【イベントレポート】“半分あの世”な日本旅7選。小倉ヒラク×徳谷柿次郎 対談

“半分あの世”な日本旅7選。発酵デザイナー・小倉ヒラク×「ジモコロ」編集長・徳谷柿次郎 『日本発酵紀行』刊行記念対談

酒・味噌・醤油……etc. 家庭の食卓に欠かせない“発酵食”は、土地ごとの味覚や暮らしの記憶が保存されたアーカイブだ。そんな発酵食を求めて2018年に日本全国を旅した発酵デザイナー・小倉ヒラクさんの新刊『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT 刊)では、小倉さんが8カ月にわたる旅で出会った知られざるローカルの発酵文化が疾走感ある文章で紹介されている。
この刊行を記念したトークイベントが、2019年6月6日に銀座 蔦屋書店で行われた。対談相手は、地方から新しい動きをつくり出している編集者、『ジモコロ』編集長の徳谷柿次郎さん。
二人が47都道府県で出会った選りすぐりな珍奇スポットとエピソード、小倉さんが山・海・島・街、辺境で出会ったディープすぎる発酵の現場とは?
 
 
普通の旅ではない、“ゾーン”に入った旅の話
 
発酵デザイナー・小倉ヒラクさん(以下、小倉):僕は、微生物の研究者&デザイナーとして世界中を旅しています。徳谷さんは、長野と東京の二拠点生活をしながら47都道府県を取材されています。そんな僕達が、今日は「旅と移動」をテーマに話をしたいと思います。
 
 

小倉ヒラクさん
 
僕が初めて旅に出たのは、高校三年生の時。ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』のような紀行小説に触発されて、タイとラオスで一人旅をしました。タイのバンコクの南東にあるビーチに娼婦の人を抱える置屋があったんですね。そこのおばちゃんに、女の子達が農村から出稼ぎにくるタイの厳しい世相を聞いて……ああ、旅ってこういうことなのかって、思ったことを今でも覚えています。
 
地元メディア『ジモコロ』編集長・徳谷柿次郎さん(以下、徳谷):いやいやいや!みんなもっと普通の旅をしてますよ。おいしいものを食べて、観光地を見たり……。
 

徳谷柿次郎さん
 
小倉:もちろん普通に楽しい旅もしますよ。でも、旅をしていると“ゾーン”に入ることってないですか?あの世のように現代の時間が流れていない、そんな場所や時間に入ってしまうことがあるんですよ。今日お話するのは、普通の旅の話ではなく、「半分あの世に行きました」というような旅の話です。
『ジモコロ』でも、出雲の「たたら場」とか、鶴岡のマッドサイエンティスト農家とか、次元の違う旅をすることがありますよね。
 
徳谷:ありますよ。想像を絶するあまり共感されない、WEBメディアなのにSNSウケしないような(笑)。僕、『ジモコロ』の取材で3回奇病にかかっているんですよ。
 
小倉:祟られているじゃないですか……。
 
徳谷:例えば、九州某所へ取材に行った時のこと。取材に行く日の朝、起きたら下痢と嘔吐の症状が同時に出て、動けなくなったんですね。でも仕事ですから、無理やり現地に行って、地元のなかでもディープな場所に向かって行ったんですね。そうしたら、行くほどに身体が動かなくなっていくんです。何だろうと思いながら、カバンの奥にたまたま1錠だけ落ちていた抗生物質を飲んで寝たら、完全に治ったんです。今でも僕は、何故ああなったか、何故治ったのかはわからないまま。地元の人も、“あそこは、霊感が強い人は影響を受けやすいよね”って言ってました。
 
小倉:とりあえず症状が治ったのは抗生物質のおかげですね。微生物を研究している僕からしたら(笑)。
 
徳谷:え?そうなんですか(笑)。まあとりあえず、ゾーンには入りましたね。自らゾーンに入りに行くことはないですが、結果的に入っちゃうことはあります。
 
 

