【ARTIST NEWS】「常滑の陶工たち Potters of Tokoname」を開催
この度、銀座 蔦屋書店では、日本六古窯のひとつとしても知られる焼き物の名産地、愛知県・常滑より、11名の現代陶芸家に今年8月に逝去された鯉江良二氏の特別出展作品を加え、「常滑の陶工たち Potters of Tokoname」を開催いたします。
中世より約900年ものあいだ、やきものの生産地として窯の火を絶やさず在り続ける常滑。西に伊勢湾を眺め、滑らかな粘土の床が丘陵に広がる舞台の上で、多くの陶工の技術や感性がその歴史をもたらしました。昭和36年に全国に先駆け、陶芸を冠した研究施設「常滑市立陶芸研究所」を創設した伊奈長三郎は「陶業の振興は、陶芸の土台になる。陶芸における美と技の目的は、陶業につながる。」と唱え、陶業の町に陶芸を以って揺さぶりをかけた事は、常滑にとって大きな転換点となりました。
科学技術の進歩により、やきもののつくり方・売り方に多くの選択肢が生まれたことで伝統産地の解放が促され、現在においては窯元を凌ぐ数の作家が工房を構えています。窯元と共に常滑を牽引し、自律した多様な作家の群れが、やきものの町常滑のかたちをつくりだしています。
会場ではぐい吞み、急須を始めとした⽇⽤品から大壺や陶⼈形などの⼤物まで幅広い作品を200点以上揃え、全作品購⼊が可能です。また、初⽇22⽇(⽇)16時より出展作家である鯉江明⽒、畑中圭介⽒と哲学者 鞍⽥崇によるトークショーを予定しています。
*伊奈長三郎(いな・ちょうざぶろう)1890-1980年
伊奈製陶(株) (現(株)LIXIL)の創業者。初代常滑市長を務め、常滑の近代窯業の開発と発展に尽力しました。
伊奈製陶(株) (現(株)LIXIL)の創業者。初代常滑市長を務め、常滑の近代窯業の開発と発展に尽力しました。
※会場で配布しているリーフレットがこちらからダウンロード頂けます。(6.17 MB)
猪飼護(いかい まもる)
盆栽鉢を手がける常滑の窯元に生まれ、常滑高校工業課程窯業課で作陶の基礎を学ぶ。課外活動では土堀りも行い、自らやきものを作りはじめる。高校卒業後、家業と縁のあった三代常山に弟子入りし、職人の仕事を覚える。3年後に自立。職能の異なるクリエイターが集う常滑造形集団に入るなど、産地内外の様々な人と出会う。カップや皿、急須、土瓶という日常の道具類を、知多半島や他産地の土を用い、ろくろなどで成型し、穴窯で焼く。自身の生活の中から着想し、没頭できる場所で、しっくりくるかたちを長年追求してきた。彼の作る寡黙な土ものは、目が合った時にはその心地よさの理由を教えてくれる。
常滑に生まれ育ち、常滑高校セラミック科で作陶を学ぶ。大学在学時、人間国宝・三代山田常山に師事した急須作家・村越風月氏に弟子入りする。常滑の急須づくりを学び、大学卒業の翌年に独立。水簸(すいひ)と呼ばれる、朱泥急須が発明された江戸時代から続く方法での土づくりが日課である。採取した原土を水を張った大きな甕に入れ撹拌し、木の根などをふるいを用いて取り除き、繰り返すことで細かな粒子だけの土にしていく。水分を抜き、1年以上寝かして完成する。端正なかたちは、ろくろ成型をはじめとした技術に裏付けされるだけでなく、日々、古い急須や作家の急須を蒐集し、茶と共に吟味することで生まれる。幼い我が子とも茶事で遊ぶ。彼にとって、万事が急須なのだ。
伊藤雅風(いとう がふう)
伊藤雄志(いとう ゆうし)
常滑の急須屋に生まれる。花器類を製造する南山陶苑に勤務し、実力ありきの仕事を所望し作家の道を選ぶ。冨本陶苑の冨本五郎氏、陶磁器デザインの指導を窯業地で行う日根野作三氏に師事し、クラフトデザインを学ぶ。抽象画やポスターなどの平面作品から着想を得た、線や色面のゆらぎが特長的な練込のやきものを製作。倒炎式の窯に塩を焼べて、溶け切らない複雑な艶を纏う。練込や塩釉は常滑で用いられてきた技法・素材ではあるが、なぞるのではなく、捉え直し独自のものとする。日根野氏の「ものを作る時は、アイデアありき」を反芻し、確かな出来映えにまとめ上げるのは、作者の工夫の積み重ね以外に理由はない。
東京生まれ。小学生の時に山梨に移住。高校の美術部で平面作品を制作する傍、やきものを知る。古物が好きで骨董屋や古本屋に通い、唐三彩の図録を見て衝撃を受ける。大学に進学するも2年で退学し、スイス人の書道家が開いた陶芸教室に通う。本気でやきものを学ぶべく、単車で西へ向かい常滑、信楽、唐津を訪問。写真家の藤井友樹氏と出会い、その縁で信楽経由で常滑へ移住。南山陶苑で職人として働いた後、作家を目指し独立。軽バンに作品を詰めカーフェリーで海を渡りソウルで個展。その後東京などで個展を開催。やきものに求めるのは質感。陶土や釉の精製、窯に強い圧力をかけるなどの、時にセオリーから外れた試行錯誤を重ね、美しいと感じた石や木の質感、夕焼けの色彩などを、やきもので表す。
