【第36回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー /早川書房

梅田 蔦屋書店の文学コンシェルジュ河出がお送りする世界文学の書評シリーズです。




人は終わりからまた始める『われら闇より天を見る』

 

 「あたしは無法者のダッチェス・デイ・ラドリー」「こんどうちの家族のことを口にしたら、首を切り落とすからな」(p.27)

 登場して間もなく口にするこの二つの台詞が、本作の主人公ダッチェスがどういう生きものであるかを端的に表している。ダッチェスは無法者だ。家族のためならば、彼女はどんなことでもする。

 ダッチェス・デイ・ラドリーはよくいる反抗的で生意気な少女ではない。彼女はそんななまやさしいものではない。自称するのは伊達ではなく、彼女は常に無法者として振る舞う。無法者とは「なめたまねをさせない人」(p.386)だ。彼女の大事なものを傷つけたなら、傷つけた者は必ず報いを受ける。時に彼女が報いを受けさせるためにしたことが、彼女の守ろうとする大事なものを傷つけたとしても。

 頼りにならない母親と、自分を頼るちいさな弟を抱えて、ダッチェスにとって生きることは常に戦いだった。この生い立ちと彼女が無法者であることとはきっと無関係ではない。彼女には守らなくてはならないものがあり、守ってくれる人はいなかった。だから彼女は「十三歳になったばかりで、一度も泣いたことがない」(p.15)。そんな彼女を襲う容赦ない運命に、誰の助けも借りようとせず、ひとり立ち向かう姿を、読者は固唾をのんで見守るほかはない。

 この物語で描かれる出来事をたどってみよう。ある人があることをして、そのあることのために別の人がトラブルに巻き込まれ、そのトラブルを解決するためにその人はある行動をとり……そういった因果関係をずっとたどっていったとして、行きつくのはどこだろうか。すべての元凶として指差すことができるのは、一体誰だろうか。「あの時あんなことをしなければ、こんなことにはならなかった」。運命のそんな分岐点になったのはいつ、どこだったのだろうか。

 しかし、後になって「あの時あんなことをしなければ」と悔いたところで、その運命の分岐点まで戻ってやり直すことは、私たちにはできない。私たちは精一杯の努力をする。あるいは、とんでもなく愚かな過ちを犯す。もしくは、その両方を同時にやってしまう。それは私たちが私たちなりに生きる上で、きっとどうにもならないことだ。しかしすべてが終わってしまったように思えた時、それでもきっとそれは「すべての」終わりではない。ある登場人物の台詞にあるように、「人は終わりからまた始める」(p.286)のだから。

まさに「人は終わりからまた始める」(We Begin at The End)というタイトルを戴いたこの物語で、激しい怒りと、誇りと、愛情を抱える少女ダッチェスがどういう結末を迎えるのか、ぜひ見届けてほしい。これは、彼女が主人公だという以上の意味をもって、彼女の物語だ。フランス版のタイトルは潔くDUCHESS、表紙はこちらを真っ直ぐに見つめる少女の写真である。

 

今回ご紹介した書籍

 
われら闇より天を見る
クリス・ウィタカー
・著
鈴木恵・訳
早川書房

PROFILE  文学コンシェルジュ河出
 
東北でのんびりと育ち大阪に移住。けっこう長く住んでいるのですが関西弁は基本的にはしゃべれません。子どものころから海外文学が好きです。日本語、英語、スペイン語、フランス語の順に得意ですが、どの言語でもしゃべるのは苦手です。本の他に好きなものは映画で、これまでも映画原作本の梅田 蔦屋書店オリジナルカバーを作ったり、「パラサイト」のパネル展を行い韓国文学を売ったりしています。これからもこれはという映画があったらぜひコラボしていきたいです。「三つ編み」「中央駅」「外は夏」「ベル・カント」「隠された悲鳴」…これまで素敵な本の数々に書評を書かせていただきました。これからも厚かましく「書かせていただけませんか?」とお願いしていこうと思います。今興味があるのは絶版本の復刊です。「リービング・ラスベガス」「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」などなど、復活してほしい本がありすぎる。ミステリーも大好きです。
 
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