「鯖のなれずし」求め、時が止まった漁村集落・福井県田烏へ
 
小倉:僕からは新刊『日本発酵紀行』では紹介していない旅のエピソードを。今回の旅で忘れられないのが、福井県の田烏(たがらす)。完璧にゾーンに入る体験をしました。
 
 
撮影:小倉ヒラク
 
田烏は、最寄りの大鳥羽駅から8km離れたところにあります。ローカルすぎてバスがないからタクシーに乗ろうとしたら、運転手さんに「遠すぎて営業所に帰るのが大変」と断られてしまって。仕方がないから、マイナス5度の真冬の空の下、歩いて行くことにしたんです。途中で国道がなくなり、獣道になり、ひたすら歩いて峠を越えたら、突然パッと海が現れた。そして、そこにあった小さな漁村集落は、中世がそのまま残っている場所でした。観光地で“レトロな街並み”ってあるでしょ?田烏は、そういうのを越えていました。つげ義春の世界です。
 
田烏には、「鯖のなれずし」文化がありました。北陸の有名な発酵文化には「へしこ」があります。魚介類を塩分濃度の高いぬか漬けにして保存して食べるものです。田烏では、さらにこの「へしこ」を水洗いして塩分を抜いた後、米と合わせて乳酸発酵させるんです。お正月に1年の豊穣を祝うために年神様におそなえしていて、1年半前から準備を始めます。へしことなれずしを作るのにそれぞれ半年以上かかりますから、めちゃくちゃ手間がかかるんです。
 
「鯖のなれずし」の名人がいる民宿「佐助」のおじさんは、「ここは中世の政治闘争で敗れた貴族たちの落ち延びた集落だから、今も隔離されていて、だからこそ独自の文化が残っているということを誇りにしている」と言っていました。
江戸時代後半に神道でも仏教でもない地方の土着の宗教がつぶされ、戦争や近代化でローカルな風習が失われていき、そうして僕らがよく知る社会になっていった。田烏は、国道が走っていないから交通計画に巻き込まれず、だからこそプリミティブなものが残り、異世界になったんでしょうね。
 
ところで、田烏って電波が通じなくて、Wi-Fiもないんです。電波のアンテナバーが1本も立たない。デジタルデトックスですね。やることがないので、朝6時ころに若狭湾を散歩していたんです。潮の流れが早くなるため漁に出られないから無人。空はグレー。冬の若狭湾は、なんだか不気味だな、と思いながら高台から写真を撮ろうとしたら、浜に『千と千尋の神隠し』のカオナシみたいな物の怪が6体くらい立っていて、僕のことを呼んでいる。めっちゃ怖かった!
 
徳谷:何だったんでしょうね……。ヒラクくんは、よくそういう不可思議なものに遭遇するらしいですけど、海のやつは何番目くらいにヤバいやつだったんですか?
 
小倉:3番目くらいですね。
 
徳谷:まだ2つあるの……。
 
 

北海道津別町「シゲチャンランド」にクリエイティブの最先端がある
 
小倉:『ジモコロ』は取材でいい話があるでしょ?
 
徳谷:じゃあ、ヒラクくんとも行った、北海道の津別町にいるシゲちゃんの話をしましょうか。知る人ぞ知る「シゲチャンランド」という個人のアートテーマパークを運営している72歳。かなり個性的なファッションに身を包み、廃材や拾ってきた流木とかをくっつけてアート作品をつくっています。例えば、明らかに干からびたキウイが台座に乗せられていて、これは何ですか?って聞いたら、「これはキウイのミイラだよ」って(笑)。かなりトガっているけど、接しやすい人です。
 
小倉:40代までは東京の広告代理店で『ひらけ!ポンキッキ』(フジテレビ系)のオープニングタイトルをつくっていたりしていた、デザイナー界のレジェンドなんですよね。
 
徳谷:そして50歳の時に「シゲチャンランド 」をつくるために北海道に戻ってきました。作品は、とにかくすごい迫力。あれは見に行かないと分からないです。なかでも、鹿の頭の骨などを組み合わせたイカついアートが印象的でした。
 
