【参加者エッセイ紹介】FRIDAY NIGHT ESSAY CLUB ――〈書くこと〉で日常を見つめ直すワークショップ 川野芽生×高田怜央×永井玲衣×松田樹×森脇透青 (前編)
2024年04月05日(金)開催 代官山 蔦屋書店 SHARE LOUNGEで、5名の作家と批評家が語る考えや手法をヒントに、実際に「エッセイ」を書くことを応援するワークショップを開催しました。
前半は登壇者によるトークセッション、後半はグループワークと質疑応答を実施。司会は、大学で創作指導を行っている文学研究者・批評家の松田樹さんと、各登壇者と以前より親交のある詩人・翻訳者の高田怜央さん。
登壇者と参加者が、そして、参加者同士が交流して盛り上がるイベントになりました。
イベント終了後、「金曜日」をテーマにしたショートエッセイを募集しました。ご応募いただいたエッセイの中から、それぞれの登壇者が一点ずつセレクトしたエッセイをご紹介します。
イベント終了後、「金曜日」をテーマにしたショートエッセイを募集しました。ご応募いただいたエッセイの中から、それぞれの登壇者が一点ずつセレクトしたエッセイをご紹介します。
川野芽生セレクト
白湯『うまく踊れない』
高田怜央セレクト
みすみさわん『あなたが暮らす世界の夜は』
永井玲衣セレクト
千草ちゆ『火曜日の夜にあらわれるもの』
松田樹セレクト
小川幽平『ムスリムにおける集団礼拝の日』
森脇透青セレクト
鈴木拓真『金曜日は秘密である』
■川野芽生セレクト
白湯『うまく踊れない』
いつものように仕事を終えて職場から駅に向かうため、最寄駅につながる地下歩道へと階段を降りた。職場は街の中心部にあり、大きな地下歩道では駅の改札までの間にたくさんの人とすれ違う。今日すれ違う人たちはどこかいつもより楽しげに見える。
そういえば、今日は金曜日だった。
数ヶ月前に転職をし、土日休みから休日が毎週日曜日と月曜日になった。今となっては、金曜日が週末だという感覚が既にない。むしろ金曜日の夜は、もうあと一日働かなければならないのかと気が重くなるくらいのタイミングだ。一足先に週末を迎えた彼らを後ろから眺めてため息をつく。
そもそも金曜日の夜は苦手だった。前に勤めていた会社では、金曜日の夜に良く飲み会がセッティングされた。飲み会は嫌いで、毎回苦し紛れの言い訳をつけて帰り道へ向かった。そうして逃げるように歩く道すがらも楽しげに繁華街に向かっていく数人のグループを横目に、改札をくぐった。帰宅した家の中で、ふとぼーっとしてインスタグラムを開きストーリーズのアイコンを押すと、数多のビールグラスや友人の知らない友人の笑顔が我こそはと現れる。そっとアプリを閉じ、自分は金曜日の夜を上手に過ごせない、と思った。だけど今は、金曜日の夜に何か特別な過ごし方をする必要がないのだ。何故なら次の日も仕事だからだ。だから、安心すらしているかもしれない。
星野源の『Week End』という曲がある。ディスコ調のダンスミュージックで、彼はライブ中、観客に向かってそれぞれが自分なりの動きでばらばらに踊ることをしきりに促す。ぐちゃぐちゃになれとまで言う。「今を踊るすべての人に捧ぐ 君だけのダンスを世間のフロアに出て叫べ」それは自分ならではの踊り方、もっというと自分ならではの生き方で生きろ、ということだろう。この曲が昔から大好きで、何度もライブ映像を観て家の中で静かに踊ったりした。でも、自分ならではの過ごし方がいまだに分からないままで、金曜日の夜に楽しげに踊る人たちを見て、どうして自分の動きはこんなにもぎこちないのだろうと思っていた。
しかし、偶然にも転職をしたことで今までのサイクルから弾き出された。金曜日の夜の喧騒から距離を置いたことで、週末への焦りが解けていっているように思う。この週末は家の中でぼーっとしてみよう、とか。元気があったら映画でもみてみようか、というふうに。少しずつ、ゆっくりと自分の踊り方を学んでいく。
【川野芽生コメント】
無理のない、一貫した文体があり、するりと読むことができました。転職したことで「金曜日」の位置付けが変わり、以前の曜日感覚と現在の曜日感覚の狭間のような時間の中で、揺らぎながら時間感覚や仕事との関係、他者との関係、自分の生き方まで新たに見直していくところが興味深かったです。
社会に求められるありかたと、それに乗れない自分の間で軸足を定められずにいることで、かえって求められるありかたへの批判的なまなざしがたしかに浮かび上がってきます。
