浦和蔦屋書店の本棚Vol.33『射手座の香る夏』 松樹凛/東京創元社

2024年03月23日(土) - 04月21日(日)
『射手座の香る夏』 松樹凛/東京創元社

 『射手座の香る夏』を紹介します。第12回創元SF短編賞受賞作「射手座の香る夏」を含む4編を収録したデビュー作品集で、著者の感性と才気が冴えわたる一冊です。各作品のあらすじとみどころを紹介します。
 
「射手座の香る夏」
意識転送技術が実用化された世界が舞台。意識の転送は代替の身体(オルタナ)にするのが一般的な利用方法です。他方で生きた動物に意識を転送する違法行為、動物乗り(ズーシフト)が流行しつつあります。意識転送中の動けない5つの身体が忽然と消えた事件の捜査のため、紗月はかつての故郷へ高校卒業以来じつに22年ぶりに戻ることになります。19歳の李子は親友の未來とその彼氏の潤也とズーシフトに興じ森の中で神秘的な美しさをたたえる白毛の狼に遭遇、それは凪狼(カームウルフ)という宿命の存在でした。
 抑えきれない衝動を抱えた若者は、盗んだバイクではなく動物で走り出します。人の意識と動物の本能の狭間で揺らぎながら森を疾走するシーンは爽快です。
小説には物語を動かす要素はいろいろありますが、著者はそれらを重ねて奥行きを作り出すのが巧みです。人体消失の謎というミステリ要素。人と人の絆に苦悩する登場人物とその背景。心や意識やコミュニケーションへの問い。タイトルにある通り〈香り〉がカギとなります。作品のから立ち上がる匂いを感じながら読んでください。
 
「十五までは神のうち」
子供は十五歳になったら選択をします。生まれたことを認めるか否かの選択です。〈巻き戻し〉を選択した子供はこの世界にはじめから生まれなかったことになり、人間に残された記憶を除いて、すべてが存在しなかったことになります。一通の手紙をきっかけに、西野蒼は、三十年前に〈巻き戻し〉を選択した兄・陽翔と幼少期を過ごした島に戻りそこで・・・。
過去を追憶しながら、記憶にだけ残された兄との思い出と今の現実を見つめる物語です。兄、幼馴染、友人たちとの何気ない思い出になっていたはずの物語です。若さゆえの全能感のような独り善がりは特権的なもので、それは喪ってから、そして喪ったからこそわかるものだからこそ、それを思い起こす時にはノスタルジーが伴います。歴史改変と青春の決断が織りなすほろ苦い余韻をのこす、瑞々しくもおそろしい作品です。読み終わってからタイトルに思いを馳せるでしょう。この作品はWeb東京創元社マガジンにて無料で読む事ができるので、試し読みにどうぞ。
 
「さよなら、スチールヘッド」
身体を持たない人工知性(ヴァース)のエドは仮想世界〈アイデス〉で永遠の夏を生きています。エマはゾンビが跋扈する世界でサバイブしてきました。エドはエマとして生きる夢を見て、エマはエドとして生きる夢を見ます。二人の世界は少しずつ接近し・・・。
 〈アイデス〉はみんな大好きブローティガンの『西瓜糖の日々』の〈アイデス〉です。SF×世界幻想文学×ゾンビと来てテンションの上がらない読者はいないでしょう。
 人工知世のエドは心を持った生命ですが身体はありません。しかし彼は極度の潔癖症によって食事の動作に吐き気を感じ、存在しないはずの身体と心のズレに苦しんできました。一方のエマは自身でゾンビを倒し人間として生きているはずなのに己の生を実感できません。二人は生に対する不安定な感覚があり、交わるふたつの世界の揺らぎは読者にも伝播し、読み進めるほどに足元がおぼつかない感覚に絡めとられます。そして驚きの結末が明かされ、本作の世界の背景や設定がいかに丁寧に作りこまれたものであるかを実感するでしょう。
 
「影たちのいたところ」
 祖母のソフィアが孫に語る昔話です。夏休みを父が暮らすイタリアの小さな島で過ごすソフィアが出会ったのは九つの影を持つ少年ロランでした・・・
 ロランの影はどこからきたのでしょうか。なにものでしょうか。ロランとの出会いは少女ソフィアを冒険にいざない、そして彼女は世界を知ります。退屈な日常がロマンスに反転するようなファンタジーな冒険譚であり、現代の私たちが抱える不寛容に鋭い眼差しを向けさせる作品でもあります。少女が世界を知るひと夏を切り取った本作は、その後の彼女の人生に思いを馳せるという余韻を残す作品です。
 本作は青春SFです。第一に著者の瑞々しい感性が青春の屈折や衝動を丁寧に描き、そこには美しさが、そして苦みとノスタルジーがあります。SFであることは物語を動かすガジェットというだけではなく、世界を知りたいというロジックを有することでもあります。そこに幻想小説、世界文学、ミステリという具合に重層的な仕掛けが凝らされているため、多面的な魅力があり、丁寧に読みたくなる作品集です。
 

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