美術家 松下まり⼦個展
「愛の飾らぬことばにおいて」

GINZA ATRIUM WORKS
GINZA ATRIUM(イベントスペース) 2020年12月18日(金) - 12月30日(水)
 
美術家 松下まり⼦による個展「愛の飾らぬことばにおいて」を開催。
 
●作家による本展に関するコメント
 
本が、影のように離れずにいて、いや、離れてしまったときもあって、そういうときは絵も描いていなかった
ぎりぎりになって、というより、死の淵にべったり両手をついて、しばらくそれを撫で回し、それから真面目な顔をして、労働する人々に紛れて生きてきた

2020年になり、私はまるで絵描きみたいだ
書庫をくり抜いたような場所に立ってる
絵たちは何でも知っている
私はむかし工場で働いていた

2020年11月27日

松下まり子
 
 

愛の飾らぬことばにおいて

 

 

絵を描いている。迷いがある。何がどうなれば絵というものになるのか、いや、絵じゃなくて、そこに誰かがいてくれるようになるのか、分からない。

深い、臭い、鍋をかき回しているみたいだ、暗い下水道をさまよってるみたい、腰まで冷たい泥に浸かって。

右手のボロ布が冷たい。絵の具でどぼどぼに濡れて冷えてきた。

眼の中の自分は、地下の、下水道の中を歩いている。絵を?探している。汚水をかき分けている。重たいものが絡みつく。声を出そうとするが、呼ぶべき名前がない。眼や、耳や、ばらばらになった手足が、この辺りに沈んでいてもおかしくないが、すごく暗くて、

絡みつく重たいもののどれが何なのか、分からない。

濁った汚水の中に火の輪が浮かび上がる。なんて色をしてるのだろう。

青くて、透きとおって、蠢いている。

風呂場のドアに立てかけた絵を見る。まだできていない。意識を常に引っ張る。草の種みたいだ。チクチクする。何をどうすればきみの望むようになるのか、分からない、また夜に。

行ってきます。絵たちをそれぞれ見て、ドアを閉める。

 

私は逃げ帰る。

ドアをバタンと閉める。立てかけたキャンバスでどんどん狭くなる空間に体をねじ込む。油絵の具の匂い。暗がりに眼がキョロキョロ動き、ぐるりと振り返る。

“オカエリ!”

今日は大変だった、辛かった。私は工場でいかに侮辱されたか、腹の立つ、悔しくて情けないことをべらべら喋る。喋っているうちに涙が滲んでくる。

絵の具は赤。赤色を塗ると気分が高揚する。しくしく泣いてるんじゃない、赤色を塗るんだ、とにかく全部に、真っ赤に。ぬるぬるした油絵の具は光っていて、今何を描いているのか正確には分からない。ピカピカに反射してる。ベラスケスやベイコンもこんな絵の具を見たのだろうか、完成する前のまだ生き血のような絵の具、こっちが絵画の正体なんだろう、乾いた骨みたいなものじゃなく、完全に生き物みたいな、巨大な動物の性器に、腕や頭を突っ込んで、中から見たこともない胎児を引きずりだす。

気がつくと両手が真っ赤に汚れている。鏡の中の顔つきが変わっている。

起きると、まだ青暗い。ガスコンロの青い火の輪が心に深く突き刺さる。

毎日これを見ている。部屋の中で唯一動く。影をつくり、触れることができない。

絵たちをそれぞれ見る。行ってきます。

雪の日は自転車を引きずって工場へたどり着く。工場は不滅で、蒸気で火傷した人をどんどん飲み込んでいる。

 

休日、私は本を読む。絵と同様に、人生もわけが分からない。どちらの道を曲がり、どこへ行けば、何があるのか、全く分からない。私は小さな松明を手にした。絵を描くという、頼りない小さな灯りだ。

これをともかく絶やさないよう燃やしていれば、きっと洞窟から出られる。松明の煙や、匂いも、誰かが嗅ぎつけるかもしれない。

机を入れ、絵の作業場所に改造した台所の中心に、絵画の松明の、一瞬先には消えてしまうかもしれない灯りを立て、オキーフの伝記のページを繰る。

ニューメキシコの落雷を、屋根の上から一緒に眺める。私は粉だらけの工場の制服を着て、恥じ入っている。

オキーフはたった一つのことを私にいう。

“あなたのよく知っているものを描きなさい”

絵を描いている。迷いがある。何を描いているのか、どこをどうしようとしているのか、分からない。

バチバチ火花を散らしている、松明を頭上に、汚水をかき分けている。この辺りに、眼や、耳や、ばらばらになった手足があるのかもしれない。動物が食って持ち去ってしまったのだとしたら、そのゴワゴワの毛でも、糞でも、一瞬の鳴き声でも、見つけなければならない。なんだってこんなことしてるのだろう。外へ遊びに行けばいいのに。

急に、未来に見るカンボジアの青苦しい空を思い出す。青が濃すぎて、重たく激しく、雲ひとつない落ちてしまいそうな青空。

頭がおかしくなりそうな日は、ダイアン・アーバスの伝記を読む。

頭がおかしくなりそうなことと、実際に頭がどうかなって、一線を越えてしまうことは別のことなのだ。

 

へとへとになって家に帰る。ドアを開ける。暗がりにキョロキョロ眼が動き回る。ぐるりと振り返る。

“オカエリ!”

銀色の絵の具のチューブが弾丸みたいにいっぱい転がってる。絵たちは軍隊みたいに勢揃いし、どこを見ても視線が返ってくる。部屋の結界は強靭だ。

私は今日あったことを話す。

悪くないんだよ、家がブタ小屋だって噂されてるおじさんが、色々教えてくれる。その人だけがいい人だよ。

ここから出ようね、私が必ず洞窟に穴をあけるよ、そしていつでもかえって来られるようにしよう。

                                     

 

2020/12/9 松下まり子

 

 

・「 ジョージア・オキーフ 崇高なるアメリカ精神の肖像」ローリー・ライル著

・「 肉への慈悲 フランシス・ベイコン・インタヴュー」 デイヴィッド・シルヴェスター著

・「 炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワース著

・「 チェルノブイリの祈り」 スベトラーナ・アレクシェーヴィチ著

 
 
 
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【作家プロフィール】
松下まり⼦ (まつした まりこ)
 
1980年⼤阪⽣まれ。2004年に京都市⽴芸術⼤学油画専攻卒業。主な個展に、2020年 「居住不可能として追放された⼟地」、2019年「Oasis」、2018年「Silent Resistance to Oblivion」、「RAW」 (いずれも KEN NAKAHASHI、東京)等がある。2016年に第2回 CAFAA賞グランプリ受賞。2017年にロンドンのデルフィナ財団でアーティスト・イン・レジデンスに参加。
 

松下まり子
 
  • 会期 2020年12月18日(金)ー30日(水)
  • 場所 GINZA ATRIUM(イベントスペース)
  • 主催 銀座 蔦屋書店
  • 協⼒ KEN NAKAHASHI
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