撮影:小林直博
 
シゲちゃんに聞いたら、「実は時間がかかった作品なんだ」と。はじめは拾った骨をどういう作品にしたらいいか分からなくて、とりあえず「目の届くところにあることが大事」ということでテーブルの上に置いて、そこで日常を過ごしていたそうなんです。「今はまだ手に負えない」と言いながら、経った月日は8年。ある日、テレビを見ながらせんべいを食べていたら、間違って骨をかじってしまったそうなんです。そうしたら、骨が歯に当たった瞬間に「見えた!」と(笑)。そうやって完成した作品なんだそうです。
 
小倉:作品の数がすごくて、見応えがあります。3時間はかかりますね。
 
徳谷:衝撃的すぎて、実は1年くらい「シゲチャンランド」の記事を書けずにいます。シゲちゃんのように、SDカードを歯でかじったらひらめくでしょうか……。
 
 
 
断崖絶壁の島、青ヶ島の地焼酎「あおちゅう」の誕生秘話
 
小倉:次は青ヶ島の話をしようかな。伊豆諸島と小笠原諸島の間にある島で、人口約160人の日本で一番人口が少ない村でもあります。すごく大きな火山の中に小さい火山がある二重カルデラ構造で、島は断崖絶壁に囲まれています。
この島には、島の野生の微生物で醸す、「あおちゅう」という変わった焼酎文化があります。

撮影:小倉ヒラク
 
江戸時代まで、罪人は新島、大島に送られていました。特に政治的な陰謀等をくわだてた罪人が送られた先が八丈島や青ヶ島だったんです。このあたりに送られた人として記録されているのは丹宗庄右衛門という人で、当時、民間の交流が許されなかった琉球王国と焼酎はじめあれこれ個人貿易していたことが罪に問われてのことでした。丹宗庄右衛門は青ヶ島に流されてきて思いました。「ここ、焼酎つくってねえな」(笑)。
 
徳谷:とんだ焼酎狂いだな(笑)!
 
小倉:で、島の人たちに焼酎の技術を普及させることを思いついたわけです。ちなみに女優の篠原ともえさんのおばあさんも、青ヶ島の巫女さんだったようで、やっぱり焼酎をつくっていたと。
 
僕は巫女の文化を知るために、30分くらい獣道を進んだ先にある大里神社というところへ行きました。巫女さんと社人で行われていた「デイラホン」という神事につかうお面が神社の詰所に飾られています。毛むくじゃらな男と真っ白な女の仮面で、それらをかぶった人たちが小さい声で「死ねデイラホン、生きろデイラホン」って言いながら殺したり生まれ変わったりと演技をするんです。。
 
徳谷:今も行われているんですか?
 
小倉:かつては年に一度行われていたそうですが、途絶えてしまっていますね。現地に行くと何十年も前の映像が見られるんですが、トラウマレベルに怖いです。
 
で、島では元村長の佐々木宏さんがやっている民宿「マツミ荘」に泊まったんですけど、彼はかつて「スナック デイラホン」というのをやっていました(笑)。軽すぎじゃねーか!?っていう(笑)。でもすごく島の文化に愛がある人で。宏さんからは「デイラホン」の知識を教えてもらえると思います。
 
 

生命力が強すぎる「ハーブ研究所」山澤さんの話
 
小倉:僕、柿次郎さんの持ちネタ、山形県鶴岡市「ハーブ研究所」の話が好きなんです。聞きたいなあ。
 
徳谷:山澤清さんですね。シゲちゃんと同じ72歳、個人的にアツい世代です。「ハーブ研究所」では、ビニールハウスで在来種の野菜などを育てています。つくったオーガニック石けんを皇室に献上して上皇后様が使われたことがあったりと、すごい実績をお持ちです。
 
撮影:小林直博
 
でもね、癖が強すぎるんです(笑)。まず会いに行くと、挨拶もそこそこに話を始め、2、3時間は続きます。足に片足2kgずつの重りをつけていて、「ドラゴンボールの修行かな?」と思っていたら、「自分の足が軽すぎるの。ダークマターが引っ張ってるんだよ俺を」って言ったり……。
 