東海市に生まれる。大学を中退後、父の勧めで常滑の陶芸研究所に入所。卒業後、陶芸家の内弟子や制作の手伝いなどをしながら作陶をする。磁器の大きな鉢型の作品が、長三賞陶芸展で審査員賞[選:鯉江良二]に選ばれ、氏から「音楽が聞こえる。」と評価を受けた。その後、スペインでのワークショップで、地べたに穴を掘り土を打ち込み丸い器をつくった時、一連の作品が、幼少期の家の玄関の小さな凹みから常滑の大甕まで、水を湛え、乾いてを繰り返すそれらの内側の存在に彼女が満たされてきた事に根ざしていると気づく。内面の葛藤が、堂々とした面の張りや曲面の勢い、それによって形作られる「内的空間」に、つくり手自身が魅了され解消していく様は、昔も今も同じであろうと確信している。
常滑で生まれる。父親である陶芸家・鯉江良二氏の窯づくりを手伝う事からやきものに関わりはじめる。常滑の中世古窯発掘調査に参加し、発掘品に中世の陶工の手跡や仕事の痕跡を見て、常滑でやきものがつくれる事を再確認し、これこそが自分でできる仕事と確信する。以後、直接土に手をくだし触れながら工程を身につけてきた。彼の土ありきの考えから生まれるやきものは、用途に合った素直なかたちが導き、素材の土に焦点が合う。原初的なつくり方で生じる、これ見よがしでない静かな見所を探すのも楽しく愛着がわく。国や地域の境を越え、窯場を行き来しながらその体験を仕事に活かしやきものを続けている。
群馬県に生まれる。母親の影響で、ものづくりに親しむ。高校3年の時、愛知県立芸術大学の見学に行き、同大教授でセラミックデザイナーの栄木正敏氏に偶然出会う。氏の研究室で、石膏型を用いてポンポンとかたちができてくる様子や、白いやきものに感動したことがやきものづくりの始まり。以降、在学時から石膏型を用いた磁器の製作を続けてきた。
成型時に生じる「ばり」と呼ばれる型同士の継目を、そのまま残す。ろくろでの手挽きと型もの、人が必要に駆られてつくり出した技法に優劣はない。釉薬をかけずに焼成し磨いて仕上げ、シャープな輪郭も相まって瀬戸の磁器土そのものの白さが際立つ。褐色の常滑に佇む無釉の磁器は凛としている。
高知に生まれる。大学卒業後に高知へ帰省し、職を転々とする。タウンページで見つけた最寄りの陶芸教室に通い始め、ひと月した頃に出店した地元のイベントで陶芸家の小野哲平氏と出会う。初めて認識した陶芸家である氏の自宅に招かれ、作品や陶芸家青木亮氏の作品集に惹かれる。その後、瀬戸の愛知県立窯業技術専門校で学び、卒業後に村木雄児氏を慕い窯焚きの手伝いを6年続けた。
出会った人や作品を通じて粉引、三島を好きになり、常滑に工房を移してからもその原点を変わらずに追求する。本歌に埋もれず、彼の造形力、色の感覚によって、明朗な勢いのある現代の器が生まれる。楽しそうに、薪窯づくりとInstagramを始めた事を教えてくれた。
名古屋市生まれ。小さい頃から絵を描くのが好きで、美術に親しむ。
手で直接素材に触れるやきものづくりを仕事にすべく、常滑の陶芸研究所に入所。卒業後、独立してからも料理屋でのアルバイトを続けながらやきものをつくる。「思いついたものは、正直に全て焼き上げる」と、直感を何よりも
大切にする。自身の作品を「渋いもの」と「カラフルなもの」に分け、前者は速さと勢いを詰め込み、後者はアニメから跳び出してきたような世界観の創出をテーマとする。「クセが強い」と道化るが、料理人から器のオーダーが絶えないのは、見て良し、盛って良し、回して良しの証明である。
常滑で生まれる。子供の時に通った絵画教室が、製陶所の集まるやきもの散歩道にあり、やきものをつくる職人たちを眺めていた。高校卒業後、彫刻家を目指し沖縄県立芸術大学へ進学。タイや中国などの異国文化が混ざり合った沖縄に触れ、好きになる。京都の芸大の大学院に進学するも、現代美術に心が折れ、常滑に戻り作陶を続ける。パウル・クレーのドローイングや 陶彫家の松下昌司氏、彫刻を手がける夫に影響を受けてきたと振り返る。西洋的な具象彫刻を学び築いてきた常滑の陶彫史はどこ吹く風、自らの頭に浮かんできた、人(仏)や動物(聖獣)、植物などの陶彫を手がける。彼女のつくるおおらかな土の塊に、命の温もりが宿っている。
