【イベントレポート】郡司ペギオ幸夫×宮台真司トークイベント「ダサカッコワルイ世界へ」文字起こし④

~「やってくる」を体現する著者の成育環境とは~
 
宮台:さて、ここから先、郡司さんの個人的な話を伺いたいです。まず、この本を読んだ多くの方が思うのは「なぜ郡司ペギオ幸夫さんにだけ変な体験が起こるんだろう」ということ(笑)。「郡司ペギオ幸夫さんって一体どういう人だよ、(本を指して)すべてが変じゃないか」と(笑)。一番最初に出てくるのは、干しブドウだと思って食べたらぺしゃんこになって干からびたウジだったという話ですが、変です。

実は、僕にも同じ変なところがある。中学生の時、ステレオのパネルを見たら何か茶色い楕円形のものがついていました。それで「ライオネスコーヒーキャンディーだな、よし」と思って食べた。すると、味がしなかった。「んー? 味がしないのもあるのかなー」。しばらくして、あっと思って平凡社世界大百科事典のゴキブリの項目を読みました。そこにゴキブリの卵の図解がありましたが、全く同じでした(笑)。

普通、食わないと思うけど(笑)、「やってくる」人は食うんです。だから、ちょっと同類なんです。「どうして食うのか」って、もちろん干しぶどうやコーヒーキャンディーが「やってくる」からに決まっている。だって、よく見れば、干からびたウジと干しぶどうは「似ていない」し、ゴキブリの卵とコーヒーキャンディーも「似ていない」から。それにしても、なぜ郡司さんにばかり奇妙すぎる体験が目白押しに襲うのか。さすがの僕も、郡司さんほどじゃありません(笑)。まずそれをお伺いしてよろしいですか。

郡司:(笑)。小説家の保坂和志さんは、僕より5つくらい上だと思うんですけど、「郡司さんと話していると1世代か2世代前の人と話しているようだ」と言われます。僕は北関東の城下町出身で、育った場所は下町です。行政区分の改革に合わせて古い町名など残っていませんが、多くの町内会が、昔の町名で運営されています。僕の町内会は、20軒くらいの小さな町ですが、僕が子供の頃には、職人の町でした。隣のおじさんは指物師、タンスなんかを作る人で、桶屋のおじさん、表具師とか、みんな職人で、サラリーマン家庭というのはほとんどなかった。

そういう中での生活で、僕と同世代の人がわりと簡単に亡くなっていきました。僕の1年先輩の人は僕が中学校の時にバイクに乗って交通事故で死んじゃった。隣の隣の人は腎臓が悪くて18歳で死んじゃいました。同世代の人が病気や事故で、たった20軒から五、六人亡くなっている。

あるおじさんは、立派な大人なのに「あんちゃん」と呼ばれていましたが、寅さんみたいな恰好をしていて、(自分の子供が)事故でなくなり、支払われた賠償金をいつも腹巻きに挟んでいました。その札束を出しては、ばーっと数えるわけです。「子供が死んじゃって、こんなの、もらっちゃったよ」と。もちろん嬉しいわけではなく悲しいわけですけど、絶妙な表情でいつも数える。それを見て子供心にも「大変なことが起こったんだな」と思うわけです 。「それをどう消化していいのか分からなくて」というのも分かるわけですよ。そういう子供時代を生きてきたんですね。

ある時は、うちの近所で寅さんのロケをやっていました。その時もみんな前の方にのめり込んで見てて、「お前らどけっ」とか言ってゴミのように言われて(笑)。そのような、言ってみれば「ゲゲゲの鬼太郎」のような世界で生きてきたというところはありますね(笑)。だから、山を歩くとか昆虫採集をするとかいうのも、生物学的な興味で虫をとるとか、体を鍛えようと思って山を歩くとか、そういうことはなく、猫のように虫と遊び、犬のように藪を走った。日常生活の中に野生とか外部というのが絶えず浸透していたみたいなんです。