「金曜日」の相対化が成し遂げられているよいエッセイだと思いました。
川野 芽生 (かわの・めぐみ)
小説家・歌人・文学研究者。1991年神奈川県生まれ。2018年に連作「Lilith」で第29回歌壇賞、21年に歌集『Lilith』で第65回現代歌人協会賞受賞。24年に第170回芥川賞候補作『Blue』を刊行。他の著書に、短編小説集『無垢なる花たちのためのユートピア』、掌編小説集『月面文字翻刻一例』、長編小説『奇病庭園』、エッセイ集『かわいいピンクの竜になる』がある。
■高田怜央セレクト
みすみさわん『あなたが暮らす世界の夜は』
孤独を愛してるとかってわけじゃないけど、なんだかんだひとりでいることが多い。
今日みたいな金曜の夜だからって何も特別なことはなく、きらびやかに賑わう街を影みたいに通り抜けて自分の家に帰る。
道行く人たちはみんな、たった今なにか楽しい知らせを聞いたみたいにはしゃぎながら笑っている。
つられてちょっと笑顔になる。
幸せそうな人を見るのが嫌だ、という考え方もあるんだろうけど、自分はそれには当てはまらないなと思う。
お気に入りの映画をNetflixで観たくなって、家路を急いだ。
ミシェル・ヨー主演の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」という映画があり、とても妙ちきりんな作品なのだけど、一度観てからずっとお気に入りのひとつになっている。
主人公の人生の節目ごとに「自分が選ばなかった選択をしたもうひとりの自分」の人生が形成され、それぞれが異なった並行世界で過ごしている——ある自分は映画スターとして成功を収め、また別の自分は功夫の道を極めている。両手の指がソーセージの世界で愛する人と過ごして、この世界では石になって、あの世界ではピニャータになって……。
壮大な世界観と設定の上にアクションとくだらないジョークが盛大にトッピングされていて、何度見返しても本当に変な映画だなとしみじみ思ってしまうのだけど、なぜか愛おしい。
そしてその度に、もしわたしにもパラレルワールドに生きている数え切れないほどの自分の分身がいたなら、と思い浮かべてみる。
人生の岐路に立っているその瞬間は、とても大切な選択を迫られてるなんて気づかない。
後になってあれは間違いだったとわかっても、二度と取り返しはつかなくて、そのあとずっと事あるごとに頭の中に蘇る。
中学生の頃、英会話の授業で、ペアになった相手の発音を揶揄わないことを選んだわたし。
初めて好きだと思った人から傷つけられても、わざと酷い言葉を投げつけなかったわたし。
寝入りばなにかかってきた懐かしい人からの電話を受けて、夜通し話を聞いたわたし。
今この体で生きているわたしが選ばなかった、その分かれ道を進んだあなたの人生はどんなだったろう。
今日はどんな日だった?今夜はなにをして、何を考えてる?
街ですれ違った人たちのように、きらきらとした幸せに溢れていたならとてもいいな。
そんな景色を思って、ちょっと口元を緩ませた。
いつかみんなで話がしたいな、わたしの家に来てほしい。
ドラマに出てくるみたいなわかりやすいごちそうも作れるようにしておくよ、何が食べたいか考えておいて。
とりあえずローストチキンのレシピでも調べてみようか、とiPhoneに手を伸ばした。
【高田怜央コメント】
他者とのやわらかな距離感が印象的でした。帰り道の雑踏から始まり、家に着くと馴染みの映画をもう一度観る。そこで「もしわたしにもパラレルワールドに生きている数え切れないほどの自分の分身がいたなら」という仮説が提示され、読み手をいざなったまま思考を現実から数センチ浮かせる。過去、誰かとの関係にかすかな摩擦を感じとるたびに葛藤があったこと。いつもさりげなく道を譲ってきたこと。それでいて、そんな生き方をする自分にやっぱり満足していること。帰ってきて、ネトフリ開いて、スマホを取るだけの描写のうちに、やさしさと小粋さと、世界への確固たる態度が読み取れます。
「あなたが暮らす世界の夜は」ひとり映画を観ながら過ごすわたしのいる世界の夜でもある。そんな日々を見つめるあなたのまなざしは、きっと少し寂しくて、少しあたたかい。
高田 怜央 (たかだ・れお)
