【第39回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『わたしのペンは鳥の翼』アフガニスタンの女性作家たち/小学館
そこにある一つ一つの明かり『わたしのペンは鳥の翼』
日本語で本書を読む人たちのほとんどにとって、彼女たちは、ある時は死者だった。新聞記事で読む、理解しがたい理由で死ななければならなかった人たち。ある時は、数字だった。ぞっとするような多さでわたしたちを戦慄させる、痛ましい死を遂げた人たち。あるいは、影だった。どんな場所にいて、どんなふうに生きているのか、よくわからない人たち。
恐らくは日本語の読者に限らず、多くの国、地域でそういう存在であるだろう彼女たちを、本書は、人間にする。彼女たちは、彼女たち自身の手になる文章によって、人間になる。
ある人は貧困ゆえに手元に残った最後の指輪を売り払い、ある人は恐ろしい行為に手を染め、ある人は生まれた子どもの性別ゆえに夫に疎んじられる。日本語で本書を読み、その多くは日本に暮らす読者にとって、それはあまりにも自分たちの日常とはかけ離れた生活だ。死はすぐそこにある。破局は口を開けて待っている。自分ではどうすることもできない理由で、彼女たちは理不尽な状況に置かれる。
「世界一美しい唇」のように、あまりに悲しく救いのない物語がある。「なんのための友だち?」のように、友だちだと思っていた人から手ひどい裏切りを受ける物語がある。「防壁の痕跡」のように、登場人物に降りかかる惨い運命が、最初のページから明らかにされているものもある。しかし、そんな悲しい、辛い、恐ろしい物語がありながら、本書には希望が確かに収められている。その希望は、自ら考えて行動し、村を水没から救ったアジャの姿をしている。サイズが合わない赤いブーツをどうしても欲しがる女の子の姿をしている。抗議デモに参加する少女たちの姿をしている。夫を亡くして自ら仕事を始めたハスカの姿をしている。そして何よりも、これらの物語を書いた十八人の女性たち、物を書き、発表することそれ自体が困難である状況において、それでもこれらの物語を書いた彼女たちの姿をしているのだ。
この本は対岸の火事を眺めるように読むべきではない。夜の街に灯った一つ一つの明かりを見るように読むべきだ。そこには私たちの知らないそれぞれの物語、それぞれの生があり、ニュースでも数字でもない、人間たちがいる。