宮台:僕も同世代で、京都の田舎で育ったので、似た体験をしています。転校が多くて小学校を6つ行っていますけど、「助けてあげたら助けてもらえる」と母親がいつも言ってたんで、被差別部落の子とかヤクザの子を助ける。すると彼らが僕を守ってくれる。そんなふうに生き延びましたが、彼らと遊ぶと面白いんですよね。僕から見ると未規定な祝祭感に満ちているんです。

例えば、学校の帰りに、毎日やっている屋台のたこ焼き屋に寄る。なぜか、たこ焼き屋台には花札が置いてあって、花札に負けたヤツが全額払うというのをやっていた。だからみんな必死 (笑)。たこ焼きをタダ食いするために花札に必死になっている姿は、実に体温が高くて素晴らしかった。変な連中と付き合っているから登下校の時にローラースケートを履いて町中を走り回ることもやっていた。

ここから先は郡司さんと同じだけど、よく虫や爬虫類を捕まえた。転校生でウケねらいなんですが、マムシを虫かごに入れて教室に持って行って、バッタを生き餌として与えて、「おーっ」と騒がせたりしました。これ、別にチクられたりしなかったし、怒られたりもしていません。今やったら怒られるでしょう。小学校の教室に虫や蛇を持っていくなんていう過剰さは。でも、僕にとっては重要な体験でした。

僕はいちばん下の男児が幼稚園だった去年まで、登園時にいつもバッタを取って、ウチに飼っていた数匹のカマキリに生き餌としてあげていました。その時思ったのは、ヴィヴェイロス・デ・カストロ問題にも関係するけど、僕らが人でカマキリは虫だという識別って本当にどれだけ意味があるのだろうということでした。例えば、人間同士でも目が合わない人がいるけど、カマキリって目が合うんですよね。

カマキリはゴキブリの近縁種ですけど、ジッとして獲物が近づくのを待つので、首が動く。だから生き餌を食うところを見てると「なに見てんだよ」ってガン見してくる。それが慣れてくるとだんだんこっちを無視するようになる。だから子供はそれに名前をつける。愛着もわく。バッタは目が合わないから生き餌としてあげることに躊躇がない。変な話、目が合わない人間よりも、目が合うカマキリの方に仲間感覚を持つわけです。「ただの虫じゃん」と言われるほど、その隙間に「友達」が訪れてきてしまうという(笑)。


 
~「やってくる」を受けとる生き方~
 
宮台:さて抽象的次元で郡司さんの存在形式って何なんだろうと思った時に思い出すのが、一水会元代表の鈴木邦夫さんとドキュメンタリー作家の森達也さん。以前書いたけど、彼らの共通性は「認識におけるラグ(時間差)」です。彼らは早合点しない。しばらく保留する。質問しても「それはよくわかりません。うーん。」と唸って、時間が経ってから「今思ったんですけど…」と。僕はこの時間差に「やってくる」んだと思う。シニフィアンとシニフィエの直結がない。郡司さんもそういう方だと想像するんです。

僕は逆に早合点系だと言われます。小さい時から批判されました。一つだけ話すと、僕はかつて公開模試の達人で、河合塾が有名じゃなかったこと駿台公開模試で何度か国語で全国一位を取ります。それで友達から「国語が得意ならZ会の受験科国語I科を受けろよ」と言われて受けた。初回はめちゃくちゃな点だった。答案に添削コメントがありました。「模試で一番でもZ会は解けない。普通は問題文中に答えがあるから君は解ける。ところがI科はそもそも東大に入ることを目的としない。それはハードルが低すぎる。我々が目的としているのは問題文の中に答えがないものについて答える力だ。君にはそれがない」。

これは重要なトラウマになりました。テストで答えられても自分は何も分かっていないんじゃないかと思うようになりました。このトラウマはその後いろんな選択に影響を与えます。大学院時代に社会学のスーパー院生みたいに言われると、むしろ劣等感が刺激されちゃう。それでドキュメンタリーやマーケッティングの会社を企業したり、ナンパ師やフィールドワーカーになった経緯があります。

