【第11回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『キルケ』マデリン・ミラー/作品社

梅田 蔦屋書店の文学コンシェルジュ河出がお送りする世界文学の書評シリーズです。
 
 

私たちもきっと魔女になれる 『キルケ』

 
 

 「キルケ」という名前に聞き覚えのある人はきっと、ギリシャ神話や「オデュッセイア」に親しんだことのある人だろう。キルケとはそれらの物語に登場する魔女の名だ。最も知られているのはオデュッセウスの部下たちを招き入れるふりをして豚に変えてしまうというエピソードだろうか。

 実は著者マデリン・ミラーはこのエピソードから「「彼女はなぜ、男たちを豚に変えたのだろう」「魔力をどのように獲得し、どんなふうに使ったのだろう」といった疑問を抱き、キルケの視点から物語を語り直すことを思いついた(本書P481)」という。

 キルケの視点から語り直された物語とは、どういったものだろうか。

 キルケは太陽神ヘリオスとニュンペのペルセの間に生まれたが、特別な才能もなく、とりたてて美しくもなく、父母や弟妹から冷たい扱いを受ける。「女神のなかで最も身分が低く、力も弱い(P4)」ニュンペには「「花嫁」という意味もあって、そう呼ばれる女神たちの行く末を暗示していた(P4)」。キルケは最初、ニュンペと呼ばれた。しかし美にも才能にも欠け、花嫁としての価値も低い彼女にはろくに嫁ぎ先も決まらない。しかし彼女には実は特別な力があることが明らかになり、そのためにこう呼ばれるようになる。魔女、と。

 魔女。それは最初、与えられた名前であり、異端者に押しつけられた名前だった。かつて魔女狩りの犠牲となった多くの人々にとっての「魔女」がそうだったように。

 しかしキルケは自分の意思で自分にできることを探求し、やがてこう口にするようになる。

 「自由にその力を発揮できて、自分以外だれにも従わなくていい魔女になるの(P206)」

 キルケが「魔女」という言葉をこうして自ら選び取る時、鮮やかな意味の変換が起きる。「魔女」はもはや、蔑みの言葉ではない。「魔女」が意味するのは、自立した、自由な存在だ。 無力で取引の道具として結婚させられるニュンペから、異端者としての「魔女」へ、そして自ら選び取った力を自らの決断で使う「魔女」へとキルケが変貌を遂げる様は、自分には何もできないと思いこまされていた女性が自らの中に力を見出し、自分の力で生きていくようになる様そのものである。

 このギリシャ神話を語り直した小説がなぜベストセラーになり多くの人の心を動かしたかがよくわかる。これは大昔の英雄と神々を描いた物語ではない。誰もが知っている神話のエピソードを用いてはいるが、現代に生きる私たちの物語なのだ。自分に力があると信じることができた時、私たちもきっと魔女になれる。

 

 

今回ご紹介した書籍

『キルケ』
マデリン・ミラー・著
野沢佳織・訳
作品社

PROFILE  文学コンシェルジュ河出
 
東北でのんびりと育ち大阪に移住。けっこう長く住んでいるのですが関西弁は基本的にはしゃべれません。子どものころから海外文学が好きです。日本語、英語、スペイン語、フランス語の順に得意ですが、どの言語でもしゃべるのは苦手です。本の他に好きなものは映画で、これまでも映画原作本の梅田 蔦屋書店オリジナルカバーを作ったり、「パラサイト」のパネル展を行い韓国文学を売ったりしています。これからもこれはという映画があったらぜひコラボしていきたいです。「三つ編み」「中央駅」「外は夏」「ベル・カント」「隠された悲鳴」…これまで素敵な本の数々に書評を書かせていただきました。これからも厚かましく「書かせていただけませんか?」とお願いしていこうと思います。今興味があるのは絶版本の復刊です。「リービング・ラスベガス」「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」などなど、復活してほしい本がありすぎる。ミステリーも大好きです。
 
コンシェルジュをもっと知りたい方はこちら:梅田 蔦屋書店のコンシェルジュたち
 
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