常滑に生まれる。
小学校5年の夏休みより土管工場のアルバイトを始める。愛知県立常滑高等学校2年頃より、土を探しながら常滑の古窯跡を巡り始める。日本タイルブロック社に入社、建築用陶磁器製品の製造、施工、研究に携わる。常滑市立陶芸研究所創設に伴い入所し陶芸の道を進む。退所後、公募展や美術館の企画展に数多く出品し陶芸界に新風を巻き起こす。陶芸家・現代美術家として国内外でその名を広めた。90年代以降、愛知県立芸術大学で教鞭を執る他、世界中でワークショップを開催するなど、積極的に学生の指導にもあたった。
梅原タツオ(うめはら たつお)
常滑の急須職人一族である梅原家に生まれる。自動車の製造会社勤めを経て、ものづくりの工程すべての責任を引き受ける仕事をと、急須職人の道を歩む。
叔父の梅原昭二氏(昭龍)に入門し、4年後に独立し三代北龍となる。北龍の急須づくりは精土から始まり、手挽きで本体、注ぎ口、持ち手、蓋を成型し、茶こしを含めたパーツを接着した後に焼成して仕上げる。月に800個ほどの急須を1人で量産する。師匠譲りの張りのある丸いかたちに、道具としての急須を追求する姿勢が現れている。手にした時には軽さや薄さに驚きつつも、親しみやすさや安心感を覚える。家庭で気兼ねなく毎日使えるようにとこだわる価格も、その一因であろう。「毎日が図工」と仕事を楽しみ、取材時もろくろを止めることなく日常使いの急須をつくり続ける。
叔父の梅原昭二氏(昭龍)に入門し、4年後に独立し三代北龍となる。北龍の急須づくりは精土から始まり、手挽きで本体、注ぎ口、持ち手、蓋を成型し、茶こしを含めたパーツを接着した後に焼成して仕上げる。月に800個ほどの急須を1人で量産する。師匠譲りの張りのある丸いかたちに、道具としての急須を追求する姿勢が現れている。手にした時には軽さや薄さに驚きつつも、親しみやすさや安心感を覚える。家庭で気兼ねなく毎日使えるようにとこだわる価格も、その一因であろう。「毎日が図工」と仕事を楽しみ、取材時もろくろを止めることなく日常使いの急須をつくり続ける。
大原光⼀(おおはら こういち)
加藤真美(かとう まみ)
鯉江明(こいえ あきら)
小池夏美(こいけ なつみ)
成型時に生じる「ばり」と呼ばれる型同士の継目を、そのまま残す。ろくろでの手挽きと型もの、人が必要に駆られてつくり出した技法に優劣はない。釉薬をかけずに焼成し磨いて仕上げ、シャープな輪郭も相まって瀬戸の磁器土そのものの白さが際立つ。褐色の常滑に佇む無釉の磁器は凛としている。
高田谷将宏(たかたや まさひろ)
出会った人や作品を通じて粉引、三島を好きになり、常滑に工房を移してからもその原点を変わらずに追求する。本歌に埋もれず、彼の造形力、色の感覚によって、明朗な勢いのある現代の器が生まれる。楽しそうに、薪窯づくりとInstagramを始めた事を教えてくれた。
畑中圭介(はたなか けいすけ)
手で直接素材に触れるやきものづくりを仕事にすべく、常滑の陶芸研究所に入所。卒業後、独立してからも料理屋でのアルバイトを続けながらやきものをつくる。「思いついたものは、正直に全て焼き上げる」と、直感を何よりも
大切にする。自身の作品を「渋いもの」と「カラフルなもの」に分け、前者は速さと勢いを詰め込み、後者はアニメから跳び出してきたような世界観の創出をテーマとする。「クセが強い」と道化るが、料理人から器のオーダーが絶えないのは、見て良し、盛って良し、回して良しの証明である。
濱比嘉詩子(はまひが うたこ)
鯉江良⼆ (こいえ りょうじ)(特別出展)
小学校5年の夏休みより土管工場のアルバイトを始める。愛知県立常滑高等学校2年頃より、土を探しながら常滑の古窯跡を巡り始める。日本タイルブロック社に入社、建築用陶磁器製品の製造、施工、研究に携わる。常滑市立陶芸研究所創設に伴い入所し陶芸の道を進む。退所後、公募展や美術館の企画展に数多く出品し陶芸界に新風を巻き起こす。陶芸家・現代美術家として国内外でその名を広めた。90年代以降、愛知県立芸術大学で教鞭を執る他、世界中でワークショップを開催するなど、積極的に学生の指導にもあたった。
イベント情報
会期 :2020年11月22日(日)〜30日(月)
時間 :当店Webサイトをご確認ください。
時間 :当店Webサイトをご確認ください。
場所 :GINZA ATRIUM(イベントスペース)
料金 :無料
主催 :銀座 蔦屋書店
料金 :無料
主催 :銀座 蔦屋書店
協力 :GALLERY器館 監修 :高橋孝治