【イベントレポート】養老孟司の旅、屋久島の多様な生き物について

『SAUNTER Magazine Vol.01』刊行記念「養老孟司の旅、屋久島の多様な生き物について」

世界の文化や自然、旅のドキュメントを美しい写真と共に伝える、屋久島発の雑誌『SAUNTER Magazine』(サウンターマガジン)の第1号が今夏に発売された。
 
そんな同誌の創刊を記念して9月5日、銀座 蔦屋書店の「BOOK EVENT SPACE」にて、『バカの壁』などの著作で名高い解剖学者・養老孟司氏が、トークイベント「養老孟司の旅、屋久島の多様な生き物について」を開催した。聞き手は、同誌の編集発行人・国本真治氏。

※本記事は、1時間超のトークイベントの内容を一部抜粋・再編集したものです。
 
 

ゾウムシの形態に見る屋久島の神秘
 
国本真治氏(以下、国本):屋久島から参りました国本です。よろしくお願いします。SAUNTER Magazineは、私が屋久島に設立した会社から発行したインディペンデント・マガジンです。屋久島の魅力を外に発信したいなと思って、今回発行しました。今回は、本誌にエッセイを書いて頂いた四人のうちの一人、養老孟司先生に、お話を色々聞ければと思っています。
 
養老孟司氏(以下、養老):よろしくお願いします。
 
国本:本題に入る前に……。SAUNTER Magazineのエッセイもそうですが、先生が今日のトークショーを引き受けて頂いたのはなぜかなと思っています。そんなたいしたギャランティーをお支払いしていないのに……(笑)。
 
養老:簡単に言うと、年寄りは暇だからですよ(笑)。予定が空いていれば、何かしら「お役に立てれば」と思っています。
ただね、屋久島は僕にとって重要な場所です。屋久島だけでしか見られない虫もいます。辺鄙なところに辺鄙な虫がいても不思議はないと皆さん思っているかもしれません。ですが、僕が追う屋久島のゾウムシなどはちょっと変わっているんですね。ゾウムシは口が長い。口が長くて、先にかじる顎がついていて、長い口に走っているのは腱だけなんです。先端に小さい顎がついていて、それでかじる。葉っぱをかじったら飲み込めないんですよ。あの細い口をずーっと通して、お腹のところまで持っていけないでしょ?そうすると、あいつら食べているはずがないんですよね。
今日も、このイベントの前に長野県の塩尻にいました。そこで松の木につくオオゾウムシが、松の枯れ木に何匹もいました。食べ物は飲み込めない。だから水を飲む。液体なら平気で、カブトムシやクワガタが集まる樹液を飲むんですよ。
なぜ塩尻の話をしたかというと、ヒゲボソゾウムシというのがいて、日本中でいくつもの種類に分かれているんですね。それは日本列島独特の現象なんです。ヨーロッパでもたくさんの種類に分かれています。でも、日欧の間の地域はそうではないんです。朝鮮半島は1種類しかいません。
日本の話に戻りますが、日本のヒゲボソゾウムシは葉っぱをかじります。葉っぱをかじって、お腹に入れている。ということは口が短い。ゾウムシは、元々は口が短かかったんです。それが進化の過程で長くなった。それでゾウムシというグループができた。そして、そのヒゲボソゾウムシというのも、元々は口が長かった、ということが分かったんです。口の形が長いゾウムシの形をしているんです。ところがその口が再び短くなった。
ただし、屋久島のゾウムシだけ口が長い。古い形を残している。ややこしい話で申し訳ないですが、本当に古いタイプのゾウムシは、始めから口が短い。そして葉っぱをかじっていた。やがて口が長くなって、木の実に穴を開けるようなことをする。栗の中に虫が入っていたりしますよね。あれは、クリシギゾウムシというゾウムシの一種なんですよ。長い口をしています。その長い口がもう一度短くなったのが、ヒゲボソゾウムシです。
ヒゲボソゾウムシは、山に行ったらいくらでもいますが、口は短いです。ですが、屋久島のは口が長い。なぜ屋久島だけ口が長いのが残っているのか分からないんですよ。おそらく、100万年単位の歴史が影響しています。
ヨーロッパでも、ギリシャの島あたりに口が長い種類が残っています。何を食っているかというと、杉の葉を食っています。杉といえば、屋久島の名物です。屋久杉は皆さんご存知ですが、屋久杉についているゾウムシのことは知らないですね。
その同じ仲間の、また違う種類が屋久島で見つかっているんです。新種です。名前はまだついていません。どうやって採集したかというと、小学生が使う下敷きを、林の中にぶらさげるんです。で、下に水を入れた水盤を置いておく。すると飛んできた小さい虫が、コンと当たって落ちるんですね。衝突板というトラップです。その仕掛けで、今まで30匹くらい採れています。この春、4月に屋久島でその新種を採ろうと思ったんです。というのも、衝突板で採っていると生態が分からないんです。
それで、7人で屋久島に5日間、探しに行きました。ですが結局、1匹も見つかりませんでした。また来年行かないといけません。何が悪かったのか分からないけど、採れないんですよ。野生の生き物って、そういう感じなんですよ。ちょっと酷い目に遭いました。かなり頭に来てるんだよね。7人で5日間行って採れないってそんな馬鹿な話あります?トラップかけた時は30匹採れたんですよ。ふざけんじゃないですよ。
でも考えてみれば毎年3カ月、2年間、延べ6カ月で30匹なので、1カ月で5匹。トラップに引っかかって5匹採集した。週に1匹しか落ちてこない。それはなかなか採れませんよね。
あと大きな原因が一つあると思うんです、ヒゲボソゾウムシは、10年以上前より減っている可能性がある。原因、分かりますか?鹿です。
あいつら、草を食うんですよ。鹿が増えた分だけ、草が減っていると思うんです。これは西日本全体で起きていることです。鹿ばっかり増えやがって、虫が減ったんです。で、僕は「鹿がいなくなれ!」とか言ってるんですけど、それは愛護団体に怒られる(笑)。
 