遅れと早合点の話を通じて言えるのは、郡司さんが離人症的体験ないし統合失調症的体験として書かれている「シニフィアンとシニフィエが直結する自動機械的な振る舞い」が孕む問題です。シニフィアンが提示されたときに保留したままのサスペンディングな状態に耐えて「やってくる」ものを待つ構えこそが重要なのに、それを持つ方と持たない方がいるんじゃないかということです。そこで質問ですが、郡司さんは自分の同類――違和感なく郡司さんの『天然知能』や『やってくる』を読んで「そうだよね」って思う人――がどのくらい人口の中にいらっしゃると思いますか(笑)。

郡司:自分は非常に孤立している人間なんで、人数や比率はわからないんですけど(笑)。ただ今言われたトラウマみたいなものは大事なポイントで、これを抱えている人間というのが、「やってくる」体験をするんじゃないかと思います。僕は職人がいる町にいて祖父も職人でしたが、親はサラリーマンだった。だから昭和初期の下町のような中で、揉まれて野生児のように育ったのかというと、そうでもなかった。

母の兄は2歳くらいの時に疫痢で亡くなり、そのため祖母は、紙芝居屋さんが来ると「そういうものを食べると疫痢になるから絶対食べるな」と母に言い聞かせたそうで、それは僕にも継承されました。だから、みんなと田んぼや小川で泥だらけになって遊びながらも、駄菓子屋で買うものは、食べ物じゃない物――指でこすると煙が出る紙や、暗闇で光る蛍光塗料で描かれたお化けのカードや、ブリキでできた昆虫くじ――などで、仮に食べ物でも、せいぜい乾いたソース煎餅などだけでした。そこでは友達に対する後ろめたさや、本当に危ないのではないかという危機感など、綯い交ぜになったものがありました。

たぶん僕の中で、親に言われている大人の常識の世界観と、子供の中での友達関係という二つを、どう関係付けていいかわからない、という状況があったのです。それが、両者(大人の常識と子供の関係)の違和を担保したまま綯い交ぜになって、弱いトラウマみたいなものを無意識に形成したのだと思います。そしてそれは、駄菓子屋に行っていた以降もずっと、同様のトラウマみたいなものを抱え込む原器になった気がします。

さっき宮台さんもトラウマという言い方しましたけど、クリプキにおける一般と個別のアンチノミーというのは、先ほども言いましたが、今風の言葉で言えばまさにトラウマなんですよ。病的なものではなく、弱いトラウマというのはそこら中にある。とりわけ、意味を剥奪されたトラウマ、弱いとはいえトラウマが有している忸怩たる感覚や、違和感、恐怖感につながる負の感覚が脱色されていると、なんだかよくわからないけど、何かを呼び込もうとする装置になる気がします。

僕は、何かを呼び込む装置を考えるとき、トラウマとLGBTと腐女子が重要な概念になると思っています。シニフィアンとシニフィエみたいに対概念でありながら、一方でその関係は無関係なものが恣意的に結びついたように見え(ソシュールはそう述べた)、他方、もしかしたらこれは関係づけられるんじゃないか、線で結べるんじゃないかと思うものがありますね。脳科学は音と質感の関係などにその可能性を見ますね。この二つ(シニフィアンとシニフィエ)が関係づけられるのか否か、という意味で問題化されとき、問題に解答を与えるでもなく、問題が宙吊りになって、両者がぐちゃぐちゃになったまま内部にとどまる。それをトラウマと言っているわけです。

PTSDを起こすトラウマというのは、例えば、命の危険に晒されるような体験で形成されますよね。自分に被害を及ぼした自然(加害者)と被害者としての自分との関係が、あまりにも理不尽な時、両者をどう関係づけていいか分からない。だから、この二つの関係を関係づけようみたいな問題は、はなから解かれようとせず、問題としての意味が意識の上で失われます。ところが、二つの関係は、塩と砂糖を混ぜたみたいな違和感のある状態で、無意識の中にとどまっている。これが脱色される以前の、通常のトラウマです。たぶんこの場合、何かトラウマにぴったりするイメージが「やってくる」んですね。それがフラシュバックだと考えることができるでしょう。