あと、めちゃくちゃスケベなんです(笑)。ビニールハウスの奥になぜかポールダンスの棒が立っているんですが、重力に逆らう行為をすることで乳首が上がるからって、女性にやってもらいたいみたいです。
 
山澤さんは、命と本気で向き合っているんですよね。だからこそ山澤さんは重力に逆らうような下半身をつくっているわけですし、「世の中の女性に在来種のサラダを350g食べさせて乳首上げるのが俺の仕事だ」とも言っていました。取材をした1年半後にもう一度会いに行ったら、足の重りが3kgずつに増えてました(笑)。まだまだ高みを目指しています。
 
こういう人にもっと会いたいんですよ。そういうおじさんに出会う旅がしたい。
 

会場からの質問「印象に残っているおばさんは?」には、小倉「奄美大島の屋仁川通りっていうスナック街のママは総じてヤバい。黒糖焼酎を飲みながら聞くママたちの話は、全部尊い(笑)」、徳谷「兵庫の『カンピューターおばちゃん』ですね。地産地消の巻き寿司づくりで高齢の方の雇用を生んでいて、なんと年商2億。お孫さんにお小遣い5万円あげてる」
 
 
平均年齢70歳の鵜養で、最先端の酒米づくりに参加
 
小倉:僕の次の旅の話は、秋田です。僕は秋田にある「新政酒造」の杜氏・古関弘さんが大好きで。一緒にイベントをやったり、飲んだり、電話をしたり、義兄弟みたいな関係です。古関さんは「能登杜氏」という能登のエリート酒造りの出身で、もともとは昔ながらのオーソドックスな酒づくりをされていました。ところが、「新政酒造」の社長がすごくパンクな人で、今までと全然違うつくり方をしなければならなくなった。誇りを捨て、若い人もたくさん蔵に迎え入れました。今、「新政酒造」には東京大学出身の人や、元ジュノンボーイの人など、性別問わずいろんな経歴の人がいます。他の蔵では考えられない、ベテランがバックヤードに行き、若い人達が中核の仕事を担うということが起きています。「従来に縛られていたら面白いことはできない」という考えで、革新的な酒造りに至ったんです。
 
そんな古関さんは今、酒造りをやめて田んぼで酒米をつくっています。田んぼがあるのは、秋田市から車で1時間ほどのところにある鵜養(うやしない)という農村で、そこは平均年齢70歳、少子高齢化の筆頭格である秋田県の中でも特に顕著な地域です。酒米づくりには、お酒にして世界中の人に飲んでもらうというストーリーの可能性を秘めています。鵜養の米からそれを始めるということを、古関さんはやっているんですね。

撮影:小倉ヒラク

米づくりは村の人達を巻き込んでつくっているのですが、なんと、つくりはじめてから噂を聞いた若い人たちが戻ってきているんです。今では、行くたびに新しい人がいます。
 
先日、二人で田んぼに入っていたら、古関さんが言ったんです。「ヒラクくん、これから10年が黄金の時代だよ。田んぼや畑のことを知っている60歳を過ぎてリタイアした人たちが、僕らに全部教えてくれる。この人達が元気で働ける10年間が、日本の文化が前に進むかだめになるかを決めるよね」って。鵜養を見ていると、それをすごく実感します。
 
都会にいると、若い人と年上の人の間には断絶があるように感じます。でも鵜養みたいな場所では、付き合わないと生きていけない。教え、教えられ、が密接なんです。そういう関係性をつくることが、未来への希望ですよね。
 
僕の鵜養のおすすめの過ごし方はこんな感じです。朝から田んぼ入った後、近所のおじいちゃんがどぶろくを持ってきてくれるから、それを電熱器で熱々にあっためて、11時からどぶろくを飲む。そして温泉に入ってひと眠りして、また畑仕事するんです。
 
徳谷:現地で暮らしている方と、同じ生活ができるんですね。
 
 

小倉ヒラク、徳谷柿次郎、二人のおすすめの旅ルート
 
小倉:柿次郎さんは、おすすめの旅ルートってありますか?
 
