【イベントレポート】ジルベールの生みの親・竹宮惠子氏、『風と木の詩』を語る。

ジルベールの生みの親・竹宮惠子氏、『風と木の詩』を語る。『竹宮惠子 スタイル破りのマンガ術』刊行記念トークショー

7月15日、銀座蔦屋書店のイベントスペース「GINZA ATRIUM」で「『竹宮惠子 スタイル破りのマンガ術』(玄光社)刊行記念トークショー」が開催された。
 
竹宮氏は1976年、少女漫画『風と木の詩』を発表して美少年ジルベール・コクトーらの同性愛など大胆な表現に挑み、漫画界に衝撃を与えた。その後も『地球(テラ)へ…』や『私を月まで連れてって!』など多数の話題作を手がけ、14年には紫綬褒章を受章している。
 
今回は、少女漫画の既成概念を破ってきた竹宮氏が、手塚治虫氏ら漫画界の偉人たちの匠の技を紹介してきた「プロのマンガテクニック」シリーズの最新刊に、満を持して登場。満員御礼の本トークショーで、本書の編集者である綿引勝美氏を聞き手に迎え、自身の漫画テクニックや自作について語った。
 
 
 
 
『風と木の詩』は仏パリのリアリティーを追求した一作
 
綿引勝美氏(以下、綿引):今日はよろしくお願いします。私が竹宮惠子先生の漫画術をまとめたいと思ったきっかけは、小学館のOVA『風と木の詩』をお手伝いし、ムックを作らせて頂いたことです。当時、取材のためお宅をお訪ねした際、竹宮先生の書棚を拝見してビックリ。これだけの資料を集めなければ『風と木の詩』の世界は描けないんだと思い、書棚にあった本を探して『風と木の詩』のガイダンスを書きました。
 
竹宮惠子氏(以下、竹宮):この作品を描く以前に、実際のフランスを見てきてしまったんです。当時は、「それを何とか紹介したい!」という思いでいっぱいでした。
 
綿引:お話を構築する上で、デュマやスタンダール、コクトーの作品を読み込まれたとうかがっています。
 
竹宮:そうですね。映画『風と共に去りぬ』やヘルマン・ヘッセの『車輪の下』など様々な作品を参考にしました。どれが『風と木の詩』に合うものなのか、嗅覚だけで探していた感じです(笑)。
 
 
 
 
綿引:『風と木の詩』の舞台は、産業革命を経た19世紀末のフランス・パリ。地下鉄が存在した一方、馬車も日常的に使われている混沌とした時代でした。そうした状況が、実によく描かれていてビックリします。
 
竹宮:歩く歩道もその頃です。速度の異なる歩く歩道を、平行して走らせるみたいなことをパリの万博ではやっていました。当時の日本とパリでは、(文化やインフラなどの)進み方がどれくらい違うのか。それは実際に調べてみないと分からないですよね。

綿引:当時のパリは、地下鉄が走っているかと思えば、未だに馬車を使っている。実に混沌としていて、描きづらかったのではないですか。
 
竹宮:そうですね。パリの文化や街並みなどは一番分かりにくいものでしたね。システムとしては調べるけど、本当に描き切れているのか自信はないんですけど、うかがい知ることができるかぎり、調べました。
 
綿引:制服や洋服など、ファッションにも強いこだわりが感じられます。写真だけでは服が動かないから、シワがどうなるのか分からないですよね。このあたりはどう解決されたのですか?
 
竹宮:色んな衣服の写真を、色んな方向から見て、「どういう縫い方で、どうなっているんだろう」と考えました。
 
綿引:当時ですと、クリノリン(※1)という有名な女性服がありましたよね。
 
竹宮:クリノリンの動きが一番よく分かったのは『風と共に去りぬ』です。薄い材質でできたドレスですから、走ると弾む。そういう作り方になっているのを、映画を観ると動きで分かります。「なるほど。だから座ると、(衣服が)畳まれてこういう感じになるかな」と想像力を補って、何とか分かりました。それに従って描くと(漫画が)リアルに描けました。
 
綿引:なるほど。キャラクターの背景を描くにしても、どんどん世界観が広がっていきますよね。例えば、キャラたちの生い立ちなども描かないといけない。
 
竹宮:あと主人公たちだけを描くのではなく、周囲の社会情勢も描くのがすごく楽しみでした。それがあると、リアリティーにつながっていくと思います。どちらかと言うと、社会のあり方、どれだけ裏町が汚いのかということに関心がありました(笑)。
 
 
 
 
 
漂白剤使ったテクニックを解説 独自テクニックの開発も推奨
 
綿引:かつて、アニメ監督で漫画家の安彦良和先生の『安彦良和 風と木の詩 絵コンテ集』(学習研究社)を編集させて頂いた時、竹宮先生から数点『風と木の詩』のイラストをお借りしました。その中で驚かされたのが、漂白剤まで画材にしていることです。色はプラスするだけではない。引き算することも、テクニックのひとつだと教えられました。
 
竹宮:あれはとても実験的で、色付きのイラストボードに描いています。色付きのイラストボードは、紙自体に色彩が染み込んでいます。そこに1滴、漂白剤などを落とすと色が抜けます。水を垂らしただけでも抜けることを知って、「台所で使う漂白剤を垂らすとどうなるだろう」という興味が先に立って、実際に色々やってみました。すると、濃さによって抜け方が違います。一般的に、塗る場合は色を塗って、影はさらに色を足します。(漂白剤を使う場合は)それが逆。ハイライトの部分を、何度も色を抜くと段々白くなります。それで肌の色を出していく塗り方です。常の逆で描かないといけません。ちなみに鉛筆は、墨と同様に漂白剤に強く、一旦乾いてしまうと漂白しないんです。そういうところも面白い。そうした方法を使って、変わったイラストをずっと描いていました。イラストは、ずっと描いていると飽きてきて、違う手法を使いたくなるんですよね(笑)。
 