フラッシュバックというのは本人にとって非常に苦しいものです。そこで、フラッシュバックを呼び込む、トラウマの意味を脱色してやると、やってくるものが変わるんじゃないか。シニフィアンとシニフィエのような、一見対立するけど関係づけられるかもしれない問題として成立するものーそれが一緒になったアンチノミー(二つのAとBが共に成り立つもの=肯定的アンチノミー)が、本来的なトラウマですが、このトラウマをある意味で磨くわけです。磨いて磨いてトラウマ的な意味が脱色した時に、フラッシュバックではない何かが――治った感じがするなという治癒的な感覚などが――「やってくる」んじゃないかと考えています。これは無根拠に言っているわけではなく、ただ何か作るということではなく、「これだ」っていう作品がやってくる芸術家の制作過程を考えていて、言っているのですが、これが非常に大事です。そこを宮台さんに言っていただいて(笑)。

第一に、ここで言っている肯定的トラウマの位置付けの難しさをあげておきます。どういうことかと言うと、肯定的トラウマは、関係があるのかないのか問題化する二つのものの肯定的アンチノミーという性格を持ち、つまり両者の中間項であるような性格を持ちます。問題化する二つのものが「内側」と「外側」の場合、それは両者間のインターフェースだと思われるでしょう。いい例が「身体」です。私と外側の間に身体を持ってくる。それはロボティクスなんかで言えば、私と外側の関係は厳密に計算しようとすると難しい。例えば金属製の指で卵を潰さないように掴む計算とかね。でもゴムの皮膚をつければ簡単に実現できる。それは外部を召喚する肯定的トラウマではなく、問題を単に隠蔽する装置として働いています。

『やってくる』という単行本は「ケアをひらく」というシリーズから刊行されていますが、ケアという概念も下手をすると病気と健康という断絶の間を、隠蔽するだけで終わる可能性もあります。病気というのは確実に原因を指定できるかというと、そうとも言えない。そこで病気と健康、両者の間にスペクトラム=連続的な「ケア」すべきものが広がっている、とする。それは、簡単に関係付けられない病気と健康の断絶を隠蔽する装置として働く可能性もあるわけですね。それじゃいけないからこそ「ケアをひらく」なのだと思います。

「身体性」とか「ケア」とか「アート」とか、二者(身体→内側・外側;ケア→病気・健康;アート→芸術・日常)の間に、どう関係づけるわからない圧倒的な難問がある時、「隠蔽することで終わりにする」というのが一般的だと思います。「そんな断絶なんてない」や「両者の間を区別するのは恣意的な権威にすぎない」ということは、わかりやすい反権威にもなりますし。「芸術なんて特権的なものではない。すべてはアートだ」とかね。

でもそれは、耳に心地いい言葉ではあっても、「やってくる」体験とかけ離れたものです。芸術家は、肯定的トラウマを徹底的に磨き、徹底した受動性を作り出すことで、作品がやってくるのを待ちますが、全てはアートだという人には、何を磨いているか全くわからないでしょう。そこで「芸術家なんて、自らを権威づけるために、もったいぶっている」ぐらいに思うものです。芸術は、それを感じる感度がありますから、わからない人が大多数です。となると、芸術の反権威を素朴に唱える側は、社会からもっともらしく思われるでしょう。しかし、病の場合はどうか。

トラウマを磨くことで、以前はフラッシュバックがやってきたのに対し、ある時から、治癒的感覚がやってくる、ということがあると思います。それは、芸術家にとって、まだトラウマの磨きが足りないときには作品化できず、磨きが臨界値を越えると、「これだ」と思うものがきて一気に作品となる、この劇的変化と同じものです。この二つの間にある断絶を隠蔽して、「病気と健康というのも、そんなクリアカットできるものじゃありません」という話にしちゃうと、それは、本当に苦しんでいる人にとって、ただの念仏です。