徳谷:東京から行くなら、山梨、長野、群馬をぐるっと車で周るのが満足度が高いですね。会いたい人にアポをとって行くだけで、2時間圏内なのに今まで体験したことがないような旅になります。
 
小倉:具体的には?
 
徳谷:山梨だったら、甲府で「初花」という温泉と割烹がセットになっているお店に行きます。温泉がうなぎと同じくらいヌルヌルです。温泉の後で、いい水で育てためちゃくちゃおいしいうなぎが食べられます。お店のおじさんがおもしろい人です。あとは「五味醤油」という味噌醸造所や勝沼のワインを訪ねるのもいいですね。
 
長野は、松本、諏訪などの中心エリアをぐるっと。諏訪大社を見るのもいいですし、製造業が好きな人にはおすすめです。「真澄」という酒蔵ではかっこいいお酒をつくっていて、見学もできます。
 
群馬はまだまだ掘れていませんが、桐生の文化はすごいと思います。遊園地と動物園がセットになっていて入場料無料の「桐生が岡遊園地」みたいなおもしろいスポットがあるほか、15歳でコーヒーショップを始めた岩野響くん(HORIZON LABO)などかっこいいプレイヤー達が増えているので、ここ10年で新しい文化が芽吹きそう。もっと行きたいです。
 
小倉:僕のおすすめルートは、栃木県の今市から福島県の会津若松に抜けて行くルートですね。日本の近代化の波に飲まれていない、ディープなルーツの日本が見られますよ。
 
今市は日光東照宮の宿場町なんですが、そこがめちゃくちゃいいんです。日光東照宮はきらびやかですが、今市は落ち着きがあって雅。趣のある宿に安く泊まれて、飲みに行くと地元の名士であるおじさん達と飲めて、いろいろ教えてもらえたりする。
会津若松に行く時は、昔の人も使っていた山裾や川裾を通りつつの100kmの行程を3時間かけて、東武鬼怒川線に乗って行ってほしいですね。
会津若松に着いた時の、「磐梯山が!見えた!!」ってなるのが最高です。会津若松の酒は「なだ万」「末廣」などが有名で、小さい蔵でおいしい酒をつくっているところも多いです。地元のおじさん、おばさんの話を聞きながら、磐梯山に抱かれた街でうまいお酒を飲めるんです。
今市から会津若松の流れは、セットでぜひ。2泊3日で行けると思います。
 
徳谷:『日本発酵紀行』は、そういう近代化の波に飲まれていないルート、何百年の歴史の層の厚さ、人との出会いを感じながらヒラクくんが一人旅をした、8カ月間の結晶なんですね。
 
小倉:「旅と移動」をすれば、そういう出会いがあるということですね。

文:高橋 七重
 


 【プロフィール】
小倉 ヒラク(おぐら ひらく)

1983年生まれ。発酵デザイナー。東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、山梨県甲州市に発酵ラボをつくる。「見えない菌の働きを、デザインを通してみえるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちと発酵・微生物をテーマにしたプロジェクトを展開。アニメ「手前みそのうた」でグッドデザイン賞2014授賞。著書に『発酵文化人類学』(木楽舎刊 2017年)、『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT 2019年)。
WEB: http://hirakuogura.com
 
徳谷 柿次郎(とくたに かきじろう)
1982年生まれ。大阪府出身。東京と長野の二拠点生活中。全国47都道府県のローカル領域を編集しているギルドチーム「Huuuu inc.」の代表取締役。どこでも地元メディア「ジモコロ」、海の豊かさを守ろう「Gyoppy!」の監修、TBS系列のニュース番組「Dooo」の司会、長野市善光寺近くでお店「やってこ!シンカイ」のオーナー、雑誌「ソトコト」で毎月コラムを連載中。趣味は「ヒップホップ」と「民俗学」。
WEB: https://huuuu.jp/

 

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