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【コラム】読書飛行/VOL.6 姉の背中を追って
向田邦子『思い出トランプ』


「貴方にとって、文学とは何ですか。」
私はずっと、その答えを探し続けているのかも知れません。
 
文学に触れている間、心はとても自由に羽ばたきます。だから、とても履き心地の良い靴?何かの乗り物?
—考え続けて、未だ答えは出ていません。
 
だけど文学は今日も、靴を履いて踏み入れない場所や、飛行機で上陸出来ない場所へ私を連れ去るのです。
こちらは、皆様と本の素敵な出逢いをお手伝い出来ます様、文学コンシェルジュが徒然なるままに綴るコラムです。

 

VOL.6 姉の背中を追って手紙の魔力
向田邦子『思い出トランプ』

 
  
 向田邦子氏が旅立ってから、今年の八月二十二日で丸四十年となった。
この時期は太宰治の桜桃忌と同様、心がざわつく。
私は、彼女がこの世を後にした七年後に生を受けた。
彼女と私の生きた時間は全く被らないし、特筆すべき共通点も無い。
それでも身内を偲び命日付近にその人を思うと同様、八月の半ばくらいから、改めて彼女に心を傾ける自分に気付くのだ。
死した人の手紙を見返す様に、改めて著書を開く。
こう言った読者は、今も多い事だろう。
向田さん(敬慕を込めて、こう呼ばせて頂きます)を支持する主に女性の読者は世代に関わらず、その絶対数をどんどん伸ばしていく。
 
 今年はまた、刊行物が多く出版された。
『向田邦子を読む』(文春文庫)は同タイトルで出版されたムック本に追補が加わり、命日を間近に控える時期に刊行。
短編やエッセイは勿論、現代の著名人達が向田さんの魅力を、それぞれの見解で語り尽くす。
それぞれの胸に、それぞれの向田さんが居る。
今をときめく作家達が若い読者達へ、向田さんその人を手渡していく。
口から口へ、筆から筆へ。
それは一種の口承文学で、私はその様を想像して感激した。
 
 今夏はこちらと、久世輝彦著『向田邦子との二十年』(ちくま文庫)を手元に置いていた。
さぁ読み始めるぞ、と言う時にある一本のお電話を頂いた。初めまして、の挨拶から始まったそのお話しは、驚くべきものだった。
「向田邦子さんの魅力について、お話し頂けませんか?」
と言う。
しかも高名な女性週刊誌編集部の方からである。
「是非お受けさせてください!」
と意気込んだのも束の間、その数分後に私は自身の胸に手を当てていた。
「果たして、こんな若輩者が向田さんを語って良いのだろうか」
「手厳しいお叱りのお声も、読者の方々から沢山頂戴するのではなかろうか…」
しかし、私がお話をさせて頂く対象は文士でも文豪でもない。
皆の長姉、向田さんの事である。
私は私の向田さんを、一時間に渡ってお見せした。
語った、と言うと語弊がある。
凛とした立ち姿で常に私の指針となる、かと思えばちょっと躓いて茶目っ気たっぷりに舌を覗かせる、時には捻じり鉢巻きで汗をかきかき仕事をやっつけていく…
そんな、私の中に「生きる」向田さんをお見せしたのだ。
 
 前置きが長くなったが、今回はその記事と併せてお読み頂ける様、評伝と小説を一点ずつご紹介させて頂こうと思う。
 
 向田さんと言えば、言わずもがなエッセイの名手である。
そして向田さんが遺した作品の中で、最も多く読まれているものもエッセイであろう。
初めてのエッセイ集『父の詫び状』(文春文庫)は乳癌を宣告された彼女が、遺書のつもりで書き残した、タイトルの通り昭和の頑固親父である父上と家族達を、温かな目線で描いた名著である。
世論と言うと大袈裟だが、それと違わず彼女の代表作と呼ぶに相応しい一冊だ。
 こちらが『寺内貫太郎一家』を始め家族ドラマを生み出し続けた向田さんの礎となった事は明らかである。
 
