeaR株式会社代表取締役。クリエイティブディレクター。
1979年、東京都生まれ。1988年に俳優としてデビューし、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」など、数多くの人気ドラマに出演。2007年に芸能活動を休止。世界中を旅しながらインスパイアを受け、映画やイベント制作を始める。2012年、長編映画「DON'T STOP!」で映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティアワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをダブル受賞。
また「ULTRA JAPAN」のクリエイティブ・ディレクターや「STAR ISLAND」の総合プロデューサーを歴任する。「STAR ISLAND」はシンガポール政府観光局後援のもと、シンガポールの国を代表するカウントダウンイベントとなった。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会主催の「東京2020 NIPPONフェスティバル」のクリエイティブディレクターにも就任。さらにキッズパーク「PuChu!」をプロデュースするなど、世界規模のイベントや都市開発などの企画運営にも携わる。

 
西野 亮廣(にしの あきひろ)
著書に絵本『えんとつ町のプペル』、ビジネス書『新世界』などがある。全作品がベストセラーになり累計部数は100万部を突破。2017年に刊行した『革命のファンファーレ』は「読者が選ぶビジネス書グランプリ2018」で総合グランプリに輝いた。主宰する有料会員制コミュニティ(オンラインサロン)「西野亮廣エンタメ研究所」は、会員数が2万5000人を突破。国内最大規模を誇る。

SHARE

一覧に戻る

STORE LIST

ストアリスト