だから「やってくる」人というのは、常日頃、例えば、シニフィアンとシニフィエのアンチノミー――そのアンチノミーというのはわかりやすいものではなく肯定的アンチノミーでありながら否定的アンチノミーであるようなもの――を抱え込んでいる人だと思います。同じ悲惨な体験をしても、PTSDになる人というのは10%ぐらいらしいですが、トラウマを持つ人は、芸術家ともなり得る感度のいい人だと思いますから、少数派と言っても、このような人たちをないがしろにする社会は、変革や創造の力を失うと思います。むしろ、広い意味でのトラウマを抱え込んで磨く、ということが、「やってくる」エンジンだと思います。


 
~外部を受けとれる人と受けとれない人~
 
宮台:すごく触発されるものがあります。簡単に言うと、郡司さんと僕はトラウマを抱えていて、それを磨いてきた存在だということで、仲間であるみたいな話でした(笑)。さて触発されて、思い出したことがあります。なぜフロイトがアドラーを「ネズミ」と呼んで軽蔑したのかということです。

アドラーは、アウェアネストレーニング(自己啓発)――今でいうコーチング――の元祖で、「トラウマなんてどうでもよく、明るい未来としてしっかりした目標を思念できれば、それをエンジンとして現在を引き寄せられるから、過去のトラウマにこだわるんじゃなく、未来の明るい光の引力に引き寄せられることだけが重要だ」と言った。啓発本を読む人って現にそうやって生きていますが、それでいいのか。

アドラーにも良い面があるけど、フロイトが「ネズミ」――僕がいうクズ――と呼んだ理由も分かる。後にフロイトを継承したラカンが、神経症の源泉になるトラウマの意味を明らかにしたけど、僕らは、言葉の中に閉ざされるようにムリヤリ訓練されたせいで誰もが本当はトラウマを持っていて、その抑圧によるトラウマがエネルギー源になって、いろんな営みに動機づけられる――フロイト=ラカンはそう考えるんですね。

社会という言語的なシステムに、一見「適応できた人間」と「適応できなかった人間」がいるとして、「適応できなかった人間」の方が正しいんだというのがフロイト=ラカン派の一貫した発想です。「心の病気だから治しましょう」と人は言います。確かにそれで社会は安定して回るかもしれない。でもラカン的には「治しちゃっていいの?」という問題です。治せば、郡司さんのおっしゃる隠蔽が起こるんじゃないの?ということ。むしろ、言語に閉じ込められてシステム化していく社会が病気であって、「適応できない」ことの中に本質があるんじゃないの?と。

つまり「言ったとおりにやりなさい」と言われて、言ったとおりにできるヤツの方がおかしいんじゃないの? 「もっと言葉を明瞭に使いなさい」と言われて、言葉を明瞭に使えるヤツの方がおかしいんじゃないの? 僕や郡司さんの世代だと中学校に入ると成績優秀な生徒がフロイトを読み始めるのがよくある話で、「治るのは良くない」という感じ方を刷り込まれているので、「トラウマを磨く」とおっしゃったけどトラウマを消さないで何度も再解釈することでどんどん新しいものを呼び込む生き方が良いんじゃないの? そんなふうに僕なんかも思うんですね。そもそもフロイトの「昇華」ってそれでした。

郡司さんに次の質問をします。『やってくる』の中に忖度の分析があって、アベスカ官僚どもの忖度ぶりに関する批判として読める箇所がありますが、「なんでそういう人間たちがいるのか」という質問です。

郡司さんのおっしゃるように、条件プログラムの中に閉ざされた「人工知能」的な人間の知能は、もちろん誰にでもあります。あるいは、百科事典的なデータベースの中に閉ざされた「自然知能」的な人間の知能も、誰にでもあります。でも、それらはむしろ周辺的で、絶えず隙間に「やってくる」ものを呼び込む「天然知能」的な人間の知能こそ、最も重大な人間の知能の形式である――本当にそうだと思います。

だとすると、途端に疑問が湧いてくるんです。僕が言う「クズ=損得マシーン」――郡司さんで言えば「忖度する人たち」――がなぜこんなにウヨウヨ増殖しているのか。本来働いているはずの「天然知能」が、現に働いている人間と、全く働いていないようにみえる人間って、いったいどこが違うのかという質問なんです。

