【第41回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『異常【アノマリー】』エルヴェ・ル・テリエ/早川書房
異常に遭った時、あなたは。 『異常【アノマリー】』
本書のあらすじを、詳しく明かすことはできない。凄腕の殺し屋、大ヒットを飛ばしたミュージシャン、翻訳と小説の執筆の二足の草鞋で細々と生計を立てる小説家、といった、一見何の繋がりもない人々のあれやこれやが描かれ、どうも彼らが共通してある出来事を体験しているらしい、ということが、読むにつれわかってくる。明かすことができるのはせいぜいここまでだろう。あとは実際に読んで確かめてほしい。きっと期待を裏切らないから。
そうこの文章を終わらせるのは、あまりにもこの類まれな小説に対して不誠実であるように思われるので、もう少し続けるとしよう。内容に触れることなく、しかしこの小説が扱っているテーマについては触れながら、綱渡りのような文章をここに綴ろう。
本書のタイトルは「異常【アノマリー】」である。そしてタイトルの通り、「異常」としか呼べない出来事が起こる。本書における「異常」は、現実世界では(願わくは)起こらないであろうことだ。しかし、考えさせられるのは、その「異常」に対する人々の反応である。ある人は受け入れ、ある人は拒否反応を示し、ある人は憎しみさえぶつける――そういった反応を人々から引き出す出来事あるいは人物は、私たちが暮らすこの現実世界にも確かに存在する。私たちが試されるのは、本書で登場人物たちが試されたように、決してそれ自体は他者を傷つけるものではないが、いわゆる「常識」に照らし合わせて「『普通』ではない」という判定を受けた出来事や人物をどうするかという決断を迫られた時だ。現に様々なかたちで「『普通』ではない」とされるマイノリティが世界に存在することを思えば、これは「私たちには関係ない」と言えることでは決してない。そして「正解」の決断は、きっと「受け容れる」の一つしかないのだ。「いかに受け容れるか」という方法は複数存在するかもしれない。しかし「受け容れる」という最終的な「正解」は揺らがない。それを「正解」としなかった時にどんな恐ろしいことが起こり得るかは、人間の歴史が既に示している。
これはあくまで私が「現実世界での『異常』とは、それに対してどうすればいいのか」についてつらつらと考えた文章であって、本書で人々が「異常」に対してどんな反応を示した時に何が起こるのか/起こらないのか、については何も言えない。私は綱から落ちずに渡りきることができただろうか。この危険な試みが成功していますようにと願う。