【第19回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『チャリング・クロス街84番地』ヘレーン・ハンフ/中央公論新社
広い世界であなたに出会う『チャリング・クロス街84番地』<増補版>
二〇二一年現在、スマートフォン一つが手元に在れば、あなたは自分の言葉をSNSで発信することができるし、地球の裏側にいる相手にメールを送ることもできる。どこの国の人だかわからない誰かとオンラインゲームで対戦することもできるし、普段忘れがちだが、もちろん電話機能を駆使して直接会話することもできる。多種多様なコミュニケーション手段があなたのものだ。気軽に、手軽に、誰とでも、あなたは繋がることができる。たとえば二十年前と比べて、世界は格段に小さくなった。
本書は、むかしむかし、世界がまだ広かったころ――具体的に言えば一九四九年、ある一通の手紙(メール、ではない。紙の手紙である)がきっかけで始まった、海を越えた友情の物語である。
その一通の手紙とは、ニューヨークに住むヘレーン・ハンフの手によるもの。彼女は新聞広告で絶版本を専門に扱う書店、マークス社を知り、同封のリストにある本があれば送ってほしいとしたためたのだ。
ここで留意されたい。本書のタイトル「チャリング・クロス街84番地」とは、そのマークス社の住所である。そして、チャリング・クロス街はイギリスにある。また、あたりまえだが、ニューヨークはアメリカにある。つまり、アメリカに住む人がイギリスの書店に本を送ってほしいと手紙を書いたことになる。今ではまずありえない話だ。そして、ヘレーンとマークス社のフランク・ドエルとの交流は、その後一度も相手に見えることなく、実に二十年近くも続いたのである。
イギリス国教会の方々は、この世で最も美しい散文を、だいなしにしてしまいましたね。(P16)
フランク・ドエルさん、あなたは何をなさっていらっしゃるのですか? 何もしていないのではないのですか? ただすわり込んでいるだけなのでしょう。(P28)
ひたすら真面目で丁寧な言葉を連ねるフランクに対し、ヘレーンは時に生き生きと毒を吐く。この対照的なふたりのやりとりがおかしい。マークス社の人々はヘレーンの手紙が大好きだったというが、きっとヘレーンの方もフランク(と、時々その他のマークス社の人々)からの手紙を、その手紙にユーモアたっぷりの返事を書くことを、楽しみにしていたのではないだろうか。遠い異国から、きっと何日もかかって届く、一度も会ったことがない人がしたためた手紙――海を越えて人と繋がることが決してたやすくなかった時代のそれは、世界が小さくなってしまった現代における何かに置き換えることができないような価値を持っていたはずだ。
本書にはただヘレーンとフランクとその他の人々の言葉が収められているだけだ。顔を合わせることなくただ手紙に綴られた言葉だけで、この人たちは本への愛を共有し、長年の友情を育んだ。波乱万丈の展開はない。そもそもストーリーも何もない。けれどもこんな形の友情がかつて確かにそこにあったということが、何よりのドラマじゃないだろうか。