 
 
 
日本人は絶滅危惧種「人が減っているのに、誰も何も考えない」
 
国本:先生、ゾウムシ以外にも屋久島で調べていることありますか?
 
養老:それ以外は、ほとんど関心がないね。一番関心がないのは、人間です。見かけると「またいたよ」みたいな感じになります(笑)。
 
国本:先生は『人はなぜゴキブリを嫌うのか』(扶桑社)という本をお書きになっています。都会から屋久島へいらっしゃる方の中には、虫嫌いの方が、外国人の方も含めてたくさんいらっしゃいます。殺虫剤を部屋に置いておくと、1本使い切る方もいらっしゃいます。感覚的には、ヨーロッパの方が蜘蛛を嫌うイメージがあります。
 
養老:カブトムシとかを、チンパンジーの背中にのせると、チンパンジーが嫌がって払うんです。人間にそっくりです。類人猿段階から嫌いなんです。だからどうしようもない。人間の偉いところは、それが分かっていながら「それでいいのか」と考えるところ。でも今の人はあまり考えないですね。チンパンジーなんかより思考が止まっているんじゃないかな。すぐシューッ!とやっちゃう。今は凄いですよね。殺虫剤のシューッ!の一吹きで、八畳一間24時間効くんです。そこまで効率がいい。鎌倉に何十年も住んでいますけど、時々虫が迷い込んでくるので、家の中で採集ができたりしたんですよ。けっこう珍しい物が入ってくるんです。でも最近は全然入ってこない。どうもね、女房が時々シューッ!とやってるんですよ(笑)。
あとアシダカグモって知っていますか?凄く足が長いんです。あいつがある日ね、僕のパソコンの上に乗ってやがったんです。パソコンのキーボードを掃除するエアダスターでシューッ!とやったら逃げていきました。あれなら死なない。僕は蜘蛛が大嫌いなんです。でも生存権は認めてフーッ!と飛ばします。
 