詩人・翻訳者。1991年横浜生まれ、英国スコットランド育ち。上智大学文学部哲学科卒。バイリンガル詩に第一詩集『SAPERE ROMANTIKA』、対話篇 『KYOTO REMAINS』(共著)、「FUTURE AGENDA [未来の議題]」他 二篇(『ユリイカ 』)、「AFTER YOU [あなたの跡]」(読売新聞)など。主な翻訳に、映画『PERFECT DAYS』(制作・脚本・英語字幕)がある。
【参加者エッセイ紹介】FRIDAY NIGHT ESSAY CLUB ――〈書くこと〉で日常を見つめ直すワークショップ 川野芽生×高田怜央×永井玲衣×松田樹×森脇透青 (後編)
白湯『うまく踊れない』
高田怜央セレクト
みすみさわん『あなたが暮らす世界の夜は』
永井玲衣セレクト
千草ちゆ『火曜日の夜にあらわれるもの』
松田樹セレクト
小川幽平『ムスリムにおける集団礼拝の日』
森脇透青セレクト
鈴木拓真『金曜日は秘密である』
■川野芽生セレクト
白湯『うまく踊れない』
いつものように仕事を終えて職場から駅に向かうため、最寄駅につながる地下歩道へと階段を降りた。職場は街の中心部にあり、大きな地下歩道では駅の改札までの間にたくさんの人とすれ違う。今日すれ違う人たちはどこかいつもより楽しげに見える。
そういえば、今日は金曜日だった。
数ヶ月前に転職をし、土日休みから休日が毎週日曜日と月曜日になった。今となっては、金曜日が週末だという感覚が既にない。むしろ金曜日の夜は、もうあと一日働かなければならないのかと気が重くなるくらいのタイミングだ。一足先に週末を迎えた彼らを後ろから眺めてため息をつく。
そもそも金曜日の夜は苦手だった。前に勤めていた会社では、金曜日の夜に良く飲み会がセッティングされた。飲み会は嫌いで、毎回苦し紛れの言い訳をつけて帰り道へ向かった。そうして逃げるように歩く道すがらも楽しげに繁華街に向かっていく数人のグループを横目に、改札をくぐった。帰宅した家の中で、ふとぼーっとしてインスタグラムを開きストーリーズのアイコンを押すと、数多のビールグラスや友人の知らない友人の笑顔が我こそはと現れる。そっとアプリを閉じ、自分は金曜日の夜を上手に過ごせない、と思った。だけど今は、金曜日の夜に何か特別な過ごし方をする必要がないのだ。何故なら次の日も仕事だからだ。だから、安心すらしているかもしれない。
星野源の『Week End』という曲がある。ディスコ調のダンスミュージックで、彼はライブ中、観客に向かってそれぞれが自分なりの動きでばらばらに踊ることをしきりに促す。ぐちゃぐちゃになれとまで言う。「今を踊るすべての人に捧ぐ 君だけのダンスを世間のフロアに出て叫べ」それは自分ならではの踊り方、もっというと自分ならではの生き方で生きろ、ということだろう。この曲が昔から大好きで、何度もライブ映像を観て家の中で静かに踊ったりした。でも、自分ならではの過ごし方がいまだに分からないままで、金曜日の夜に楽しげに踊る人たちを見て、どうして自分の動きはこんなにもぎこちないのだろうと思っていた。
しかし、偶然にも転職をしたことで今までのサイクルから弾き出された。金曜日の夜の喧騒から距離を置いたことで、週末への焦りが解けていっているように思う。この週末は家の中でぼーっとしてみよう、とか。元気があったら映画でもみてみようか、というふうに。少しずつ、ゆっくりと自分の踊り方を学んでいく。
【川野芽生コメント】
無理のない、一貫した文体があり、するりと読むことができました。転職したことで「金曜日」の位置付けが変わり、以前の曜日感覚と現在の曜日感覚の狭間のような時間の中で、揺らぎながら時間感覚や仕事との関係、他者との関係、自分の生き方まで新たに見直していくところが興味深かったです。
社会に求められるありかたと、それに乗れない自分の間で軸足を定められずにいることで、かえって求められるありかたへの批判的なまなざしがたしかに浮かび上がってきます。
「金曜日」の相対化が成し遂げられているよいエッセイだと思いました。
川野 芽生 (かわの・めぐみ)
小説家・歌人・文学研究者。1991年神奈川県生まれ。2018年に連作「Lilith」で第29回歌壇賞、21年に歌集『Lilith』で第65回現代歌人協会賞受賞。24年に第170回芥川賞候補作『Blue』を刊行。他の著書に、短編小説集『無垢なる花たちのためのユートピア』、掌編小説集『月面文字翻刻一例』、長編小説『奇病庭園』、エッセイ集『かわいいピンクの竜になる』がある。