郡司:それはですね、やっぱり子供のころからずっと科学的な思考だとか論理的に物事をしゃべるとか、そういうことを徹底して教育されてきたわけで。そうじゃないと社会で生きられないということをずっと植えつけられてきているからだと思います。学校教育にとどまらず、もはや呼吸の仕方のように、教えられる。そうしたらそうならざるを得ないと思います。

だから、外部に出て(生ハムメロンみたいなものを)「あー、おいしいな」とか、変な言葉と言葉を繋げると思いもよらないイメージが立ち上がってきて「あー、楽しいな」とかは、別にテストに関わってこないし、そこで感じる楽しさとか感覚とかは社会に出て役に立たない。常に褒められるということもないですし(笑)、そうするとそうならざるを得ないという気はしますよね。

宮台:明解です。先ほど郡司さんの成育環境の話で、僕が思ったのは、自分の体験を振り返って「分かる、あれに相当するだろうな」と思えるけれど、「それに相当する体験は、若い人になるほど持たないだろう」ということです。今は、郡司さんがおっしゃったように言語明瞭な界隈に閉じ込められ、シニフィアンとシニフィエが直結している離人症的な存在形式を強いられると同時に、その外側を見ることができなくなっています。僕がいう「汎システム化」です。成育環境が腐ってきているのですね。そのことについて映画に即して語ったばかりです*。

*宮台真司×ダースレイダー『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』公開記念トークイベント SUPER DOMMUNE/2020年10月08日
前編:https://bit.ly/3nvglMm
中編:https://bit.ly/2HQR8wN
後編:https://bit.ly/3pEE2ng

僕ら世代の学校の先生が今とさほど違ったことを言っていたとは思わないけど、僕らは「学校化」されていなかった。つまり、学校の成績で子供を評価する家族や地域は、今よりずっと少なかった。その意味で 学校の外があった。学校で褒められる人とは全然違う「いい感じ」の人がいっぱいいた。「学校的なもの」は適当にやり過ごせばいいだけ。「学校的なものの外」に本当の享楽があると感じることができたように思います。

それに関連するけど、晩年のラカンは人類学に接近しました。ラカンは郡司さんがおっしゃったのと同じで、「ちゃんと言葉を使え」という抑圧を強く受けるようになった結果、様々な精神障害が生じるようになったと考えたんです。さっき話したけど、僕ら人類はもともとそういうふうに言葉を使っていなかった。「ちゃんと言葉を使え」というのは、ヤコブソンの詩的言語と散文言語でいえば、何かを記述する散文言語を――語用論で言えばコンスタティヴ(事実確認的)な語用を――使えという命令ですよね。

でも、書記言語による統治を用いた大規模定住社会が各所にできた三千年前よりも、以前に遡れば、散文言語よりも声を使った詩的言語の方が優位だったんですよ。詩的言語にはシニフィアンとシニフィエの直結がなく、過剰=換喩的だったり、過少=隠喩的だったりするんです。この過剰や過少からいろんなものが「やってくる」。それを声が届く範囲のみんなで楽しむのが言葉の使い方=語用だったのに、文明=大規模定住社会の統治のニーズから、詩的言語ではなくて散文言語を重視するしかなくなったんですね。

これは、エリック・ハヴロックが『プラトン序説』(1963)で提唱した有名な説で、ちなみにジュリアン・ジェインズが『神々の沈黙』(1976)でこの新しい語用が「反応に対する反応に対する…」みたいな再帰的反応としての意識つまり心を生み出したと言いました。これらは正しい仮説だと思います。かつて僕らは散文言語=ロゴスに向けて抑圧されていませんでした。それで言えば、郡司さんや僕も、学校ではそういう抑圧を受けても、社会全体が学校化されてはいなかったので、抑圧から自由に生きられる時空がありました。それが今の人たちと比べてラッキーだったと思ったりするんですが、どう感じられますか。