 向田邦子入門編として推薦出来る本はこちらも然り、素晴らしい一冊が昨年春に刊行された。
『向田邦子ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)と銘打ったこちらは、「家族」「食」「旅」「仕事」…等、テーマ別に名編の数々が収録されている。
中でも収録作『わたしと職業』は私が頼りにしている、向田さん若き日の仕事論だ。
女性が働く事について、当時の向田さんの目線は至って冷静である。
 「女が職業を持つ場合、義務だけで働くと、楽しんでいないと、顔つきがけわしくなる。態度にケンが出る。」
そうそう、と頷く。
「好き」や生き甲斐を職業に選んでも、私は一点に集中してしまうとこうなのである。
そんな自分に気付いた瞬間、はっと息が詰まる。
それから酸素を求める様に、このページを開くのだ。
「少し無理をしてでも、自分の仕事を面白いと思うようにしてきた」向田さんの言い分は微かな説教の匂いもしない。
「どんな小さなことでもいい。毎日何かしら発見をし、「へえ、なるほどなあ」と感心をして面白がって働くと、努力も楽しみのほうに組み込むことが出来るように思うからだ。」
ここまで読んで、やっとふうっと息を吐く事が出来る心地がする。
男女に関わらず、しなやかに働く人は魅力的である。
周囲も気安さを以って、その人の近くに集う事だろう。
何に属していても、どんな肩書が付く様になっても、快活に働く向田さんが目に浮かぶ様だ。
 
 向田さんは、小説の脚本・エッセイに留まらず、小説の才もお持ちであった。
短編『かわうそ』『犬小屋』『花の名前』の三作が、直木賞をご受賞されている。
一度目のノミネートで、書籍として出版される前の作品で、しかも小説を書き始めほやほやであった彼女が。
これは異例の事であった。
 『思い出トランプ』(新潮文庫)は、十三編の短編が実際のトランプ宜しくシャッフルされた順に収録されたと言う。
私が母の薦めで向田作品を読み始めてから、十数年。
改めて読み返してみると、あの頃分かり得なかった表現の数々が鮮やかな映像に形を変えた。
例えば、『りんごの皮』の、入場券の話。
「入場券のはなしがいけなかった。」の一文から始まる男女の会話を、咀嚼する事が出来る様になって初めて一人前ではないだろうか。(個人的見解)
これを理解出来るか否かで、読者の熟度さえ量られそうな、ひりひりとした大人の会話が展開されている。
 
 巧い…
向田さんの魅力を単語で表してくれ、と言われたら私はこう答える。(例え、通俗的でも。)
とにかく「巧い」。
山本夏彦氏をして「突然現れて殆ど名人」と言わしめた向田さんの筆は、小説やエッセイに関わらず常に冴えている印象である。
それがこの小説集で、特に顕著なのだ。
更に、残酷なほど華麗な物語の引き揚げ方には、向田さんの美学がぎゅっと詰まっている。
一切ご自身の恋を書かなかった向田さんによる、男女の機微。
一体向田さんは、どんな恋をしてこられたのだろうか。
それは今や、神と彼女のみぞ知る所となってしまった。
 
 確か二十代前半で母から向田さんのご著書を手渡されてから、いつしか道に迷うと、心の中でそのお名前を呼ぶ癖が付いていた。
こんな時、向田さんだったらどうされるだろう、どんなご選択をされるだろう。
彼女が判断基準の一つとなって久しい。
 
 向田さんは私のロールモデルである。
しかし、年を重ねるにつれ、その存在が自分の中で少し変容する気もしている。
それは、向田さんの事を話す母を見ていると感じる。
彼女は、まるで私の母の姉の様だ。
まだまだ未熟である私の中の向田さんは、決して追い付く事の無い背中を見せてくださっている。
今後も到底追い付けない事に変わりはないが、いつかその背中は少し歩みを緩めてくれるのでは、と考える。
そして私が四十代、五十代と年輪を重ねた頃、彼女は大層なロールモデルなどではなく、「お姉さん」として半歩先を行く。
そんな気がするのだ。
 
 
 
※『週刊女性』(9月28日号)の向田邦子さん特集ページに私、文学コンシェルジュ・大江佑依が登場しております。
 是非ご一読くださいませ!
 

 
 
文学コンシェルジュ・大江
 

 

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