【第42回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『その昔、N市では』マリー・ルイーゼ・カシュニッツ/東京創元社

梅田 蔦屋書店の文学コンシェルジュ河出がお送りする世界文学の書評シリーズです。
 

カシュニッツという作家 『その昔、N市では』

 

 いっそのこと、手のひらにおさまるほどの大きさの虫であればいい。そんな虫が床を這っていれば、叩き潰すこともできるだろう。しかし、そういう虫ではない。皮膚の下にいつのまにやらもぐり込み、その細く矢鱈に数の多い足で蠢いている、得体の知れない、何匹もの、小さな虫。狙いを定めて一撃を加えることのできない、だから余計にしまつの悪いもの。カシュニッツの短編が読者に与えるのは、たぶんそういう類の感情だ。

 たとえば「精霊トゥンシュ」において、一体何が起こったのか詳らかにすることを、カシュニッツはしない。なぜ/いかにして/何が起こり、このような結果になったのか、をきれいに解き明かせば、あるいはこの物語はミステリーと呼ばれるに至ったかもしれない。しかしこの物語はミステリーではない。あるいは、カシュニッツはミステリー作家ではない。

 たとえば「いいですよ、わたしの天使」において、語り手は自分の部屋の間借り人の娘に愛情を抱き、その願いを叶えようと努めたがためにどんどん生活を侵食されていく。これは文句なく恐ろしい短編である。それにもかかわらず、この物語をホラーと分類するのはためらってしまう。カシュニッツが人を怖がらせようとしてこの物語を書いたとは、少なくとも私には思われない。

 カシュニッツが書いているのは、では何なのか。幻想小説、と呼ぶ人はいるかもしれない。奇妙な味、という言葉も思い浮かぶ。しかし恐らくは、こうやってレッテルを貼り、分類しようとすること自体に馴染まない、カシュニッツはそういう作家である。「船の話」で妹が乗る予定ではなかった船に乗ってしまうように、まちがった乗り物に乗り、そのまま乗り続けているほかはない。そんな気持ちで文章を追い、思いもしなかった場所まで連れて行かれる。カシュニッツを読む時、そういうふうに読むことがたぶん正しい。


 

今回ご紹介した書籍

 
その昔、N市では
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ・著
酒寄進一・訳
装画:村上早
装幀:岡本歌織(next door design)
東京創元社

PROFILE  文学コンシェルジュ河出
 
東北でのんびりと育ち大阪に移住。けっこう長く住んでいるのですが関西弁は基本的にはしゃべれません。子どものころから海外文学が好きです。日本語、英語、スペイン語、フランス語の順に得意ですが、どの言語でもしゃべるのは苦手です。本の他に好きなものは映画で、これまでも映画原作本の梅田 蔦屋書店オリジナルカバーを作ったり、「パラサイト」のパネル展を行い韓国文学を売ったりしています。これからもこれはという映画があったらぜひコラボしていきたいです。「三つ編み」「中央駅」「外は夏」「ベル・カント」「隠された悲鳴」…これまで素敵な本の数々に書評を書かせていただきました。これからも厚かましく「書かせていただけませんか?」とお願いしていこうと思います。今興味があるのは絶版本の復刊です。「リービング・ラスベガス」「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」などなど、復活してほしい本がありすぎる。ミステリーも大好きです。
 
コンシェルジュをもっと知りたい方はこちら:梅田 蔦屋書店のコンシェルジュたち
 
 
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