 

 
綿引:そんなこんなで、竹宮先生に『竹宮惠子 スタイル破りのマンガ術』の企画をお願いしました。
 
竹宮:最初は、「そんなものを面白がる人がいるのでしょうか?」と自信がなかったです(笑)。
 
綿引:先生は本作の前書きでも、漫画の手法は「見て楽しむものではないし、教えるものでもない」と書いていますけど、でもやっぱり皆見たいんですよね。ただ先生のお考えとしては、色の混ぜ方などを独自に考えるべきだと。
 
竹宮:そうですね。その人のやることで、個性は作られます。教わってそのとおりやるのは、真髄の50%くらいは伝えられるけど、最初に発見した人の残り50%は伝わらないのではないかと思っています。本当は(技法などは)自分で発見するのが一番正しい方法ではないでしょうか。それで、そういう前書きになっています。
 
綿引:今の若い人たちに、ちょっとしたヒントがあれば、それをもとに工夫してくれるのではないかという思いがあり、こういう本を作らせてもらいました。
 
竹宮:ありがとうございます。大先輩の先生方ばかりで構成されているプロのマンガテクニックシリーズに入れていただき女性作家・第一弾とのこと、本当に光栄です。
 
 
 

『地球へ…』のメッセージは現代を「あまりにも見通している」

綿引:先生は、『地球へ…』というオリジナルのSF漫画もお描きになっています。この作品では「地球に戻ってくる話」がテーマになっていますね。
 
竹宮:当時はとにかく、宇宙に広がっていくテーマが多かったです。『スター・ウォーズ』も帝国軍があって、どんどん違う星へ支配を広げていく。その時「地球はどうなっているの?」というのがすごく気になったんです。地球というものは、自分たちの住んでいる状態と同じ状態を保っているのか。そういうことを考えました。「地球から外に出ていく理由はなんだろう」と思ったんです。地球ほど私たちにとって住みやすい場所はないはずなのに、なぜ出ていくのか。すると「地球が住みづらくなっていくからではないか」という発想がまず出てきました。地球を住めない場所にしてしまったんですね。そういう発想が広がり、ようやく「描けるかもしれないな」と思いました。
 
綿引:なるほど。
 
竹宮:でも最近、「本当に『地球へ…』の世界に近づいていますね」と言われる方が多いです(笑)。
 
綿引:過去に『地球へ…』を特集した時、編集部からのQ&Aで「実に、未来を見通した」とお答えになっていましたよね。
 
竹宮:未来をあまり見通しているというのが情けないと言いますか、当時は、警告したつもりでした。そうならないでほしいことを願っているはずなんですけど、(現実が)段々そちらへ近づいているのが一番悲しいところです。どこまでいったら、それが引き返す方向に行くのでしょうか。
 
綿引:『地球へ…』のテーマは、教育問題にも及ぶ点がユニークですね。
 
竹宮:はい。「世界を変えるなら、まず教育から」というのが私の中にあります。すごく小さい子たちの教育から始めれば、戦争に向かうことすら教育できるし、その逆もありうる。それを何とか盛り込みたかったんです。
 
この後も、竹宮氏は創作への話に花を咲かせた。100名超のイベント参加者も、竹宮氏の言葉に合わせて本書をめくりながら、大いに楽しんだ。なお、銀座蔦屋書店では「漫画家・竹宮惠子フェア」を開催中(8月14日まで)。ぜひこの機会に足を運んでもらいたい。
 
 
※1:1850年代頃に用いられた下着。針金などを使った円状の骨組みで、スカートを膨らませるために使われた。
 
文:桜井 恒二
 
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【プロフィール】
竹宮 惠子(たけみや けいこ)
1950年2月13日、徳島県徳島市に生まれる。1967年に、「COM」に『ここのつの友情』を投稿し、月例新人賞佳作入選。1968年に「週刊マーガレット」に発表した『リンゴの罪』でデビューを果たす。1970年、徳島大学在学中に「週刊少女コミック」で『森の子トール』を連載して上京。1980年、少女漫画界に革命を起こした『風と木の詩』と『地球へ…』で第25回小学館漫画賞を受賞。その後も多数の作品を手がける。2000年4月より、京都精華大学芸術学部マンガ学科(現マンガ学部マンガ学科)の専任教授に就任。2014年より2018年まで学長を務め任期満了後退任。現在は日本マンガ学会会長および国際マンガ研究センター長に就任している。2014年には、紫綬褒章を受章した。

綿引 勝美(わたびき かつみ)
1946年、東京都生まれ。1965年、國學院大學日本文学科入学。大学1年次より「國學院大學漫画集団」(漫画研究会)で、他大学やのちに漫画家となる作家と親睦を深めた。1969年、株式会社秋田書店に入社。「まんが王」編集部時代、藤子不二雄(藤子・F・不二雄)等を担当。のちに、「週刊少年チャンピオン」編集部、「プレイコミック」編集部在籍。横山光輝の『バビル2世』を企画、担当。1979年、『なつ漫グラフィティー』、翌年『マンガのかきかた-道具から実技までの完全テクニカタログ-』(以上、双葉社)の企画・編集・執筆を行う。これが、以降の編集のテーマとなり、1980年、メモリーバンク株式会社を設立。編集者生活50余年の経験を生かし、後世に漫画文化を残す為奮闘中。

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