【第52回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『哀れなるものたち』アラスター・グレイ/早川書房

梅田 蔦屋書店の文学コンシェルジュ河出がお送りする世界文学の書評シリーズです。
 

私は自由である 『哀れなるものたち』

 

 ゴッド。幾度となく、本書の登場人物、ベラ・バクスターはその言葉を口にする。ベラがそう呼ぶのはゴドウィン・バクスター、彼女にとっては創造主にも等しい人物である。身投げして亡くなった若い女性を、恐るべき技術で蘇生させ、「ベラ・バクスター」として育てたのが異端の科学者であるゴドウィンなのだ。蘇生された当初はまるで大人の体を持つ幼児のようだったベラは、ゴドウィンに庇護される生活を飛び出し、旅をする中で、やがて見出していく。自分の欲望、自分の意志、自分の世界を。

 ベラの何にこんなにも惹かれるのだろう。

 読了して、自問してみた。ベラは強烈なキャラクターだ。しゃべり方もたどたどしいところから、一足飛びに知性を獲得していき、自分の欲求に正直で、欲しいものを手に入れ、したいことをする。彼女は自由だ。しかしなぜ彼女は自由なのだろう。子どもが自由なのは、何も知らないからだ。彼女は何も知らない子どもから、いろいろなことを知り、成熟した大人の女性へと変貌を遂げてゆく。けれどそのために彼女の自由さが損なわれることはない。

 物語の舞台は十九世紀後半、女性の権利はまだまだ制限されていた。ベラもまた、女性が殊更に貞淑さを求められるような世界にいる。女性が欲望に自覚的であることがよしとされず、学ぶ権利もろくにないような世界に。

 それでもなお彼女がこの上なく自由でいられるのは、自分が自由であることを知っているからだと思う。私は自由であるべきだ、でも、私は自由になれる、でもない。今自由ではないことを前提とするところからかけ離れた場所に、ベラはいる。私は自由である、なぜなら私はここにいるのだから、とでもいうような、自分という存在そのものと自由が当たり前に結びついているような場所。世界を学んでいく過程にあっても、ベラはゆるぎなくそこに立っている。

 ゴッド、とベラはゴドウィンのことを何度も呼ぶ。その呼び名が神を意味する言葉と同じ音を持つことはきっと偶然ではない。ゴドウィンはベラの創造主、ベラの神である。そして、それにもかかわらず、時に教えを乞いながら、ベラはゴドウィンに支配されることがない。あなたは私を作ったけれど、私はあなたの所有物ではない。それを当然のこととして知っている彼女は、だからこそ目を奪われるほどに自由なのだ。

 

今回ご紹介した書籍

 
『哀れなるものたち
アラスター・グレイ・著
高橋和久・訳
早川書房

 
 

PROFILE  文学コンシェルジュ河出
 
東北でのんびりと育ち大阪に移住。けっこう長く住んでいるのですが関西弁は基本的にはしゃべれません。子どものころから海外文学が好きです。日本語、英語、スペイン語、フランス語の順に得意ですが、どの言語でもしゃべるのは苦手です。本の他に好きなものは映画で、これまでも映画原作本の梅田 蔦屋書店オリジナルカバーを作ったり、「パラサイト」のパネル展を行い韓国文学を売ったりしています。これからもこれはという映画があったらぜひコラボしていきたいです。「三つ編み」「中央駅」「外は夏」「ベル・カント」「隠された悲鳴」…これまで素敵な本の数々に書評を書かせていただきました。これからも厚かましく「書かせていただけませんか?」とお願いしていこうと思います。今興味があるのは絶版本の復刊です。「リービング・ラスベガス」「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」などなど、復活してほしい本がありすぎる。ミステリーも大好きです。
 
コンシェルジュをもっと知りたい方はこちら:梅田 蔦屋書店のコンシェルジュたち
 
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