今夏に発売された屋久島発の雑誌『SAUNTER Magazine』。今後は年2回発行予定。

ちなみに日本は、単位面積あたりの農薬使用量が世界一です。下から二番目は韓国。そして人口あたりの自閉症発生率が一番高い国も、日本です。下から二番目も韓国です。これ、ひょっとすると偶然ではないですね。虫殺しは、最終的には自分を殺しているんです。そのへんのつながりは全然理解されていない気がします。
生き物の権利を認めるということは、子供の権利を認めることになります。例えば今、子供は減る一方です。30歳の大学の助手が言っていましたけれども、彼が大学受験をした時と比べて、今年の受験者の数は三分の二になっているそうです。誰も人口を減らそうと思っていないのに、ここまで減るのはなぜですか?ゴキブリがいなくなるのと同じ理由だと思います。なぜなら、子供は自然そのものですから。つまり意識的に作っていませんから、いつの間にか減ったという状況です。減らしているのは皆さん。なぜ減らすかというと、あんなに危ないものはないから。何をしでかすか分からない。そういう存在は、現代では駄目です。
若い人に「こういう風にやってみたら」と言うと、「やったらどうなりますか?」と聞いてくる。「やってみなきゃ分からないだろ!」と言うと、「そんな無責任な」と反発する。今の人は、全部自分のやることに責任を持てると思っているんですね。じゃあ、世界一の使用量の農薬はどうですか?皆が使っているから使うんでしょ?全部それでやってきましたから。日本人は絶滅危惧種だということに、いい加減に気がつかないといけない。
人が減ること自体は、人数が多すぎるのでいいと思います。でも、このままだと日本人はいなくなりますよ。今の考え方・感じ方のままであれば、僕は増えることはないと思っています。
 
 

子供が減る理由は合理性の追求
 
国本:昨年、港区在住の友人から「屋久島に行く」と連絡を受けました。なぜ来たかと言うと、子供の小学校受験の項目に、自然体験を問われる項目があり、「海亀と泳がせたいから行きます」という話でした。実際に、ガイドをつけて海亀と泳いでお受験に臨んだということが、事実としてありました。お受験で自然体験が問われることに驚きました。
 
養老:自然体験ということ自体が、頭の中が想定されていますよね。頭の中で「ああすればこうなる」という考えがあります。自然体験をすれば、子供がそれなりに良くなるということをずーっと言ってきたわけです。そのこと自体を考えないといけない時代です。それを一番ちゃんとやるのがコンピューターですから。きちんと手順を踏んで、きちんと答えを出す。
それで人生が上手くいくと皆思っています。そうでないことは無責任。すると、無責任という概念は消えちゃいましたから、それだったらコンピューターが人間を逆転するというのは当然の考えになるわけです。
ずっと前から言っているんですけど、人間は理性で世界をコントロールしようとします。
では皆さんは理性で生きているのか?、という話になります。もし理性で生きてたらですね、ここ(このトークイベントに)に来ないでしょう(笑)。80歳のジジイのくだらない話を聞いて、一文になるわけでもないのに。理性だけで生きてたら、誰も来ませんよ。
皆さん、経済的・合理的・効率的に人生を生きるためにはどうすればいいと思いますか?生まれたらすぐ死ねばいいんですよ。これが最も経済的で、コストがかかりません。そう考えると、産まないことの合理性が生じます。だから子供が減る。現代人は、人はなぜ生きるのか、あらためて考え直さないといけません。
9月に入ってから、新聞とかテレビとかで言ってますよね。小学生の自殺が増える。だから、学校はいかに子供をいじめているか分かるでしょ?行こうと思っただけで死にたくなるんだから。それを先生方は放っているというのは、どういうことですかね。「9月になったら、学校に行きたくてしょうがない」。どうしてそういう学校を作れないんですかね?
本気でそういうことを考えたことあります?正直言うと、現代はふざけた世界になっていると僕は思います。
本来、いじめで人は死にませんよ。僕の頃のいじめは、もっとひどかったですから。どうして死ななかったのかと言うと、人間の世界が「ヤバイ」と思ったら虫を採りに出かけていたからです(笑)。
 
 

社会の多様性を育む鍵は寛容さ
 
国本:せっかくなので、質疑応答の時間も設けたいと思います。話の途中でも構いません。先生に質問がある方は挙手して下さい。
 
養老:僕は勝手なこと言ってますから、遠慮なくどうぞ。
 
国本:あ、そちらの方、ご質問どうぞ。
 
来場者:特定の地域にしかいない昆虫がいるという話でしたが、人間が往来することで、本来いなかった外来種が入り込む事例はありますか?
 