■高田怜央セレクト
みすみさわん『あなたが暮らす世界の夜は』
孤独を愛してるとかってわけじゃないけど、なんだかんだひとりでいることが多い。
今日みたいな金曜の夜だからって何も特別なことはなく、きらびやかに賑わう街を影みたいに通り抜けて自分の家に帰る。
道行く人たちはみんな、たった今なにか楽しい知らせを聞いたみたいにはしゃぎながら笑っている。
つられてちょっと笑顔になる。
幸せそうな人を見るのが嫌だ、という考え方もあるんだろうけど、自分はそれには当てはまらないなと思う。
お気に入りの映画をNetflixで観たくなって、家路を急いだ。
ミシェル・ヨー主演の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」という映画があり、とても妙ちきりんな作品なのだけど、一度観てからずっとお気に入りのひとつになっている。
主人公の人生の節目ごとに「自分が選ばなかった選択をしたもうひとりの自分」の人生が形成され、それぞれが異なった並行世界で過ごしている——ある自分は映画スターとして成功を収め、また別の自分は功夫の道を極めている。両手の指がソーセージの世界で愛する人と過ごして、この世界では石になって、あの世界ではピニャータになって……。
壮大な世界観と設定の上にアクションとくだらないジョークが盛大にトッピングされていて、何度見返しても本当に変な映画だなとしみじみ思ってしまうのだけど、なぜか愛おしい。
そしてその度に、もしわたしにもパラレルワールドに生きている数え切れないほどの自分の分身がいたなら、と思い浮かべてみる。
人生の岐路に立っているその瞬間は、とても大切な選択を迫られてるなんて気づかない。
後になってあれは間違いだったとわかっても、二度と取り返しはつかなくて、そのあとずっと事あるごとに頭の中に蘇る。
中学生の頃、英会話の授業で、ペアになった相手の発音を揶揄わないことを選んだわたし。
初めて好きだと思った人から傷つけられても、わざと酷い言葉を投げつけなかったわたし。
寝入りばなにかかってきた懐かしい人からの電話を受けて、夜通し話を聞いたわたし。
今この体で生きているわたしが選ばなかった、その分かれ道を進んだあなたの人生はどんなだったろう。
今日はどんな日だった?今夜はなにをして、何を考えてる?
街ですれ違った人たちのように、きらきらとした幸せに溢れていたならとてもいいな。
そんな景色を思って、ちょっと口元を緩ませた。
いつかみんなで話がしたいな、わたしの家に来てほしい。
ドラマに出てくるみたいなわかりやすいごちそうも作れるようにしておくよ、何が食べたいか考えておいて。
とりあえずローストチキンのレシピでも調べてみようか、とiPhoneに手を伸ばした。
【高田怜央コメント】
他者とのやわらかな距離感が印象的でした。帰り道の雑踏から始まり、家に着くと馴染みの映画をもう一度観る。そこで「もしわたしにもパラレルワールドに生きている数え切れないほどの自分の分身がいたなら」という仮説が提示され、読み手をいざなったまま思考を現実から数センチ浮かせる。過去、誰かとの関係にかすかな摩擦を感じとるたびに葛藤があったこと。いつもさりげなく道を譲ってきたこと。それでいて、そんな生き方をする自分にやっぱり満足していること。帰ってきて、ネトフリ開いて、スマホを取るだけの描写のうちに、やさしさと小粋さと、世界への確固たる態度が読み取れます。
「あなたが暮らす世界の夜は」ひとり映画を観ながら過ごすわたしのいる世界の夜でもある。そんな日々を見つめるあなたのまなざしは、きっと少し寂しくて、少しあたたかい。
高田 怜央 (たかだ・れお)
詩人・翻訳者。1991年横浜生まれ、英国スコットランド育ち。上智大学文学部哲学科卒。バイリンガル詩に第一詩集『SAPERE ROMANTIKA』、対話篇 『KYOTO REMAINS』(共著)、「FUTURE AGENDA [未来の議題]」他 二篇(『ユリイカ 』)、「AFTER YOU [あなたの跡]」(読売新聞)など。主な翻訳に、映画『PERFECT DAYS』(制作・脚本・英語字幕)がある。
【参加者エッセイ紹介】FRIDAY NIGHT ESSAY CLUB ――〈書くこと〉で日常を見つめ直すワークショップ 川野芽生×高田怜央×永井玲衣×松田樹×森脇透青 (後編)
人文コンシェルジュ
岡田 基生