郡司:今の話、まさに言語化される以前の感覚こそがすごい大事なのだと思います。外部に対する感度を磨いておくことですね。言語自体が詩的言語から散文言語に本質的に変化した訳ではなく、言語学が散文言語に焦点を当てるような方向へと、まずは発展したのだと思います。ところがこれも、ジョージ・レイコフの『認知意味論――言語からみた人間の心』(1987)あたりから変わってきて、言語の中核を、再帰性から離れ、それこそ換喩を中心概念とする、認知言語学が発展してきました。それはやはり、我々の意識や心は、言語構造自体ではなく、言語を使う言語の外部にある、とするウィトゲンシュタイン・クリプキの延長線上の議論だと思います。

つまり詩的言語から散文言語へ構造的に変化したのではなく、散文言語だと思っていたものの底にはやはり詩的言語の根幹である換喩や隠喩があったということですね。こうなると、散文言語の不足が発見されて現れる擬似外部ではなく、言語使用に絶えず侵食する外部が見出されることになる。言語は閉じているわけではなく、それを使う共同体も閉じているわけではない。にもかかわらず、それが閉じていて強制力を働かせ得るものだと、常に反転されてしまう。

昭和の下町は良かったと言えば良かったですが、亡くなる前に、母が自分の子供時代を思い出して言っていたエピソードは、暗いものでした。「♪とんとんとんからりと隣組」のような明るいメロディーの歌を思い出して歌うのですが、よく考えてみると監視社会浸透の、歌による教育ですし、「アメリカ軍が上陸してきたら子供は全員、薪割りで頭をたたき割らなきゃ」と近所の大人が相談していたとか。僕が小学生当時も、今思うと川に自転車とか化学薬品とか平気で捨てて、川はゴミ溜めのようでした。子供心にも自然や里山が壊れていく絶望を感じてました。

それに比べたら今はずっとよくなっている気もします。トラウマとかLGBTとか腐女子とかが前面化して現れていて、むしろ今の社会に希望が持てるんじゃないかと思っています。本来、どんな人でも生きている上では忸怩たるものを持っていて、多かれ少なかれトラウマティックなものを抱えている。そのトラウマを磨き、脱色できたときこそ、「外部を召喚することこそが、生きることである」ことが実感されるのだと思っています。トラウマ的なものこそが、スキマを作り、外部を召喚する。このトラウマ、肯定的トラウマと外部の関係が実感されないと、外部は、安定的・構造的内部に対するゆらぎにすぎなくなって、擬似外部に堕す。今までの歴史は、常に、「外部を無視」、「外部に気づく」ことの繰り返しばかりだったけれど、いよいよ内部に組み込んで閉じさせられない(擬似外部と解釈できない)外部へのスタート地点に立ったのではないかと思っています。

この『やってくる』の表紙は、日本画家の中村恭子さんに描いてもらったんですけど、これは諏訪神社の御柱で、何か意味のある生命の棒ではなくて、ただの棒であると。ただの棒を立てるということに意味があると。まさにただの棒だから、何か「やってくる」ということなんじゃないかと、中村さんは言ってます。ジョルジュ・アガンベンも、『バートルビーーー偶然性について』(2005)の中で、書くことの責任に関する無限退行に言及し、空白域の形成を問題にしています。書いたのはペンか。いや、ペンはインクだと言い、インクは紙だと言い、紙は…と責任の所在はわからず、無根拠性が現れる。この無根拠性が作り出す、徹底した「空白」の形成こそ、(能動的に)書くことが(受動的に)書かされることであることを理解し、書かれるものが「やってくる」ことを待つことだ……という言い方はしませんけど(笑)、そういう空白と「神の愛」が関係するんじゃないかとは、言ってますね。

外部への感性において、この「徹底した受動性」というのがきわめて重要で、「徹底した受動性」を立ち上げるには、空白域を形成する必要がある。この空白域こそ、脱色化され、無効になったトラウマではないか、というのが僕の読みです。トラウマは、時代に関係なく、誰でも気づきさえすれば磨きあげられるんではないか。その感受性は、むしろ今のほうが、割と優れている人が多いんじゃないか。だったらなぜ、僕の本が売れないのが、それは謎なのですが(笑)。




――No.5へ続く

登壇者: 郡司ペギオ幸夫(郡司)・宮台真司(宮台) 
文字起こし: 若泉誠(宮台ゼミ)

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