養老:いくらでもあります。第一に、その地域にどれくらいの虫がいるのか把握されている地域は、ほとんどありません。よく生態系とおっしゃるけど、ばい菌やキノコ、哺乳類まで含めて、その地域にどれだけの生き物がいるのか把握されている場所は一つもありません。生態系は概念です。科学で使われる言葉ですから、皆さん、科学的にカチッと決まっているものだと思っているかもしれませんが、人間の頭で考えた物です。
では、どのくらい変わるかという問題です。福島県須賀川市に僕が館長を務める「ムシテックワールド」というのがありまして、その近隣で毎年9月、子供に虫を採らせていますが、毎年種類も数も違います。生態系がどれくらい安定しているのか分かりません。
 
 
 
 
国本:次、そちらの方、どうぞ。
 
来場者:先生の話を聞いて、昆虫はつくづく多様なんだなと思いました。人間は、子供など訳の分からないものを嫌うという話でしたが、昆虫のように多様性のある社会を築くにはどうすれば良いとお考えでしょうか?
 
養老:けっこう難しい質問ですね。社会の中にいる人が一番居心地のいい社会というのは、外の人を排除している状態、というのがしばしばあり得ます。そこらへんの折り合いはなかなか難しいです。
キーワードの一つは、人間の成熟です。
若い頃、僕が考える大人の典型は河合隼雄さん(編注:心理学者。京都大学名誉教授。2007年7月に死去)でした。河合さんって、冗談しか言わない人で、ほとんどダジャレで生きていた。人の顔を見るとダジャレ言ってましたね。
河合さんは臨床心理士で、後輩たちが「先生、臨床心理の秘訣は何ですか」と聞くと、真面目な顔で「それは、相槌の打ち方ですな」とか言うの(笑)。
相手の話をよく聞く。寛容さを育てるというのは、そういうことではないでしょうか。つまり、人のことをよく理解する。自分に余裕がないといけませんし、自分が相当苦労した覚えがないと、相手のことは許容できません。
今みたいに、いじめで死んじゃう人がいて「あれもこれも死んじゃうからやっちゃ駄目」とかやっていると、人間としての深みが全然出てきません。昔風に言うと、子供が社会を作るようになっちゃう。
成人式なんて荒れるわけでしょ?何が成人なのか、お祝いしている方も分からないと思います。大人って何ですかね。その程度のことは分かっている、俺もやったんだよ、と思っているんだけど言わない。上手く相槌を打つ(笑)。昔は、それを大人と呼んでいたと思います。
子供のほうがいい場合もあるんですよ。研究者なんて、子供っぽいほうがいい。必死になって、訳分からんことやってますから。それが昔は許容されていました。今はうるさすぎますね。まぁ、しょうがない。人が増えちゃったから。人目を気にして、人を刺激しないようにしていると、何でも遠慮しちゃいます。
こういうことを話してたら、きりが無いですね(笑)。
 
 
文:桜井恒ニ
 

 

【プロフィール】
養老 孟司(ようろう たけし)
1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒。解剖学者。東京大学名誉教授。執筆・講演活動など多岐にわたって活躍し、ゾウムシの研究、昆虫採集、標本作成なども続けている。『バカの壁』『からだの見方』など著書多数。
 
国本 真治(くにもと しんじ)
屋久島発の出版社・キルティ株式会社の代表。同社で手がける『SAUNTER Magazine』の編集長兼発行人。日々、屋久島の魅力を発信している。

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